2.6. 七百分の一

 〈連合〉の襲来というアクシデントで数日様子を見るより他になかったが、おかげで左腕はずいぶん痛まなくなった。トキコは彼らが丑寅で乱暴狼藉を働かないかと不安がっていたが、どうもそれは一人の少女が睨みをきかせ、防いでいたらしい。


「あのロッドって凄い怖い感じの娘、相当凄そう。私の二倍くらいある大きな兵隊の人も、彼女が来ると怯えちゃって小さくなるの」


 そう報告してくるトキコに、アカネは殊更に興味がない風を装いながら言う。


「関わらない方がいいよ。連中、〈魔女〉に興味を持ってるんでしょ」


 マーティンは技術搾取が目的で〈魔女〉を探しているようだが、ロッドの目的はそのものずばり、〈アーカイバ〉の殲滅だ。トキコのことだ、簡単に尻尾を掴まれるようなことはないだろうが、万が一ということもある。


「大丈夫。関わろうにも、あんな怖そうな娘、私には無理」


 数日してマーティン率いる〈連合〉の一団は、亥の街に向けて旅立っていった。〈アーカイバ〉はようやく施設の電源を全て戻し、普段の活動を再開させる。


 アカネもピピとレールガンの結合に、再度取りかかった。〈ホワイトスーツ〉のおかげで俄然作業は捗るようになったが、結局電気系の制御をオーバーライドするのは難しそうだという結論に達した。不可能ではないが時間がかかりすぎる。そこで方向性を変え、ピピの音声系の修理にかかった。こちらは音声プロセッサが幾つか潰れていたが、それは〈アーカイバ〉の確保していたパソコンパーツで代用出来た。接続してデバイスをアップさせると、スピーカはお馴染みのピピッという音を立てる。


『ややっ! さすがご主人様、なんとかしてくれると信じておりました! ちょっと以前よりSN比がイマイチですが、まぁワタクシの美声は多少のノイズがあろうとも損なわれることはございませんね。そういえばご主人様、まだ感謝のお言葉を頂いていませんよ? いえ決して強制しているわけではありませんが、あのなんだかわかりませんがすかしたデザインの安っぽいロボットと戦ったときのピピの作戦、見事だったと思いません? まさか敵も分離して戦うだなんて事は思いもしなかったようで――』


 話が長くなりそうだったので意識を飛ばし調整を続けていると、三十分ほどしてようやくアカネが施そうとしていた改造に話が及んだ。


『あぁそういえばワタクシに素敵な武器をご用意いただいているようですね? 超伝導レールガン! レールガン! 素敵な響きですねレール・ガン! なんといいますかガンと付くと何でも素敵な響きになると思いません? えぇと、ガンバスター。ガンズアンドローゼス。ドナルドレーガン。ガンモドキなんてのも――』


「それだよピピ、こいつの電力系統がイマイチなもんでさ、あんたに制御してもらいたいんだけど。何とかなりそう?」


『えぇと、少しお待ちください?』


 ややあって、ピピの隣に並べてあるレールガンがうなり声を上げ、砲台が回転し砲塔が上下し、キャリブレーションを合わせ始める。


「ちょ、ちょっと待てって! 射撃制御まで頼んでないって! 電源だけでいいの!」


 危なっかしくて、そんなの任せられない。それでも制御を手放そうとしないので、何とか切り離そうと四苦八苦していたときだ。トキコが作業場に現れ、あんぐりと口を開く。


「あら、凄いのね。射撃までやってくれるようになるの?」


「いや、違う。それは無理!」


 言ったが、途端にピピはピピッと音を立て、カメラをトキコに向けた。


『おお、トキコ様! ようやくご挨拶ができますね。ワタクシ、アカネ様の唯一無二の相棒であるピピでございます。どうかピピとお呼びください。いやぁ、こんな素晴らしい武器をワタクシのためにご用意いただけるなんて、感謝感激でございます。つきましてはワタクシ、トキコ様を第二のご主人と思いご奉公いたしますよ? とはいえ手足も動かない今の状態では素敵なソネットを作ってお贈りすることしか出来ませんが、きっとお気に召していただけるはずです』


「あ、あら、それは凄いわね。よろしくね」すぐにトキコはピピのポンコツっぷりに気づいたらしい。そそくさと寄ってきて耳打ちする。「この子、どこか壊れてるんじゃない? とてもレールガンは預けられないわ」


「そんなつもり、ないの!」


 しかしピピはレールガンを相当気に入ってしまったようだった。ようやく制御系を切り離したが電気系経由で勝手に制御ファームウェアを書き換えてしまい、もはや手の施しようがなかった。元に戻すには初期化するしかなかったが、またピピを接続すれば無理矢理制御権を掴むに決まってる。


『ご主人様、無駄ですよ。ワタクシ、このレールガンを大層気に入りました。間違いなく! これさえあれば! ワタクシは無敵なのです! どうかお任せください! いや、任せられなくてもこれはもうワタクシの物なんですけどね』


