第38話 先輩を刺します!?

 大体の魚を見て周ると、僕たちは館内のレストランに足を運んだ。

 僕は海鮮パスタを、天音は海鮮丼を注文し終えると、二人同時に背を伸ばした。

 午後に差し掛かると、ライブハウスもかくやというほど水族館の中は混み合ってきた。想定していたことだが、いざ人垣の中に埋もれてみると息が詰まって仕方ない。逃げるようにレストランまでやってきたわけだ。


 まぁちょうど小腹も空いてきたし、タイミングは悪くなかったけど。

 ドリンクバーのオレンジジュースを汲んでくると、グラスにストローを挿して天音を見やる。彼女はスマホの画面をスクロールして、撮影した写真を見返しているようだ。


「先輩先輩、あとでもう一回イワシのトルネード見に行きたいんですけどいいですかー? 写真がちょっとブレてたみたいで」

「ちょっとくらいブレててもよくないか?」

「よくないです〜っ! これストーリーにあげたら友達に馬鹿にされます。てことで付き合ってくださいね♪」

「……まあ連れてきたのは僕だしな。わかったよ」


 唯々諾々と了承をすると、天音はえへへと口元を緩める。

 最初から決定事項なら疑問形で問いかけてくるなと文句を言いたくなったが、楽しそうな天音の姿を見たらその気も失せた。


「その代わりに許してくれたりは――」

「しませんよ?」

「デスヨネー……」


 僕は項垂れると、天音はおかしそうに笑ってみせる。


「先輩が誠意を行動で示さない限り、私の心は閉ざされたままですよっ?」

「さいですか。ちなみに半分開きかかってるのは僕の勘違いか?」


 コツン。足首辺りを軽く蹴られた。


「それは言わない約束じゃないですか、ふん」

「はいはい、そういうことにしとくよ」


 ストローに口をつけて、僕は肩を竦めた。

 天音がこれしきのことで回心するわけもないか。


 長い付き合いという経験上、天音はかなり根に持つ性分であることは身を以て知っている。例え中学から親睦を深めた仲とはいえ、僕たちはそこらの幼馴染や彼氏彼女よりも雁字搦めな関係だと思う。切っても切れない縁というのは本当に実在するのだと、最近考えるようになったくらいだ。


「そういうことしかないです。それに最近生意気が過ぎるんじゃないですか? これはお仕置きが……あ、遠回しに調教してほしいってことですか!?」

「……オーライ、するかしないかはともかく、ここ公共の場だから。みんな聞いてるから」

「否定しないってことは、調教されたいってことですよねっ?」

「おい、ちゃんと文脈読めよ。どうしてそうなったんだよ」

「残念ながら一年の時の先輩よりも私の方が成績良いので! 先輩こそ相手の発言の意図をしっかしと読むべきですっ!」

「……こんのクソアマが」


 僕は思わず毒づいた。

 成績を振りかざされてはぐうの音も出ない。別段成績が悪いわけではないし、何方かと言えばテスト順位だって上位に食い込むこもとあるが、僕と学年主席である天音が比べ物にならないのは明瞭である。


 天音は目を細めて小悪魔的な笑みを浮かべていると、しばらくして注文した料理が運ばれてきた。

 クリームソースの上にエビや帆立が並べられた海鮮パスタなるものをフォークに絡めていると、天音が小さな口を開けて顔をこちらに寄せてくる。


「…………なにしてんの?」

「見たらわかるじゃないですかぁ」

「おーのう、日本の文化、難しい」

「先輩ちょっと殴らせてもらってもいいですか?」

「お、事前に許可が取れるようになったなんて成長したんじゃないか?」

「っ〜〜〜〜、先輩のばか!! もういいですっ! 早くあーんしてくださいっ!」


 自棄になったのか天音は頬を紅潮させて、大きな声でそう言う。

 ……もう少し声を抑えろよ、ばか。

 言わずとも僕たちは店内で観衆の的になった。じろじろと視線を感じる。ひそひそ話をされてるのも聞こえてくる。もう、逃げ場はなかった。


 食堂でするのとはまた違う緊張感に襲われながらも、僕は恐る恐ると天音のほうにフォークを差し出すと、


「……あ……っん……えへへ、先輩の美味しいです……」

「ああぁ!? なんで殊更に語弊を生む発言をするんだよ!?」

「だって……本当に美味しかったですし……」


 天音は頬に手を当てて、恥じらいを見せた。

 どこかから黄色い声があがる。


「はぁ……最悪だ……」

「てへ♡ 私は満足ですけどね〜!」

「ふん、もう知らん」


 僕は鼻を鳴らして、フォークにパスタを絡めた。

 すると、今度は天音のスプーンが僕の目の前にやってくる。米粒の上にはサーモンやマグロが乗せられていて、思わず喉を鳴らしてしまう。


「い、いや……僕はあーんとかしないからな?」

「先輩にする気がなくても、周りはそうじゃありませんよ?」


 そう言われ、僕は横目で周りを見る。

 黄色い声を発していた大学生くらいの女子集団が和気藹々とこちらを眺めていた。内の一人が親指を立てて応援してくる。おい、やめろ。


「そういうことです」

「くっ……もう知らないからな……」

「拗ねないでくださいよ。ほら、あ〜ん」

「あ……ん……」


 ムカつくけど、海鮮丼は美味しい……。

 不貞腐れながら咀嚼をしていると、天音は「ふへへ」と気持ちの悪い笑いを漏らしていた。水を差すようで悪い気もしたが、僕は予め確認しておきたかったことを天音に尋ねようとする。


「……すごくどうでもいいこと聞いてもいいか?」

「……? どうしたんですか?」

「天音はさ、もし僕に他の彼女ができたらどうするんだ? ――あ、いや、できてないから。気になる相手とかもいないから。だからそんなに睨まないでくれよ」


 すごい剣幕で睨みを利かせると、天音は卓上の箸入れに入っていたナイフを手に取り、それを僕に向けてきた。


「先輩を刺します」

「……おーけー、よくわかったよ。とりあえずそのナイフはしまってくれ」


 天音は渋々とナイフを片付けると、食事を再開した。

 極端な回答をされたが、それはすなわち、僕のことがまだ……――。

 こうして僕たちは温かい目線を向けられながら、水族館を後にするのだった。

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