4.3. 2036

「緊急の課題が発生したため、皆さんを招集しました」


 これは〈娘たち〉の会合を始めるときの決まり文句だった。ただ雰囲気を出すためのもので、緊急事態なんて起きたことがない。それでネット会議で繋がれた一同は笑い声を上げ、セレネの妹分だったスカンジナビアの侯爵の娘、今ではアメリカの大手製薬会社で研究員をしているクーがすぐに茶化した。


『こないだ会合したばっかだってのに。よほどの緊急事態なんだろうねぇ?』


「えぇ。その通り」


 真顔で答えたセレネに、一同は怪訝な表情を浮かべる。それでも冗談の続きだと信じて疑わないオリンピック金メダリストのチャンウーが言った。


『何? 今度はスターリンが生き返った? それともナチの月面基地が発見された?』


「そう、その月が問題なんだ」セレネと顔を付けるようにしてカメラを覗き込み、茜は言った。「今度はお遊びじゃない。私ら〈娘たち〉が本気を出すときが来たと思う。冗談じゃなく、大真面目にね」


 今度は誰も茶化す声を上げない。皆は唐突に不安そうな表情を浮かべ、茜の言葉に聞き入った。


 状況は次第に異常さを増していた。月の接近は確実に起き始めている。衛星の軌道異常は相次ぎ、予定されていた衛星の打ち上げはイーロンによって全てキャンセルされてしまった。理由を問いただしたが、明確なことは何も話してくれない。これは全世界の宇宙関連企業で同時に起きているらしい。上層部から業務の一時停止を命じられ、質問は一切受け付けられない。


 更に妙なのは、イーロンから有人火星飛行のための宇宙船開発を急ぐよう命じられたことだ。こんなのは彼の道楽で、リソースも余剰分しか使っていなかった。どうせ打ち上げが停止されて暇だろうというのが彼の言い分だったが、それにしては早急に見直したスケジュールを報告するよう厳しく言いつけられている。


「他にも、欧州議会の安全保障委員会が密かな会合を繰り返している」これを説明するのは、有力議員の秘書を務めているセレネだ。「通常は秘書が議題や草稿の確認をするのに、それも禁じられている。何か妙な事が起きてる。それは間違いない。みんなも何か、ここ数ヶ月で異常を感じた事ってない?」


 数秒、互いを探るような沈黙が落ちる。最初に口を開いたのは、米軍の統合参謀本部に籍を置くメニリイだ。


「ここ、〈娘たち〉よね。秘密は絶対厳守。たとえ親兄弟恋人であっても。それは変わってないわよね」


「私はそれを信じてる」と、セレネ。「でないとこんな話ししない。今話したことが少しでも漏れたら、私の政治家生命は終わり」


「わかった。なら言う。宇宙軍が軌道核プラットフォームの照準を変える試験をしてる。ターゲットは月」息をのんだ一同に、彼女は続けた。「あくまで有事に向けた試験で、他国に脅威を与えないために月を照準にしたと言ってるけれど。これは変だとみんなが感じてる。月と地球では軌道計算要素が全然違ってくる。何の試験にもならないって」


「実は私も――」


 次々と〈娘たち〉から異常な報告が相次ぐ。彼女たちの殆どが世界各国の要職についているだけあって、内容は極秘の代物ばかりだ。しかし様々な分野に跨がっていて、何が起きようとしているのかは判然としない。だが幾つか共通する要素はあった。それは月と、大規模な地球環境の変動への対策。異変の始まりは、NASAが実施した有人月面探査プロジェクトらしいという点。


「やっぱり、どうにかしてプロジェクトの正式な報告書を手に入れたい。誰か伝手はない? 最悪セレネの議員をハッキングする手もあるけど、関係が近すぎる。出来ればやりたくない」


 ここまで来れば、皆手慣れている。十年間〈娘たち〉では散々繰り返された作業だからだ。ようやく誰を脅せば誰に繋がって、という線が見え始めた頃、ふとメニリイが言った。


「そういえばあれ、日本人も行ってたよね。ツクヨミはパスないの」


「いやいや。あのプロジェクトは調べたけど、行ったのは全員NASAの人で」


「そっか。そこからか。あれ、公表された人員は全部ダミーだよ多分。実際は世界各国の研究員が集められたみたい。良くあることだから気にもしなかったけど――」さすが参謀本部にいる人は、良くあることのレベルが違う。「ちょっと待ってね。名前は、えっと――トキコ・ヤダ。JAXAの研究員らしいけど、知らない?」


 何か聞き覚えがあるな、と記憶を探ったが、すぐに十数年前の記憶が蘇ってきた。矢田時子は、高校時代の親友の名前だったはずだ。


 報告書の線はそこに絞ることとし、他のメンバーには五年はアップデートしていないGAFAデータベースをハッキングして最新にする仕事を依頼する。何があるにしても、そこにはほぼ全ての人類の情報が格納されている。有力な手掛かりは必ずあるはずだ。


