最終話 毒舌なご主人様と、従順な下僕

 僕たちは水族館を出ると、そばにある大観覧車に向かった。

 優先的に乗車できる券を事前に購入しておいたため、長蛇の列には並ばずに済んだ。これも祈聖の入れ知恵である。


 ――ガチャン。

 観覧車の扉が閉ざされると、グラグラと揺れながらゴンドラが上昇していく。

 向かいの座席に座る天音は窓に手をつけて、茫洋とした海の景色を俯瞰していた。

 ……可愛いな。

 外面が良い分、やはりというべきか、佇まいだけでそう感じさせられる。


 彼女が横目でこちらを見やると、僕は慌てて天音と反対方向の街の景色を眺めた。


「なんで動揺してるんですかぁ?」

「うっせ」

「私に見とれちゃいました?」

「……うっせ」


 あはっ、と天音があざとく笑う。

 彼女はとろんとした瞳で、亜麻色の毛先を指で弄った。


「二人きり、ですよ」

「そうだな」

「誰も見ていませんし、今ならなんでもできますよ」

「そうかもな」


 このシチュエーションで、男女の高校生が密室で二人きり。

 冷静に考えて、なにか起きない方がおかしいだろう。

 それも、一般的な男女であれば、だが。


 天音の誘惑は、僕が盛り上がった雰囲気に飲み込まれて、これまでの関係を踏み壊すような真似をしないとわかっていての発言だろう。……もしかしたら、手を出されたらラッキーくらいに思ってるかもしれないけど。

 僕は深呼吸をして、天音に問いかける。


「誠意を行動で示すって、こういうことじゃないだろ?」

「さぁ、どうでしょう?」


 天音は考えるように間を取り、言葉を続けた。


「私はそれでもいいかもしれませんよ?」

「…………そうか」


 僕も一瞬だけ、考える間を取った。


「じゃあ、どうなっても知らないからな――」


 そして、僕は天音の太ももの上に乗りかかった。

 暴れて抵抗できないように、彼女の両腕を強く掴む。


「――きゃっ!?」

「動くな」


 そう、天音の耳元で囁いた。

 彼女の肩がビクンと跳ね上がる。


「せ、先輩……いきなり、どうしたんですか……っ」

「こういうことでも、いいんだろ?」

「やっ、ちょ、耳元はずるい……やめてください……」

「やめてほしいのなら抵抗してみろよ」


 天音は力任せに腕を振りほどこうとするが意味を成さず。

 諦めたようにピタリと大人しくなった。

 屈辱や羞恥の色を顔に浮かべながら、天音は目尻に涙を溜める。


「……も、もう、好きにしたらいいじゃないですか」

「ああ、好きにさせてもらうよ――」


 僕は天音の両腕を開放してやる。

 その代わりに彼女の頬を両手で固定してやると、僕は天音の薄く色付く朱色の唇に狙いを定め、接物しそうなほど口を近づけた。

 天音はぎゅっと目蓋を閉じると――僕は堪えきれずに吹き出してしまう。


「くくっ――」

「ふぇ……?」


 天音は訝しむ顔付きで、ゆっくりと目を開ける。

 そして、ようやく僕に弄ばれていたという状況を理解したようで――


「っ~~~~!? せ、せ、先輩のばかっ!!」


 顔を真っ赤にして怒鳴りつけてくる。


「このままキスしたほうがよかったか?」

「うぅ……もう知りませんっ!」


 僕は天音から離れて席に戻る。

 小さく息をつくと、僕は「まあまあ」と天音を宥めた。


 明らかな立場逆転。

 僕がご主人様で、天音が下僕。

 確かに天音の反応は珍しくて面白かったけど――


 ああ、やっぱり、これを続けるのは骨が折れるな。

 僕はそう確信をした。




***




「むむむ、なんでここに連れてきたんですか……」


 祈聖と訪れた公園、そのテレビ塔の真下までやってくると、ここまで口を閉ざしていた天音がげんなりと声を漏らした。彼女はかなりのご立腹らしく、観覧車を降りてからというもの、道中で僕が話し掛けても不貞腐れたように無視されていたのだ。

