4.10. 月へ

 キャリアに斜めに据え付けられているピピに乗り込み、アカネは手早くシステムチェックを行った。オールグリーン、レールガンも含めて異常はない。次いでキャノピーの上に指を走らせて、〈ミハシラ〉と月までの距離を固定表示させた。か細いが長大な赤黒い柱までは四百キロ、月までは一万キロ弱だ。そして六千キロ地点には〈娘たち〉が据え付けた中間ステーションがあるはずだが、ここからでは判別不能。大体の位置だけ割り出し、ポイントだけ表示させておく。


 そこまで済ませたところで、トキコが後部座席に乗り込んできた。これでアカネはトキコを背負うような形になる。格好は良くないが、変形機構に干渉しないようにするにはこれしかなかった。


「済んだの?」


 尋ねると、彼女は電子パッドを差し出してきた。


「これに全部、ロケットのステータスが表示される。推力、角度、速度、燃料残量――それでこっちの赤い部分で切り離し出来る」


「了解。でもなんかプログレスバーが出てるけど」


「ファームウェアの更新中なのよ。二十世紀の代物だから遅くって。それでいいかしら? 基本的には第一段の制御は全て自動よ。アカネが何かする必要はない。ただ燃料不良に当たっちゃった場合までは手が回らなかったの。その場合はこの部分でTVCを手動制御出来る。左が止まったら右、右が止まったら左。〈ミハシラ〉を中央に捉えて」


「うへぇ、随分渋いねぇ」


 言ったアカネに、トキコはシートベルトを締めつつ言った。


「渋い、って?」


「何でもない。それで?」


「それで、第一段の燃焼は六十五秒、終了後すぐに切り離し、惰性で行けるところまで行く。計算上は最高速度が秒速1.5キロ。そうしたらこっち、アカネが作ったアンカーが射出される。それを〈ミハシラ〉に絡ませて、あとは計画通りよ。ウィンチで巻き取って主要構造体に張り付いて、レールガイドを突っ張らせる。ここはお任せして良かったのよね?」


「うん、ピピの腕で間接制御出来るようにしてある」


「良かった。それで何とか静止出来たなら、第二段のエンジン噴射よ」


『ちょっとまだ? もうエネルギーが切れちゃう!』


 二人の〈ホワイトスーツ〉にセレネの声が響いた。城門では未だにレールガンの閃光が瞬いているが、月明かりに照らされて蠢く怪物の数は減っている様子もない。一方のプログレスバーは、まだ三十パーセントに達したばかりだ。


 そう応じようとしたところで、別の声が割って入った。マーティンだ。


『無理だ、間に合わない。危険になる前に諦めて、回廊側まで撤収しろ。どうせ住民は避難させてるんだ、街がどうなろうと構わない』


 セレネには彼の得体の知れない変貌を説明してはいたが、それでも戸惑った様子で答える。


『でもドーフ・ワゴンで発狂させたとしても、そっちに向かう化け物は相当数――』


『じゃあ残って死ぬってのか? 稼げて数秒だな。結果は変わらない』


 それで片は付いたようだった。セレネが回線を切って数秒後、レールガンが沈黙すると同時に、怪物たちが一斉に雄叫びを上げる。それはジャンクの街全体を揺るがすほどの強大なものだった。やがて城壁はあちらこちらで崩されはじめたが、同時に軍団の奥の方でMMWのプラズマ砲が断続的に目映い光球を発しはじめた。計画通り、ロッドはレールガンの追尾から逃れられたものの、反逆した獣たちに襲われている。とてもこの場所を狙うような余裕はないはずだ。


 セレネと兵士たちは迷路状の街を逃げつつ、頻りに発砲していた。次第にマズルフラッシュは施設に近づいてきて、岩場に囲まれた狭隘な道を駆け上がってくる人影が見えてきた。彼らは息を切らせながら施設前にたどり着くと、そこかしこに設えてあるトーチカに身を隠す。


