4. 月下

 ひょっとしたらこの世界、太陽は存在していないんじゃないだろうか。


 もはや何もかも信じられなくなり、そんな恐怖を抱いていた。しかしピピと名付けた変形ロボットに乗って二時間ほど砂漠を走っていると、次第に東の空が明るくなってくる。


 安心した。太陽はそのままだ。


 すぐに辺りの気温が上がってきて、スーツのファスナーを半分ほど下ろす。


 それにしても、この蒸し暑さは何だろう。


 不思議だ。休憩がてらバギーを止め、広がる砂を手に取ってみる。砂漠らしい明るい黄色の砂だったが、やはり湿り気を帯びている。


 これだけ湿度があれば植生があっていいはずだ。だが見渡す限りの砂漠なのには変わらず、アカネは答えを出すのを諦めた。


 次いでピピの細部を改めていく。何度かバギー形態とロボット形態の変形を繰り返させ、大まかな構造を把握した。どうやら搭乗したままでも変形は可能らしい。それだけの容積を内部に持たせるにはフレームを細くするしかない。そうすれば当然強度が低下するが、その点、ピピに使われている素材は信じられない強度を持っていた。どれだけ体重をかけても撓みもせず、捻れもしない。


 内部の電装部品は、これまた高度な技術が用いられていた。アカネの知る基本的な電子回路とアーキテクチャは同じだったが、集積度が段違いに高い。それらの集中制御は頭部と背面腰部に分散されていたが、頭部側は一体形成になっていて開くことが出来ない。いずれにせよ相当に高速な制御装置が搭載されているのだろう。


 他には幾つかの装備品があった。めぼしいのは通信するための小型イヤホンで、早速片耳に押し込む。これで多少離れていても、ピピに指示することが可能らしい。


 ピピのことをアカネはポンコツポンコツと言っていたが、それはあくまで想像上の理想的なコンシェルジュと比較しての話だ。アカネの知る最新人工知能技術でも、ここまで自然な応答の出来る物は存在しない。意識らしき物も持っていて、シンギュラリティを突破している。それと同時に、これだけ複雑で膨大なセンサーを持った機構を、アカネのような素人でも扱えるよう補助制御しているのだ。ポンコツなどではない、オーバーテクノロジーの産物と言ってしまいたくなる。


 しかし一方で、やはりピピはポンコツだった。何か有益な情報を持っていないかと色々なことを質問してみたが、まともな答え一つ帰ってこない。最悪なのは、知らなければ知らないと答えれば良いものを、こいつは適当な事を平気で言うのだ。


「ねぇピピ、今って西暦何年なの?」


『さぁ、よくわかりませんが五十年くらいですかねぇ』


「じゃあここは未来じゃなく過去だってのかい。そんであんたはローマ帝国が作った?」


『あり得ません? 本当ですか? よく考えてみてください?』


 よく考えなくてもあり得ない。


 ピピの動力源は、全身に分散された蓄電池らしい。総容量は百ギガジュール。アカネの知る電気自動車類でもせいぜい二百メガジュール程度だから、こちらも相当進化している。だが今ではパネルに電力切れサインが灯り続けていて、このままではすぐにでもポンコツどころかガラクタになってしまいかねない。


 とにかく何か、充電出来そうな物を探さないと。


 休憩を切り上げて、ピピに乗る。同時に腹の虫も鳴いて、私も充電がいるな、と呟く。


 更に二時間ほど走って行くと、砂漠から礫砂漠、砂利に覆われた固い岩盤地帯に入り込んだ。これまでは砂に車輪を取られながらで時速四十キロも出せなかったが、これならば八十キロくらい出せる。加えて霞む遠方に山脈らしき物も見え始めた。少なくともあそこまで行けば、水くらいはあるだろう。川があれば、最悪ピピの一部を分解して水車を作って充電するくらいの技術はある。


 うん、あと何か食料があれば、こんな世界でも生きていけそうだ。


 そう前向きに考え始めた頃、不意に空が暗くなってきた。雲一つない空に怪訝に思いながら見上げると、その存在を忘れようとしていた巨大な月が、再びアカネに信じられない現実を突きつけてきた。