 その天音が不機嫌に呟くくらいなので、相当不満が溜まっているらしい。


「まぁまぁ、いいだろ?」

「よくないですよ。他の女と遊びに来た場所に私を連れてくるのはダメって教えたじゃないですか」

「……いや、それ初耳なんだけど」

「ふんっ」


 なんだよ、その謎の決まりは。

 とりあえず天音が独占欲を丸出しにしているのは理解できた。

 確かに逆の立場なら、僕も少しは同じ気持ちにいなるかもしれない。けれども、さすがに僕だって天音のように唐揚げ店を指差して、「お詫びに奢ってください」とは言わないぞ。いや、それくらいいいんだけどさ。


 渋々と財布を取り出して、唐揚げを注文しようとする。

 移動が重なり体力を消費しているせいか、それなりに食欲はあった。夕方までまだちょっとあるが、一人一個食べても問題ないだろう。

 そう思い、僕は店主に注文をすると、


「すみません、唐揚げ二個下さい――」

「唐揚げ一個下さいーっ!」


 天音に遮られて、注文数を減らされた。

 どういうことだと睨みを利かせると、天音は対抗心を燃やしたような瞳で睨み返してくる。


「(あのクソメンヘラ女とは仲良く分け合っていたじゃないですか)」

「(お、おう……)」


 天音は小声で囁いてくる。

 要するに、他の女とは分け合っていたのだから、自分にもそうしろということだろう。いかにも天音の考えそうなことだ。

 まぁ……それを了承してしまう僕も僕だけど。


 店主から唐揚げを受け取ると、僕たちは手頃なベンチに腰を掛けて、長身の爪楊枝を掴んだ。


「ほら先輩、ちゃんと食べさせてくださいよ?」

「祈聖にはそこまでしてなかったんだけど……」

「だからこそじゃないですか。あの女とは分け合って食べていたんですから、私とはそれ以上のことをしなきゃダメです」

「理路整然と言われると納得しそうになるけど、やっぱりおかしいよな?」

「むぅ、あーんなんてもう今更じゃないですか」

「ああ、うん。そうやって言われる方が納得するわ」


 丁々発止を繰り広げても、どうせ話は輪転するだけだ。

 会話を切り上げるように、僕は未だに慣れない手つきで小ぶりな唐揚げを爪楊枝で刺すと、平静を装いながらそれを天音の口元に運ぶ。


「あ……んっ」


 かくいう天音の動作は手慣れたものだった。

 彼女は前髪の触覚部分を耳に掛けると、小さな口で唐揚げに齧り付く。


「んっ……ぺろぺろ、あ……んっ」


 咀嚼した物を飲み込むと、天音は舌を器用に伸ばした。

 まるでチョコバナナでも舐めるように唐揚げに舌を回すと、それから残りの分を全て口に含ませる。


「おい、余計なことするなよ!?」


 堪らずそう叫んだ。

 な、なななななにしてるんだよこいつは!?

 僕は唐揚げがなくなった爪楊枝の先と、自分の下腹部へ交互に視線を泳がせる。

 それを見計らった天音は、口まわりを舌で舐めると、重心を低くして僕の股間付近に顔を持ってきた。


「せ・ん・ぱ・い! これも私が舐めてあげましょうか〜?」

「……冷めないうちに早く食べてくれ」


 精一杯、そう答えるのが限界だった。


「ふへへ、我慢しちゃって可愛いですね♡」

「うるさい……食べないならこれ、僕が全部食べるからな」

「あーっ! だ、ダメですよ〜! 私もまだ食べたいです!」


 僕が唐揚げに齧り付くと、天音は声を荒げて制止させてくる。

 ふん、これはお返しだよ(もぐもぐ)。


「むぐぐ……はぁ……。まぁいいですけどね、先輩のことまだ許してませんし。あ、そうですよ、まだ許してないんですよ!!」

「おい、完全に忘れてただろ」

「こ、これはノーカンってやつです」

「天音もたまにそういうところあるよな」

「っ〜〜〜〜!!」


 観覧車でのことは完全に別枠であるが、僕が天音を弄れるのはこういう時くらいだ。ならせめて思う存分弄り倒してやろうと画策するが、それは天音の小突きによって見事に阻止された。

