第5話 調教し直された!?

 どうでもいいが、人間という生物は自分だけの空間が必要だ。

 『自分だけ』という言葉のニュアンスは、『一人だけ』と変換することもできる。


 そう、人には一人だけの時間が要るのだ。

 一人が好き、群れるのが苦手、気が散るから、落ち着きたいから。どんな理由であれ、ハッキリと誰もがそう意識している。


 古今東西より、数多の戦乱が起こったのは『自分の場所を得るため』であり、その意志は今もなお人類に引き継がれている。

 マイハウスに籠れば、自分だけの世界だ。マイハウスこそが天国。


 あー……ここまで長い前置きをしてきたが、つまるところ何が言いたいかっていうとだな……。


 ――天国に悪魔が襲来した。




 ***




『早く入れてくださいよぉ〜、先輩に会いたくていてもたってもいられなくて遊びに来たのに〜』


「嫌無理拒否却下、どうぞ回れ右しておかえりください」


『あっ、じゃあ先輩との画像プリントしていくつか持ってきたので、色んなところに貼り付けて帰りますねっ♪』


「はははー、すぐ開けに行くから待っててね!?」


 マッハで天音を出迎えると、「お邪魔します~」とにこやかに家へ上がってくる。

 とうとう……とうとう悪魔の侵入を許してしまった……。


 項垂れながらもキッチンのイスに天音を座らせて、オレンジジュースを注いだグラスを二つ食卓に並べる。


「まさか先輩の家の冷蔵庫からオレンジジュースが出てくるとは思いませんでした。中学のときは散々私に子どもっぽいとか言ってきてたくせに」


「……天音に飲めって強要されてから、なんかこの味が癖になった」


 僕は嫌みったらしく言ったつもりなのだが、


「先輩ってツンデレですよね。私に染められて好きになったものを好きって言えないところ、かわいーですよっ」


 天音は嬉しそうにニヤリとしていた。


「うっせ。飲み食いの趣味くらいなんだっていいだろ」


 大体、染められてってなんだよ。ちゃんと調教されてるの間違いだろうがよ。クソがよ。

 ふん、と息を鳴らして僕もオレンジジュースを口に含むと……、


「そうやって言い訳するところも可愛いですねーっ――あ、私のおっぱいも飲みますか?」

「ぶふぉっ」


 唐突すぎる一言に、オレンジジュースを吹き出してしまった。


「あ、もう汚いですね〜」


 誰のせいだよ誰のせいッ!?

 ティシュで濡れた食卓を「仕方ないな〜」と口ずさみながら片付ける天音。


 中学時代でも背伸びをしてマセてはいたが、高校一年生になった彼女からは色気を感じるようになった。言葉が艶やかさを帯びている。

 一体どこで学んできたのかは知らないが、ふと公園での一件を思い出してしまって言葉に詰まった。


 そっぽを向いて天音を意識しないようにするが――


 ……こうやって意識してる時点で、異性として見てるんだよな。

 負けた気分になり視線を戻すと、カーペットの上に置かれていた天音のリュックがちらついて怪訝な顔付きになる。


「ま、まさか…………」


 常日頃から荷物がかさばることを嫌い、重い物は僕に持たせるような天音が、ショルダーバッグではなくリュックを使用するなんてことは到底あり得ない。

 まさか、もしかして、なんて最悪な予想がいくつも浮かんだ。


「えへへっ、先輩にしては気づくのが早かったですねっ! なんのために土曜日に来てると思うんですかぁ? お泊り以外あり得ないじゃないですかぁ~」


 ええっとぉ~、あり得ないことがあり得ないじゃないですかぁ~。

 こほん、頭がイカれそうでつい天音口調になってしまった。いかんいかん。


「残念ながら僕は彼女以外泊まらせる気はない。どれだけご主人様面するお前でも例外じゃないからな」


 そう断言するも、いつものごとく論破され――


「じゃあお隣さんのポストにこの写真投函してきますね~っ!」


 本当にプリントしていたらしく、写真をチラつかせて天音は玄関の方へ向かっていった。


「ま、待て待て待て――」


 有言実行は天音のお手の物だ。

 写真を投函したところで天音にはなにもダメージはないだろうが、僕の隣人関係や世間体が崩壊してしまう。

 お隣さんとすれ違った際に気まずそうにされるのが目に見えているため、天音の腕を掴んで阻止した。


「あれれ~? もしかして先輩、私がいなくなると寂しいんですかっ? も~、仕方ないから一緒に寝てあげますよ♡」


 悪魔もかくやといった様子で、目を細めて天音はあざとく囁いた。


「いや全然寂しくないし一緒に寝たくもないし帰ってほしいけど、写真ばら撒くのだけは勘弁してくれ」


 もちろん僕はそれを拒否したが……それが天音の機嫌を損ねたのか、「は?」とドスの効いた腹黒い声音で僕を脅してきた。


「ねぇ先輩……? ダメですよね、下僕がご主人様に逆らったら。ちゃんと教育してあげたじゃないですかぁ」


 天音は腕を振り払って、僕の腰に手を回してきた。


「部活で二人きりのときに私を怒らせて、『僕は天音の下僕です』って謝ってきた先輩はどこにいっちゃったんですかぁ……?」


「そ、それは……」


 記憶の隅々までこびりついた天音からの教育。

 あれは確か、クラスメイトの女子とデートしたことが天音に伝わって、それで……。


 二人きりの部室で手足を拘束され、洗脳するかのように耳元で「先輩は私のモノです」と何度も囁かれたのは嫌ってほど覚えている。

 まだ純真な心持ちだった中学生の僕には如何せん刺激が強すぎるもので、ゾクゾク……ごほん、ビクビクして怯えていた。


 まさしく今の天音は、その時の彼女を彷彿とさせるような姿だった。


「またあの時みたいに、手足縛られたいんですかぁ? 今回はもっと厳しく躾けますよ?」


「……ごめん、悪かった」


 全身からスッと血の気が引くような心地に陥り、合わせてゾクゾクとした。こうやって責められているのに、どことなく背徳感を覚えている自分がいた。

 どんどん息が荒くなっていく。


「じゃあきちんと謝罪して、ちゃんと言い直してください」


「ごめん、なさい……天音がいなくなると、寂しい……から、帰らないでくれ……一緒に寝てほしい……」


 苦しくなった呼吸を少しでも整えつつ、なんとか言い切った。


「はいっ、よく言えましたっ!」


 転じて天音はすっかり上機嫌になり、小悪魔などと比喩することができないほどにクスリと笑い――



「せ~んぱぁい、大好きですよぉ♡」



 背伸びをして、天音は僕の耳元でそう囁いた。

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