第15話 後輩が可愛すぎる!?
その日、天音は制服を濡らして部室へとやってきた。
窓ガラスを覗いてみると天空は黒い雨雲に覆われて、大粒の水玉が降り注いでいることから察するに外にいたのだろう。
どうにも浮かなそうな顔付きをしている天音に、「本濡らすなよ」と忠告を入れた。
「一言目がそれとか信じられないです……先輩なのでまぁ期待してなかったですが」
ムスッとしながら腰をかける天音の顔面にタオルを投げつける。
本格的に梅雨入りして蒸し蒸しするとはいえ、濡れているのを放置しては体を冷やしてしまう。
「む、ありがとうございます……これだけ豪雨だと傘さしてても意味なさすぎてビックリです」
そう言いながら彼女は濡れた箇所を拭いていく。
頭髪から首筋、腕や足周りにタオルを当てていくと、シャツが透けてしまっていることに気づいた。肌着までぴちゃりと張り付いているせいか、黄色の下着が顕になっている。
「っ…………体操着のジャージあるけど、羽織るか?」
「…………先輩のえっち」
「……不可抗力だろ、僕はなにも悪くない。ほら、体冷える前に羽織っとけ」
ジャージを渡すと、天音はそれを着用した。
改めて彼女を見ると、『後輩の女子に使用済みのジャージを着させる』という謎めいたプレイに苦悩してしまう。
「くんくん、すーはー……先輩の汗の匂い……」
「嗅ぐなよやめろ!? 次しでかしたら剥ぐからな!?」
「えー、つまんないのー! ちゃんと洗って返すのでいいじゃないですかぁ! それまでは私のモノです!」
「ジャイ○ンかお前は!? 暴論にも程があるだろうが!?」
「そんな太ってませんー!!」
嬉しいのか怒っているのか判別できないような表情で、べーっと舌を出す天音。
もはや呆れそうになりながら本に視線を傾けると、「せーんぱい」とお声がかかる。
「もう二ヶ月くらいちゃんと文芸部に通ってるの、偉くないですか?」
「ああ、そうだな」
僕はそれとなく返事をする。
「ですよね、ちゃんと部員の一人として活動してるの、偉いですよね?」
「ああ、そうだな」
「だから……私って、なにもおかしくないですよね? 間違ってないですよね?」
「ああ……そうだな……?」
天音の歯切れが悪くなり、つい顔を上げてしまう。
だが、依然として彼女は喜怒哀楽を悟らせないような表情をしていた。
「そう、ですよねー…………よしっ、シャワー浴びたいので今日は帰ります! それじゃ先輩、またですっ!」
「お、おう、またな」
それだけ言い残すと、天音は嵐のように去って行ってしまう。
森閑になった部室で、僕は「なんだったんだ……」と一人呟いた。
こうして齟齬をきたしてしまっていたことが――いや、天音の訴えを蔑ろにしたことが、後に覆水盆に返らなくなることを僕はまだ知らないのであった。
***
それから一週間が経つと――天音は部室に来なくなった。
彼女の担任教師がわざわざ部室に訪れて、天音が休んでいることを知らせてくれた。風邪らしい。それと同時に、重要なプリントをいくつか届けて欲しいと頼まれた。
「はぁ、僕がですか」
「成瀬くん、頼むよ」
恐らく、後者が目的で足を運んできたのだろう。
それが尚更納得がいかなかった。
天音はヒエラルキーの頂点に位置するような人材で、きっとクラスでもチヤホヤされるようなタイプだ。それなら他学年の僕でなくとも、クラス内の誰かにお願いすればいい話なのだが……。
「――成瀬くんさ、星空さんと仲良いんだよね。この通りだ、頼むよ」
そう僕が論じても先生は引かず、それどころか頭を下げてきた。
背中がこそばゆくなって結局引き受けてしまったが……あの先生が奇妙なまでになにかを訴えようとしていたことに、きっと心を揺さぶられていたのだろう。
プリントを入れたクリアファイルと、住所が記載された紙切れ。
それらを受け取り、部活動は早々に切り上げた。
奇しくも住んでいる地域が近かったようで、すんなりと目的地まで着いた。
目先には『星空』と書かれた表札が、その先には煉瓦色で塗装された邸宅が建てられている。敷地内もかなり広く、この住宅街でも異彩を放っていた。
そういえば父親が社長だっけか。
天音との会話を思い出しつつも、インターホンを鳴らした。
しばらくすると玄関扉から鍵が外される音がして、インターホンから「入ってきていいですよ」と彼女から声が届く。
「……お、お邪魔します」
「いいえ、邪魔するなら回れ右してください」
「言葉の綾だろうが……」
玄関を潜ると、天音がいつものようにおちゃらけてみせた。
「体調大丈夫なのか? 先生からは風邪って聞いたけど」
「ちょっとだるいくらいです。熱もないですし、そのうち治りますよ」
「それならいいけど……」と呟くと、天音の自室へと連れられる。
どうやら母親も仕事に出ているらしく、家内で一人きりだったらしい。
彼女の部屋はカーテンから絨毯から小物まで、見事なまでにピンク色で統一されていた。一言で体現するなら、女子力というワードがピッタリだろう。
「舐めるように見渡さないでください、なんかちょっとキモいです」
「体調不良でもその減らず口は相変わらずだな、ほんとに……」
「事実を述べたまでですーっ」
天音はくすりと微笑んで、近くにあったぬいぐるみを抱きしめた。
可愛いな……と、不覚にもそう感じてしまった。
「あーっ、先輩が照れてる! かわいーんだ〜!」
「て、照れてなんかねーよ! それだけからかう元気があるなら見舞いもいらんだろ! もう帰る!」
そうやってカバンに手をかけると、後方からずしりと重みがかけられる。
「…………先輩、もうちょっとだけ、一緒にいてください」
ぬいぐるみを抱いていた時みたく後ろから腕を回してきて、天音はか細い声音でそう呟くのだった――。
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