 僕は横腹を負傷した上に唐揚げまで強奪されてしまう。


「今度は私の番ですっ!」

「え、舐められたいってこと……? そういうのはちょっと……」

「ち・が・い・ま・すっっっ!!!」


 天音は顔を赤くして拒否する。


「あーんに決まってるじゃないですか!」

「ああ、そっちね……」

「先輩のえっち。……別にしたいならしてもいいですけどね」

「いや、遠慮しておくよ……。それにほら、まだ許してないんだろ?」

「あ……」


 ……おい、また忘れてただろ。

 誠意を行動で示せと豪語した張本人がこの有り様では、僕だけ妙に緊張しているみたいじゃないか。

 それならこの後、天音にはとことん恥ずかしい思いをしてもらおう。

 僕はそう決意すると、天音から差し出された唐揚げに食いついた。




 間食もそこそこに、僕と天音は園内を散策していた。

 グローバルブランドの財布を強請られたり、流行りのコミックを全巻買わされそうになったりもしたが、それとなく危機を乗り越えると、僕たちはまたテレビ塔の真下まで戻ってきた。


 空にはオレンジ色の夕焼け雲が広がっている。

 心なしか園内の人通りも増えている気がした。


「……そろそろ教えてくれてもいいと思うんですけど。わざわざデートに誘って、ここまで連れてきた意味を」


 天音は僕の裾をぐいっと引っ張ると、上目遣いで尋ねてきた。

 僕は自然を感じる空気を吸い込み、吐き出すと、「そうだな」と言葉を紡いだ。


「ちょっとだけ場所を移してもいいか?」

「……はい? いいですけど」


 彼女の手を取ると、僕はテレビ塔付近に備え付けられているステージに上った。

 本来はちょっとしたライブやイベントで使用される場所だ。

 一般客の立ち入りが禁止されているわけではないので、それ以外の時はよく子供がここではしゃいでいたりする。

 ただ、今はここに僕と天音しかいない。

 たまたま誰もいなくて助かったと、胸内で安堵のため息をついた。


「こんなところに上がって、どうしたんですか」

「まぁ、ちょっとな」


 僕は言葉を濁して、ステージ前の広場を見やる。

 まだ改装されて間もないからか、行き交う人は学校の廊下にいる生徒よりも多い。

 ふと、ちらほら視線を向けられていることに気づくと、天音は居心地が悪そうにぼやいた。


「ここ、目立つんですけど……」

「そりゃあ、目立つ場所を選んでるからな」

「……むぅ、どういうことですか」


 ややあって、僕は答える。


「これから言うから、最後まで聞いていてほしい」

「……わかりました」


 そう言って天音は押し黙った。

 それを確認すると、僕は流暢に言葉を並べていく。


「……僕はさ、これっぽっちも天音の気持ちがわかってなかった」

「………………」

「僕のことを追いかけて同じ高校に入学してきたのに、その為にきっと必死に勉強を頑張ってきたのに、僕はその気持ちを汲み取ってあげられなかった」

「………………」

「それなのに天音のことを邪険に扱ったりもした。拒みもした」

「………………」

「祈聖と偽デートをした帰りに天音と会った時、『ちょっと出掛けてきただけだよ』って嘘もついた」

「………………」

「天音と真剣に向き合おうとしてたけど、僕はその気になってるだけだった」

「………………」

「天音は僕の為に色々と尽くしてくれてたのに、僕は天音になにも出来てなかった」

「………………」

「だから――ごめん」


 僕は丁寧に腰を折って、天音に謝罪を告げた。

 顔を上げてみると、天音はどこか安心したように微笑んでいる。


「えへへ、もういいんですよ。実のところ、半分意地を張っていただけなので」

「それはまぁ、なんとなく気づいてたけどさ……」

「ですよね。だから今回の事は水に流しちゃいましょう!」


 そう言って、天音は僕に近づいてくる。

 だけど、それじゃダメだ。

 これだけじゃ、誠意のある行動とは言えない。


「待ってくれ。まだ最後に一つだけ、天音に言いたい事があるんだ」

「そ、そんなに改まってどうしたんですか?」


 天音が小首を傾げて尋ねてくる。

 どうした、なんて、決まってる。

 僕と天音の新しい関係を、作るだけだ。


 だから――



「僕を、天音の下僕にしてほしいっっ!!」



 ――僕は腹の底から力を入れて、大声で叫んだ。

 広場に集う人は何事かと、一斉にこちらに振り返った。

 それは天音も同様で、彼女は大慌てで「え、え!?」と戸惑っている。


「ちょ、せ、先輩!?」

「天音に、僕のご主人様になってほしいっっ!!」

