第30話 許せません!?
廊下から小さな足音が二つ響いてくる。
ややあって、一年校舎の多目的室の扉が開かれた。ガラリと古い木製の扉が軋む音を立てる。多目的室に二人の女子生徒――天音と岩井日和がやってきた。
「……先輩、どうしてここにいるんですか?」
「それは……」
僕は岩井日和のほうを見やると、彼女は手にしていた資料を教壇の上に置き、「じゃあ日和はこれで」と言い残して去っていく。
岩井日和が物申した協力とは、こうして特定の教室に天音を連れてくることだった。同クラスの彼女であれば適当に理由付けをして天音を引き連れてくることなど容易かっただろう。
「そういうこと、ですか」
「ああ、ごめん」
天音を謀ることに多少の罪悪感が生じるが、僕の手の内が読まれている以上、こうでもしなければ彼女と話し合いをすること自体できなかったのだ。怜悧な天音はそれをすぐに察したらしい。
僕は丁寧に腰を折ると、天音はため息をつきながら彼女と分け合っていた残りの資料を教壇の上に乗せる。
「先輩、日和ちゃんまで毒牙にかけたんですね」
彼女は相手にするだけ時間の無駄だと言わんばかりに、僕の横を通り過ぎて多目的室を出ようとする。僕は腕を広げて天音を堰止させた。
このチャンスを逃したら、きっと二度目はない。
すんなりと帰るわけには、いかない。
広げた腕をそのまま動かして天音の両肩をがしっと掴んだ。
衣服越しに細くて柔らかい感触が伝わってくる。
「……痛いんですけど」
「ごめん」
「謝るくらいなら離してください」
「嫌だ」
天音のことを見据えながら、僕は固辞する。
「そうやって手前勝手を押し付けてこないでください。私は先輩の都合のいい女になりたくないです」
「……せめて話だけでも聞いてくれ、頼む」
誠実な思いを込めて懇願すると、天音は顔を俯けて押し黙る。
長い付き合いから、僕はそれが了承の証だと察した。
天音も心のどこかで、僕と祈聖が一緒にいた光景がなにかの間違いだったと、そう思っているのかもしれない。僕は胸を撫で下ろしながらそんなことを考える。
彼女の両肩を解放すると、そうだな、僕は下駄箱に一枚の紙切れが仕込まれていたところまで記憶を逆行させた。
『今夜22時に○○公園でお待ちします』と紙切れに記されていたこと。好意を感じさせない紙切れを寄越されたので告白ではないと確信していた。だから夜更けの
公園に出向いたこと。
そこで祈聖が現れたこと。彼女から悩み事を吐露されたこと。僕に白羽の矢が立ったのは宮寺からの推薦だったということ。間接的に宮寺から頼み込まれたことでもあったので断れなかったこと。祈聖に恋人がいると周知させるのを目的として、一日限定で彼氏役を務めることにしたこと。祈聖と別れてから、ストーキング行為を働いていた者たちを退治しにいったこと。
全てが終わり帰ると、天音に出会したこと。
「――岩井日和とはたまたま食堂で遭遇しただけだよ。そこで中学でのことを謝ってくれたんだ。ついでに天音と上手くやれてるか尋ねてみたりしてさ、そこから話が派生して僕に協力してくれることになった。あの子はただ罪滅ぼしをしようとしただけだから、怒りの矛先は僕にだけ向けてほしい」
一から十まで事の全貌を曝け出すと、天音の拳が力強く握られた――ような気がした。
彼女は一瞬身体を震わせると、俯けていた顔を上げる。
天音の目尻に涙が溜まっているのを見て、僕は視線を逸らした。
「先輩はそうやって……」
あぁ……僕はまた、天音を泣かせてしまったのか……。
全身から血の気が引くような心地になる。
……もう泣かせたくなかった。いつもみたいに僕を弄んでほしかった。屈託のない笑顔を見せてほしかった。
天音は目元を拭うと、上擦り声で僕を咎めてくる。
「なんで私以外の女を守るんですか。なんで私以外の女に優しくするんですか。なんで私以外の女と会話するんですか……」
「それは……」
「……わかってます。これがただの独占欲なのも、嫉妬なのも、わかってるんです。それを理由に先輩を咎める資格は私にはない、仕方のないことだって、頭ではわかってるんです。でも、それとは別で――」
彼女は毅然として言い放つ。
「先輩が私に隠し事をしていたことだけは、どうしても許せません」
脱力しきっていた僕の横をすり抜けると、天音は頬を濡らしながら多目的室を去っていった。
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