 日食だ。


 それはそうだ、あれだけ月が巨大、いや、近くにあれば、太陽も余裕で隠れてしまう。


 周囲は瞬く間に暗くなってきて、温度も下がり始める。これは日食というよりも、第二の夜だ。月の視野角からいって数時間は続くだろう。


 頭上の月は、最後に見た時からピクリとも動いている様子がない。この地域は毎日、短い朝があって、夜が訪れ、短い夕方があって、本当の夜が来る。そんな風になっているのだろう。


 しかしそうなると、幾つか懸念が出てくる。


 すっかり夜と変わらなくなり、ライトを点けて走り始めたアカネは、すぐにその一つに見舞われることになった。何もないのに急にハンドルが取られ、車体が跳ね始めたのだ。


 やっぱりきた。地震だ。


 すぐにピピを止め、ハンドルにしがみつく。震度六くらいはありそうだ。こんな荒野では何かが崩れてくるような心配はなかったが、地割れなんかが起きたらおしまいだ。深い地響きは一分ほど続き、アカネはすぐにでも発進できるよう警戒し続けたが、それ以上の異常は起きなかった。やがて小さく息を吐き、アクセルを開ける。


 こんな天体配置、地震があって当然だ。月があんなに近ければ、地殻にかかる潮汐力が半端ではない。恐らくアカネが目覚めたあの山も、そのおかげで隆起したのだろう。加えて太陽が月と重なれば、その重力もプラスされる。細かいところは計算してみないとわからないが、この程度の地震で済んでいる方が奇跡的に思える。


 夜の間は、何が出てきてもすぐに対応できない。速度を落として走り続け、三時間後にようやく第二の日の出を拝むことができた。その頃には遠くに見えていた山脈がずいぶん近づいていた。振り向いてみると砂漠の中央に、アカネがやってきた山がそびえ立っている。こうしてみると随分高い。その気になれば三角法を使って標高をはじき出せるが、どうにも具体的な数字を知るのが恐ろしかった。その原因には、山頂から伸びる軌道エレベータらしき構造物にある。


 月まで真っ直ぐ続く、一本の線。


 一体誰が、どうして、あんな物を作ったんだろう。どれだけの金がかかる? どれだけの先端技術がいる?


 何にせよ、相当に鬼気迫る状況だったとしか思えない。それを具体的に考えるのが、アカネには恐ろしかった。


 レーダーを見ると、ピピの言う電磁波の発進地点が五十キロほどの間近に迫っていた。地平線は風に巻き上げられた砂の黄色い靄に覆われていて、判然としない。それでも何か見えないかと目をこらしていると、不意に点滅していた光点が消えてしまった。


「あれっ。消えちゃったよピピ。どうしたの?」


『よくわかりませんが反応が消えちゃいましたねぇ。どうしましょう』


 それはこっちが聞きたい。


 途方に暮れて四方を見渡し、とりあえず信号が出ていた地点に行くだけ行ってみようかとした時だ。アカネは右手に別の動く物を捉え、アクセルを開くのを思いとどまる。


 小高い丘の上を、何かが砂塵を上げて走っている。ピピの望遠装置を使って拡大してみると、ポストアポカリプスの映画に出てくるようなおんぼろの車が疾走していた。


 窓には全て金網が巡らされていて、タイヤを撃たれないようにホイールが拡大されている。屋根に沢山の荷物を積んだRV型だったが、それは見る間にぐんぐんとスピードを落とし、止まってしまった。


 運転席から出てきたのは、メタルでもやってそうな髭もじゃの男だった。彼はボンネットを開いて内部を睨み付けていたが、結局は手に負えないと諦めたのだろう。忌々しげに閉じ、タイヤを蹴り上げる。


 少なくとも人類は滅亡していないらしい。


 間もなく相手は、こちらの存在に気がついた。飛び上がりながら両手を振り、注意を引こうとしはじめる。


 さて、どうしたもんかと考えた。今欲しいのは、食料と、電力と、情報だ。その幾つかを得るためには、いずれこの世界に身をさらさなければならない。


「ピピ、行くよ。いざとなったらあいつをぶん殴れ」


『了解です!』


 大丈夫かな、と思いつつ車に近づいていく。相手は近づいてくるのが三輪バギーだと気づいて少し当惑したようだったが、それでも卑屈そうな笑みを浮かべていた。


 数メートルの距離を置いて対峙する男の服装は、アカネの知るアウトドアなファッションに近かった。ネルシャツにジーパン、ブーツといった格好だ。しかし上から下まで砂まみれで、あまり衛生状態が良くないのはわかる。