 もはやこちらも、ファームウェアの更新が終わるのを待つ以外にない。パークスたちも手に手にコイル銃を持ち、次第に近づいてくる地響きを待ち受けた。


『残り、どれくらい?』


 セレネに尋ねられ、気まずさを覚えながら答える。


「十パー。あと五分くらい」


 セレネは苦笑いしながら、ジャンクを背に座り込んだ。


 アカネは迷った。何か言わなければならない。だが何を言う? 自分たちを見捨てて撤退しろ? それとも最後までミサイルを守り抜け? どちらも自分らしくない。そこでアカネは諦め、マイクをピピのスピーカーに繋いで素の言葉を発した。


「何もこんなことで死ぬこたないよ。みんな! 後は適当にやって、適当に逃げな!」


 一同は沈黙したまま、起立するロケットを見上げる。


 しかし一人だけ様子が違った。セレネは途端に笑い声を上げて注目を集めると、赤毛を掻き上げながら言う。


『待って待って。手がない訳じゃないんだけど、後が面倒で――出来れば使いたくなかったの。もう少し。一分くれる?』


「――何のこと?」


『後が面倒な作戦だ』


 知っていたのか、マーティンも確固とした調子で応じた時だ。明らかな地響きが周囲に響きはじめ、ロケットランチャーも小刻みに揺れる。


 そして施設から投射されている照明の中に、一匹の野犬が飛び込んできた。途端に無数の銃撃音が響きはじめる。現れる野犬は次々に吹き飛ばされていたが、弾薬は底を尽きかけている。とても五分も持たない。


「何なの? 面倒な手って何さ!」


 混乱して尋ねるアカネの肩に、トキコが手を置いた。


「任せましょ。それより打ち上げに集中して。相当なGがかかるから」


「そんなこと言っても――まさか自滅的な作戦じゃあ――」


 トーチカの一つが唐突に崩壊した。ゴリラ熊の一匹が明かりの中に突入してくる。集中砲火を浴びても容易には倒れず、辺り構わず暴れ回った。その数は二匹、三匹と増えてきて、うち一匹が緑色の目をランチャーに向けた。それはおもむろに転がる廃車を掴み上げると、頭の上に担ぎ上げ、力任せに投げつけてこようとする。


 駄目だ、ここまでか。


 思った時、地響きがしてキャノピーの前が影で覆われた。驚いて叫び声を上げる間に、影は高速でゴリラ熊に突っ込んでいった。そして濃緑の右腕で顎を殴りつけると、脇腹を蹴り、最後は左腕からプラズマの閃光を放って巨体の半分を焼灼させる。


 MMWだ。でも誰の?


 思った時、次々と濃緑の機体が現れた。合計六機。それは次々と化け物どもを追い払い、戦線を押し戻す。


『セレネ、これでいいの?』グレティだ。


『一体どうなってるの? 状況は?』


 ロナが言う。他にも、メニリイやハトホルの声もする。それでようやくアカネは作戦を悟って、思わず苦笑いしていた。セレネは月面の〈娘たち〉を降下させただけではなく、ここを守れと命令したのだ。


「確かに、こりゃ後が面倒そうだ」


「セレネなら大丈夫よ、上手く説得する」トキコは次いで、アカネの手にするパッドを指し示した。「もう終わる」


 九十九パーセント。そしてそれが百になると、コンソールメッセージが矢継ぎ早に流れていき、ミサイルのシステムチェックが走る。最後に全てのステータスがグリーンになると、アカネはラウンチのボタンを押す前に、スピーカーで言った。


「みんなありがと。行ってくる。そして必ず戻ってくる」


『言っておく。君らには――いや、人類には色々と迷惑をかけたが、粘菌はちょっとばかり――覚えが悪いだけなんだ。全体が個で、個が全体というシステムの弊害というか――だから、頼む。彼らを救ってくれ』


 銃声にかき消そうになりながらも、マーティンの声が届いてきた。


 頭の回転が良くなったのはいいが、この手の勿体付けた台詞は大嫌いだ。〈母さん〉を思い出してしまう。


「粘菌を救う? 訳わかんない! 頼みがあるならはっきり言って!」


 思わず怒鳴ると、彼は乾いた笑いを返してきた。アカネは苛つきつつもトキコに目配せし、ラウンチボタンを叩く。


『オーケーベイベー、ヒアウィーゴー!』


 ピピのかけ声と共にシートが強烈に揺れ、轟音で耳が潰れそうになった。

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