「駄目だこいつ、服従コードがぶっ壊れてる」


 呆れて呟いたアカネに、トキコは苦笑いで言った。


「まぁでも、悪い子ではなさそうだし。少し任せてみましょ? 駄目なら元の電気系に戻せばいいだけだし」


 悪気のないポンコツというのも手に負えない。しかし他に仕様がなさそうだった。


 結局足腰の立たないピピをオフロード車の荷台に載せ、双方を満充電にし、出発準備が整った。アカネはもうほとんど完治した腕で食料を荷台に積み込んでいたが、キャンプ用品を携えて現れたトキコを見て驚いた。彼女もまた〈ホワイトスーツ〉を身に纏っていたのだ。


「あれ、〈アーカイバ〉もそれ、持ってたんだ」


「いえ。〈娘たち〉が着ていた物よ。使える物は使わなきゃ。どう? 似合う?」


 頭の吹き飛んだ死体から剥ぎ取ったかと思うと少し身震いしたが、これでもトキコは崩壊しつつある世界を生き延びてきた女性だ。涼しい顔で荷積みを始める。


 地表に出たのは一週間ぶりくらいだった。相変わらず頭上には巨大な月が静止していて、途端に全身が重く感じられる。風は外輪山から袁山に向かって吹き続け、そこから月に向かって流出し続けている。


 低下した気圧に伴い発生している霧、もしくは雲は、袁山のほぼ全体を包み込んでいる。結果として四百キロの彼方にある袁山の姿というのは、灰色の巨大な臼のようにも、台風の中心のようにも見えた。アカネとトキコはホワイトスーツの上から硬い毛のポンチョを羽織り、全長三メートルのレールガンとピピをブルーシートで隠し、砂漠のただ中に車を向けた。


 こうしてみると、やはり車両としてもピピは最高の代物だったと思わせられる。〈月下〉の車は辛うじて動いているレベルの物が殆どで、砂地を走るとなると時速三十キロが限度だ。モーターは苦しそうに唸りバッテリーは加熱し、一時間ごとにリミッターに到達してしまう。その度に停めて冷却しなければならないものだから、目的地に到達するまで二日はかかりそうだった。


 しかし、そう急ぐ旅でもない。暗闇の危険を避けて〈昼の夜〉は車を停め、昼食の堅いパンと干し肉を食べて二時間ほど昼寝する。午後の日の出と共に再出発し、日暮れまでに到達できたのは、やはり道半ばという所だった。ピピならばとっくに袁山に到着している頃だ。


 キャンプといえばたき火だが、〈月下〉は草木に乏しい。加えて砂漠の真ん中だ。トキコは車を風除けとして地面にLEDカンテラを置き、電熱コンロでスープを作り始める。この手の作業は苦手だ。アカネは努力の姿勢を見せることすら諦めていて、料理を続けるトキコをぼんやりと眺めつつ呟いた。


「人口一千万人か。よくそんなに生き残ったもんだね」黄金色に輝き始めた頭上の月、そして見渡す限り砂丘しかない周囲を見渡す。「月の視野角からいって、以前と比べて距離は十分の一以下になってる。それがもたらす潮汐力がどれだけあるか」


「正確に言えば、月の軌道は地球の地表から一万キロの位置に中心があるわ。月の表面と地球の表面の距離は、約九千キロ」


「そんなに近いんだ」改めて恐怖を感じつつ、手が届きそうなほど巨大な月を見上げる。「てことは距離が三十五分の一なんだから、潮汐力も三十五倍。三十五倍? よく月の地殻がもってるね。バラバラになって地球に落ちてきてもおかしくないんじゃあ――」


 そこでトキコは鍋をかき混ぜる手を止め、表情を硬くし、言った。


「あれは過去の記録にある――そして多分、アカネの知っている――〈月〉ではないわ」


「どういうこと」


「ロッシュ限界。知ってるわね。地球の重力は強大よ。それに引かれた小惑星は、ある一定の距離にまで近づくと自身の形を保っていられなくなり、分解する。その距離は地球と月の場合、二万キロと算出されるわ」


「とっくに、分解していてもおかしくない」


「そういうこと。ロッシュ限界のファクターは密度だから、〈あの月〉の密度は過去の記録にあるものより遙かに高いはず。加えてこの軌道も妙だわ。地球の静止軌道は、対象の質量に関わらず三万六千キロの位置になるはず。あんなに低い所にある月が地表から見て静止しているはずがないし、当然〈ミハシラ〉みたいな物を作れるはずがないのよ」


 だからあれは、アカネの知っている月であるはずがない、ということか。


「それで、〈アーカイバ〉の答えは?」


「答えなんてないわ」トキコは笑った。「だいたいにして月は本来、地球から徐々に遠ざかっていたはずなのよ? それがこれだけ近づいて、分裂もせず、静止軌道にある。〈娘たち〉が何かしたのよ。それ以外の推理なんて不可能。私たちが月に行かない限り、永遠に解けない謎ね」