 問題は彼が背負っている銃だ。ピピの周囲に落ちていた物と似ているが、乱雑に導線が這い、コイルが巻かれていて、何かアナログな手段での改造が加えられている。


 彼はしばらく言葉を探すようにアカネとピピを見つめていたが、やがて片手を挙げながら声を発した。


「よう」


 英語らしい。言葉が通じて良かった。それでもアカネは表情を隠し、答えた。


「こんちわ」


 やはり相手も警戒している様子で、堅い笑みを浮かべながら困っているような仕草を続ける。


「わかるだろ? 止まっちまった。あんた、ひょっとして〈魔女〉か? 良かったら治してもらえないかな」


 〈魔女〉。


 一般名詞じゃない。固有名詞だ。どこかで聞いた覚えがある。何だったろう。


 そう眉間に皺を寄せて考えたアカネだったが、元から時子と違ってあまり柔和な感じの顔ではない。それを怒りと取ったようで、男は驚いた様子で両手を広げた。


「待て待て、別に俺は〈魔女〉がどうとか、そういうのないからよ。ただのキャラバンだ。見てくれ」


 懐からよれよれの紙を取り出し、広げてみせる。身分証か何からしい。ともかく怯えられているならそれを活用しようと頭を切り替えた。ピピから降りると口の端を歪めて見せて、腰に手をあてる。


「治してあげてもいいけど、見返りはあるの?」


「そりゃ、タダとは言わねぇよ。そいつ、見たことねぇが随分飯ぐらいだろ。五百メガでどうだ? いや、ちょっと待て。色々仕入れたばっかで、こいつらを売りさばかねぇと全然手持ちがねぇんだ。頼むよ」


 どうやら何かの通貨単位らしいが、雰囲気を察するに相場通りらしい。アカネはシラを切って答えた。


「プラス三日分の食料。どう?」


「あぁ――悪いが余分の食料はないんだ。わかった。一ギガ出す。他に運んでる雑貨で欲しいのがあったらくれてやるし――」


「しょうがないね。それでいいよ」


 良かった、というように男は両手を打ち合わせた。


「いいだろう。きっと欲しい物が見つかるぜ? 適当に見繕ってくれ」


 言いながら男はバックハッチを開き、荷物を漁り始める。


 交渉は上手くいったようだが、問題はこの車を治せるかだ。とりあえずボンネットを開いて内部を見る。


 予想はしていたが、内燃機関、エンジンがなかった。代わりにあるのはモーターとバッテリー、それも何か別の何かから積み替えられた物らしい。酷く古びていて、溶接の跡が無数に付いている。


 運転席に回ってイグニッションらしいキーを回したが、カチンとリレーの音がするだけで反応がない。汚れたパネルに表示されるステータスはオフラインのままだ。


「前から時々、勝手に切れたりしてたんだが。叩けば直ってたんだよ。どうにかなりそうか?」


「さぁね」


 アカネは曖昧に答え、覗き込む男を押しのけて内装を剥がし、内部の配線を改める。こちらも随分適当だ。継ぎ接ぎに次ぐ継ぎ接ぎで、小学生の工作並みだ。


 妙だな、と思いつつ身を上げる。ピピもだいぶ傷だらけで古びてはいるが、この車ほどではない。だいたい使われている技術が、アカネの知る最新の物――2020年頃のものと、そう変わりないのだ。


「あんた、どっから来たんだ。〈連合〉か?」


 手持ち無沙汰な様子で男が尋ねる。これも固有名詞だ。なんだか知らないが、そう思っているなら思わせておいた方がいい。アカネはイグニッションから伸びるケーブルを辿りながら答えた。


「ま、そんなとこ」


「やっぱりな。見たことない格好だもん。今はそんなのが流行なのか? それにそのバギーは、〈連合〉の最新型? 幾らするんだ」


「さぁね。売り物じゃないし」


「そうか――さてはあんた、〈連合〉のスパイだな?」


「スパイがスパイって言うと思う?」


「そりゃそうだ。それによく考えてみりゃぁ、スパイがこんな所にいる訳もないしな」


 明らかに怪しまれている。アカネは頭をフル回転させ、作業を続けるふりをしながら言葉を探った。


「あんたもそうでしょ。キャラバンがどうして、こんな所で立ち往生してんの?」


 キャラバンと言えば、普通街道を通る。その彼が『こんな所』というのだ、ここは普通、立ち入らない場所ということだ。


 アカネの読みは当たったらしい。男は大声で笑って、車を叩いた。


「欲が出ちまったのさ。ここじゃ何処に行くにしても、ぐるっと砂漠を回って行かなきゃならねぇ。誰でも考えるのさ、ちょっと突っ切れば、何日かと何百メガか得になるって。そんで砂か獣にやられちまう。あんたもその口だろ?」