「そういや、ロッドは?」


 オンラインになっていない彼女が気になり最後に尋ねると、セレネが難しい顔で応じた。


「彼女は卒業以来、一度も顔を出してない。何処で何をしてるのやら」


 ロッドの性格上、無理にでも引っ張ってこないと駄目なのはわかっていた。しかしキャンパスという共通の場所がない今、それも難しい。それでも最悪の事態では彼女の異常なセンスが役立つ。


「GAFAのデータベースが更新されたら探ってみる。多分見つけられるよ」


 大学でデータマイグレーションの研究を続けているグレティが応じた。彼女は砂の山から針を見つけられる人だ。茜は安心して時子の記録を探ることに専念した。


 SNSの記録から、京都大学で博士号を取得してからJAXAに入った所まではわかった。やっぱり茜の知る時子に違いない。しかし彼女の更新は月面探査の半年前から途絶えてしまっていて、友人から心配する書き込みが何件か行われていた。仕方がなく卒業アルバムを発掘して実家の連絡先を見つけ出し、直接電話してみる。幸いにして母親は茜の事を覚えていた。今はアメリカにいるという。通じるアドレスをもらうと、大きく息を吐き緊張を解してから通話を入れた。


 画面には、眼鏡をかけて首の後ろで髪を結っている小さな頭が映し出された。記憶と完全に符合する様子に安堵し、茜は言った。


「よっ。誰だかわかる?」


 すぐに彼女も記憶が蘇ってきたらしい。大きく口を開き、それを片手で隠しながら応じた。


『まさか、茜?』


 単に高校の頃の知り合い程度の位置づけだったら、どうしようかと思っていた。しかし彼女の中で茜は十分に重い地位を占めていたようで、あれからどうしていた、元気にやってるかといった話が矢継ぎ早に続いた。〈娘たち〉の事は伏せてスペースXにいることを話すと、彼女は満足したような表情を浮かべた。


『そうよね。茜なら何かしてると思った。ちょっと、期待外れではあるけれど』


「っていうと? 中東でテロリストでもやってるかと思った? じゃなきゃ新興宗教の教祖とか」時子はひとしきり笑ったが、否定もしなかった。そこで茜は本題に切り込んでいく。「卒業の前にさ、進路の話をして。月の異常を探りに行きたいねって。覚えてる?」


 途端に時子は表情を曖昧に変えた。


『そうね。そんなお話もしてたかしら』


「夢を叶えたのは時子の方だったね。行ったらしいじゃん、月に」


 時子は身を起こし、通信コンソールで何かの操作を加える。それを終えると画面を覗き込み、茜側の背後を探った。


『それ、イーロンに聞いたの?』


「まぁね。すぐ連絡して羨ましがろうと思ったんだけど、なかなか捕まらなくて今になっちゃった。どうだったの? なんでまた極秘計画になってんの」


『別に極秘ってわけじゃないわ。ただ選ばれた人たち、みんなメディアとかに露出されたくないって人ばかりだったから。それで公表されてないってだけ』


「ふぅん。それで、何か見つかったの?」


 時子は表情を明るく変え、即答した。


『別に。ありきたりな岩と砂だけ。公表されてる通りよ』


 分厚い壁を感じる。茜は後を適当な会話で終わらせると、〈娘たち〉のグループチャットに接続してキーを叩いた。


『矢田時子は黒。何か知ってる。誰かこのアドレスをハッキングできる?』


 応じたのはグレティだった。


『GAFAのDBにある。パスワード使い回してたら、これのどれかで入れる。』


 茜は何重にも回線を偽装し、時子のアカウントにログインを試みた。三つ目のパスワードで入り込める。そこから通信履歴を探ってみると、世界中の様々な学者と連絡を取り合っているのがわかった。内容は断片的で理解が追いつかない。しかし相当の危機感を持っているのは確からしく、人工衛星の軌道問題についても敏感に反応していた。


 やがて、数ヶ月前に月面探査報告書の草稿をやり取りしている場に行き着いた。ダウンロードし表題を改めると、公表されている物とは全然違うことがすぐにわかる。


『月面に繁殖する粘菌状生命体およびそれの与える影響に関する報告書』


 目が回って、椅子の背もたれに倒れ込んだ。


 ざっと流し読む限り、茜と時子が科学実験室で目撃したエメラルドグリーンの輝きは、粘菌状生命体の生息する彗星が追突した結果だという。あれから十四年、粘菌は月面下にある氷床と太陽光を利用し繁殖し続け、今ではそのコロニーが地殻にまで及んでいるらしい。表面は粘菌の死骸で硬化し、内部はマントルのように粘菌が流動しており、元の月とは完全に別の衛星と化してしまっている。


『私たちは行くのが遅すぎた』時子は結んでいた。『もう月は月ではなく、巨大な粘菌生命体と化してしまっている。彼らの意志を左右することは(それがあるか否かは議論の余地があるが)もはや私たちには――』


「不可能である、か」


 茜は呟き、報告書を映し出したパッドを投げ出した。

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