「当時の地球の負荷も半端じゃなかったろうね。地殻は歪み、火山の噴火や地震が頻発し、大気はマイクロダストに覆われ寒冷化。農作物は深刻な不作に見舞われ、飢餓、暴動、資源を求めて難民が大量発生して大混乱。そんなとこ?」


「一つ忘れてるわ。重力の変動によって人工衛星は軌道を維持することが出来なくなり、のきなみ運用不能に陥る」


「そっか。気象衛星、観測衛星、通信衛星、全てがどっか行っちゃったら――正確な情報は誰もわからず、物流も通信も全て崩壊。やっぱり一千万人も生き残ってるのが奇跡に思える」


「海岸線は常に変わり続けている。〈アーカイバ〉の任務に地図の作製もあったのだけれど、きりがなくて。もう何十年も前に放棄されたわ。極圏は拡大し、ハビタブルゾーンは日に日に狭まっている。でも知っている? 人類の祖先って、たかだか五百人くらいの集団だったらしいわ。それが戦争や飢餓なんかがあっても、結局七十億人まで増えたのよ。凄いと思わない? だから私は、全然何も悲観していない。それも〈娘たち〉次第ではあるけれど」


 笑顔で言いながら、トキコはスープの入ったブリキ腕を差し出す。きっと彼女はアカネの言葉を、過去人の悲観と捉えたのだろう。しかし彼女たちは過去人たちと同様に、ただ今をより良くしようと生きているだけだ。人類の強みは適応力にあると聞いた事もある。こんな世界でも時子の子孫は適応し、前に進もうとしている。なんと心強いことだろう。


「むしろ私としては、七十億人も人がいたなんて方が信じられないわ」トキコは楽しげに続けていた。「ねぇ、2020年って、どんな風だったの?」


「どんな、って言われてもね」


 言われてみれば、ろくに考えたこともなかった。


 あの世界と今の世界、何がどう違っていて、どちらが幸せで楽しい世界なのか。


「結局、やってることは一緒なんだと思うよ。みんな必死に生きようとしてる」


「でも医学とか、科学とか。そういうものが助けになったんでしょう? 私、時々考えるの。記録に残されている素晴らしい技術があったなら、人々はさぞ高いところを目指せたんだろうなって。毎日のご飯や寝床や地震なんかに怯えることなく――」


「人が今の七百倍も生きていて、七百分の一なんだよ」


 ふと、一つの答えにたどり着いたような気がした。その糸をアカネは、慎重に引っ張っていく。


 以前から――2020年には、よく感じていたことだ。世界は複雑なシステムになり続け、相互依存関係が絡み合い、より強固な系となり――人一人が生み出すことの出来る突飛さや奇抜さ――そうした意外な楽しいもの――は、たかが知れている状態になってしまった。もはや英雄や悪党の時代ではなく、世界を動かせるのは強大で移ろいゆく集団的無意識だけ――ネットはそうした無意識同士をより安易に結合させ、世界は小さく分化していき、互いに摩擦は起きるがシンボルは不明で、一体どれだけの人々が何を信念として戦っているのかもわからない。


 だからアカネは世界を揺るがす個人、という存在に憧れたのだ。あの混沌としていて意図など存在しない世界で、確固とした意志と目的を表明できる存在。誰にも媚びず、誰にも靡かず、ただ我が道を歩んでいける人物。明確で、明瞭で、七十億中の誰にでも意見の表明を強制できる存在。そうしたものがなければ世界はエントロピー拡大の法則に従って希薄になっていくだけだ。


 そう、思っていた。だがそれが七百分の一の世界では、どうだろう。虚ろな意識を結合させるネットもなく、より生きるのに必死な人々の世界。七十億分の一ではなく一千万分の一が表明し、声を大にして主張できる世界。より個人の存在、個人の意識がクローズアップされる世界。


 あの世界と比べて、この世界では一人が七百倍の価値を持つ。


 アカネの信念に対してそれは、素晴らしいことのように思えるが――


「つまりそれは、みんなの重荷が――七百分の一で済む世界、ということかしら」


 首を傾げつつ問うトキコに、あっ、と声を上げた。


 そうだ。七百分の一。それはただの結果であって、影響は捉える人によって異なる。アカネのような無頼漢にとってみれば大暴れするチャンスと捉えられるし、トキコのような保守的な人にとってみれば、人類なんて存在に対する責務がそれだけ軽くなる。そうとも取れる。


「だからトキコが好きなんだ」


 思わず言ったアカネに、トキコは目に見えて動転した。


「えっ? どうしたの急に」


「私は頭がおかしいから。トキコみたいなのがいないと駄目なんだ。トキコのご先祖様にも、よく怒られたよ。『茜、無茶しすぎ!』って」


「そうなの? っていうか私のご先祖様って、どんな人だったの?」


「トキコと良く似てる――いえ、よく似てたよ」


 その彼女も、百年以上前に死んでしまっている。


 一体時子はあれからどうやって生き、どうやって死んだのだろう?


 何をおいても調べなきゃいけない。


 アカネはそれは、自分の義務のように思えた。

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