「うぅぁ〜〜〜〜〜〜っっ!! わ、わかりましたからぁ!? ね、ちょっと落ち着いてください!!」

「でも、こうしないと僕の想いが伝わらないし!!」

「十分伝わりましたから!? むしろ想いが重すぎるくらいですから!?」


 蒸気を発しているかのように天音の顔が茹だった。

 彼女は「もうっ!」と声を荒げて、僕の腕を引っ張って場所を移動する。亀を引きずり回すような乱暴さだが、こればかりは文句も言えまい。


 人がいない物陰まで移ると、天音は肩を上下させて問い詰めてくる。


「せ・ん・ぱ・いっ!! あれ、どーいうことですかぁ!!」

「どうもこうも、そのままの意味だけど」

「そのままの意味だけど、じゃないですよ!?」


 天音は怒号を飛ばして、僕の頬をつねってきた。


「あんなこと言われなくても、先輩は私の下僕じゃないですかっ!!」

「そ、そうだけど……ちょ、い、痛い痛い!?」

「痛くても我慢してください! 私の恥ずかしめに比べたら安いもんですよ!」


 頬を最大まで引っ張ると、ぱちんと指が離される。


「……でも、その、不安で」

「不安ってなんですか。ご主人様の私が、下僕の先輩を見捨てるわけないじゃないですか。ばかなんですか?」

「いや、実際見捨てられそうだったし……」

「っ〜〜〜〜! そ、それはちょっと前の話です!」


 僕は口先を尖らせると、外方を向いた。

 ……くそ、僕だけ内情を告げるなんて不平等だ。


「はいはい、拗ねないでください〜」

「別に、拗ねてないし」

「拗ねてるじゃないですかぁ。しょうがないですね、これで機嫌直してください――」


 今度はつねるわけではなく、手のひらで僕の両頬を掴むと、彼女はそのまま――


 ――ちゅっ


 僕に口付けをした。


「な、な、なぁ――!?」

「えへへ、可愛い下僕へのご褒美ですよ〜!」


 それは中学振りのキスだった。

 天音の柔らかい唇の感触を、久しぶりに味わった。

 ああ、僕はもう、きっと天音がいないと生きていけない――


 不覚にも、そう思ってしまった。

 そういう風に、調教されてきたから。

 だから下僕がご主人様にお礼を言うのも、当然のことなのだ。


「あ、ありがとう……」

「あ〜〜〜〜!! 先輩可愛いですね〜っ!!」

「ふ、ふん……そんなことない、だろ……」


 頑なに否定すると、天音は僕と手を繋いでくる。


「先輩の家に行きましょう! あ、途中で下着だけ買ってもいいですか?」

「……なんだか嫌な予感がするんだけど」

「えへへ、多分それ、当たってますよ」

「……今日はもう解散とか――」

「するわけないじゃないですかぁ♡」


 天音は小悪魔的な笑みを浮かべて、僕の退路を断ち切った。

 ……まぁ、いいか。どうせ、天音には逆らえなんだ。


 ――毒舌なご主人様と、従順な下僕。

 僕たちは、そういう関係なのだから。






 END












ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


【あとがき】


 今話が最終話となりました。

 完結まで物語を読んでくださった皆様、ありがとうございます。

 公募に参戦していて更新停止していたのにも関わらず最後まで追ってくださった皆様、更新再開から見つけて読んでくださった皆様、本当に感謝の言葉しか出てきません。


 さて、じきにカクヨムコンの時期がやってまいります。

 書籍化を目指している身として自分も参加するつもりなので、あと数ヶ月間はカクヨムにて複数作品を投稿、完結させるつもりです。

 今作はラブコメでしたが、本日、新作でファンタジーを出しました。


「『王国彫刻師』であるボクは、王女様と一緒に魔導学園へ入学する 〜彫刻刀から斬撃を飛ばすのなんて、常識だろう?〜」

https://kakuyomu.jp/works/1177354054934260276


 よろしければ、こちらも応援していただけると幸いです。

 時期は未定ですが、近いうちに新作のラブコメも投稿開始する予定です(現在、設定を練っております)。

 今作のようなラブコメがお好きな方には気に入っていただけると思いますので、もしよろしければ作者アカウントの方も定期的にチェックしていただけると嬉しいです。


 改めまして、最終話までご愛読していただきありがとうございます。

 新投稿した作品のあとがきで、またお会いできることを切に祈っております。

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