第14話 結納金のゆくえ
「違うよ。みんな、買って帰ったんだよ」「こなつは、たくさん売ったんだぞ」
カワウソが口を尖らせ、子狸が拳を握る。
「あんたがさぁ。水茶屋の売り子をしてるぅ、って話を聞いてぇ。見に来たんだぁ」
「そう、ですか」
目をすがめて返事をした。
ということは、と奥歯を噛み締める。足元では、カワウソと子狸が、「そうだぞ」「有名なんだそ、こなつは」と胸をそびやかしているが、違う。
この女は
「でもぉ。……なんていうか」
「想像してたのと違ってた、っていうかぁ。ある意味、想像通りっていうかぁ」
くくくく、と喉の奥で笑いを潰す。
「こんなに、貧乏くさい売り子って、いるんだぁ、って、びっくり。ってかぁ、やってて、自分で恥ずかしくない?」
かっと頬に血が上る。恥ずかしいか、と言われたら誰よりも恥ずかしい。みすぼらしい格好をしていることだって自覚している。
だけど、と堪えた。
その結納金を。支度金を奪ったのは誰なのだ、と、にらみつける。
「お嬢様。先様との御約束の時間がございます」
そっと口を差し挟んだのは、能面のように、表情を消した女中だ。憐みの目で自分を見たから、多分、わかっていて助け船を出してくれたのだろう。
「あ。そおだ。あのね。私も、今度結納とかぁ、祝言の話があってねぇ」
ぱちり、と白くて細い指を合わせて、八重は微笑む。「おめでとうございます」。小さく
「今から、そのお相手に会うのー。材木問屋さんなんだぁ。この先の」
ああ、と小夏はうなずく。
そういえば、川沿いにたくさん船を出して、東北からの材木を集めてさばく、問屋があった。そこであるならば、かなりの玉の輿だ。
「ねー。小夏の旦那さんはー? お店の中―?」
首を傾げて尋ねられるので、ためらいながら頷くと、「お礼、言っておいてー」という。
「な……んの、礼、でしょうか……?」
尋ねると、上目遣いに、こちらを見る。
紅を引いた口の両端が、ぬう、と上がった。
途端に、ぐしゃり、とその顔が墨を塗ったように真っ黒になる。
そして、奇妙に歪み、八重がしゃべるたびに、上下に伸びる。
「このお着物も、夏用の
一瞬、目の前が暗くなる。
「結納金、ありがとうねー、って」
もはや、八重の顔など判別がつかない。
黒い塊は、くくく、と笑って、背を向けた。
藤色の。
今の時期にとてもよく似合う着物の背中だけが、くっきりと浮いて見える。
化け物のような女が、女中に日傘を向けられて、通りを歩いている。
さっきまで血が上っていた頬からも、額からも熱が下がっていった。
必死にこらえていないのと、膝裏から力が揮発して、地面にしゃがみこみそうだ。
額に手をやると、指先が驚くほど冷たい。
「こなつ、こなつ」「結納金って、
裾を左右から引っ張られる。今度は白茶けそうになる視界の中で、カワウソと子狸がせわしなげに、つぶらな瞳を左右に揺らしている。
「なんで、あのアホの子の着物になるの?」「なんで、あのアホの子が着てるの?」
尋ねられて、ぶわり、と涙が出た。
なんで、などと。
聞きたいのはこちらだ。
彼が用意した金は、本当になけなしの金だったのだろう。
嫁を迎えるために、と懸命に、誠実に貯めた金だったのだろう。
それが。
あっけなく、取り上げられ、あんな着物に化けてしまった。
「……返して……」
手で顔を覆い隠し、小夏はむせび泣いた。
自分がその金を欲しいわけじゃない。
ただ。
返してあげてほしい。
あの。
優しく笑い、真剣に仕事に向き合い、「ふたりでご飯を食べると、うれしい」と、それだけで幸せになれる彼に。
「こなつー。泣かないで」「こなつ、だいじょうぶか」
不安そうに、すぴすぴと鼻を鳴らし、必死に自分にまとわりつく、カワウソと子狸に、「だ、大丈夫」と
「絶対に。私が、お金を返すから」
しゃくりあげ、何度も何度も、そう言った。
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