「私は立ち往生なんかしないけどね」


「違げぇねぇ」


 男は自らの挑戦を後悔し、大きくため息を吐く。アカネは少し警戒心が緩んでいるのを感じ、彼に尋ねた。


「立ち往生はしてないけど、道には迷ってる。ここどの辺?」


「どの辺って、そりゃあ――そうか、〈連合〉の連中は知らねぇのか。いいか? この〈月下〉じゃ、太陽と月を見れば居場所がわかる。今、太陽が月の先にあるってことは、ここは丑寅の方向ってこと。だから月を背にして進めば、丑寅に着く。簡単だろ?」


「それであんたがここを突っ切ろうとしたってことは――卯、辰、巳あたりに行こうとした」


「そういうこと。ま、辰、巳には街はないけどな。あの辺は辰巳だ。あんたも辰巳回廊から来たんじゃないのか?」


「さぁ。こっちの名前までよく知らないから。向こうじゃ別の名前で呼ばれてる」


 次第に、〈月下〉と呼ばれるこの辺の地理もわかってきた。月の周辺は砂漠が広がっていて、それを取り巻くオアシス都市群のようなものがあるのだろう。そしてそれらは、十二支の方向名で呼ばれている。


『なるほどなるほど。つまりワタクシのセンサーに出ていたのは、丑寅って街のことなんですかねぇ』


 ピピがイヤホン越しに言ってきて驚いた。妙なところで、ちゃんとした理解力を発揮する。


「きっとそういうことなんだろうね」


 小声で返し、外れている接点用の端子を引っ張り出す。コネクターが弱っていて、振動で外れたらしい。アカネは転がっていたナイフを拾い上げ、銅線をむき出しにさせてよりつける。そしてイグニッションを回すと、カチンとした音と共にパネルのランプが緑に変わった。


「多分いけると思うよ。試してみて」


 男は諸手を挙げて喜び、運転席に座ってアクセルを踏む。すぐに電気自動車特有の甲高い音がして、車が前に進んだ。


 彼は大喜びで散々アカネを褒め称え、次いでバックハッチに広げられた雑貨を好きに選べと指し示す。廃材で作られた原始的な物ばかりだった。それでも何か使えそうな電子部品はないかと探っている間に、男は後部座席から黒いケーブルを引っ張り出し、ピピに向かっていく。


「おい、こいつの口はどこだ? それともあんたの財布に入れればいいのか?」


 問われ、ようやく気づいた。もう一つの報酬、一ギガだ。きっとここでは電気が通貨代わりになっているのだろう。


 ピピの充電端子は見つけてある。そこを指し示すと男は少し首をひねったあげく、ケーブルの先にペンチを付けて端子を掴ませる。


 規格が合うのか不安だったが、見る間にピピのバッテリーが回復していく。そして転送量が一ギガジュールきっかりになったところで、男はケーブルを片付けて運転席に乗り込んだ。


「じゃあな。助かったよお嬢さん」そこでふと気づいたように、助手席にも積まれている荷物を漁った。「そうだあんた、〈連合〉の逃亡兵なんだろ。あんたみたいな女の子まで兵士にするだなんて、なんて連中だろうね――いや、言わなくてもいい。別に命の恩人をたれ込むつもりもねぇ。けどそんな格好じゃ、どの街に行ったってすぐ通報されちまうぜ。これ着ていけ」


 投げ渡されたのは、荒い毛編みのポンチョだった。


「あ、ありがとう」


「いいってことよ。じゃあな!」


 片手を挙げ、男は走り去っていく。


 どうも色々ときな臭いところはありそうだが、そう悪い世界でもないらしい。


 アカネは淡い希望を抱きつつ、ポンチョを被ってからピピに乗り込んだ。


「さ、行ってみようか、丑寅って街に」


 呟き、アクセルを開いた。

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