第18話 女紋
「嬢ちゃん。今日はまた、えらい夏っぽい格好だなぁ」
ずず、と音を立ててみつ汁を飲み干した
「……夏物って、これしかないんですけど」
恐縮しつつ応じる。麻の着物だ。博多帯は、隣のかんざし屋の奥さんが貸してくれた。
いつもすいません、と頭を下げると、「いいのよ」と
「そのかわり、
「かぁぁあぁ! あいつは腰抜けかっ!」とご主人はニヤニヤ笑い、「まったく、なにやってんだかねぇ、あの男前はっ」と、奥さんはやっぱり、人の悪い笑みを浮かべる。
(……私は、
首を傾げるしかないが、伊織に尋ねることもできない。
「良い
帯に挟んだ
「それは、
言い淀むと、伊織がそっと口添えてくれる。「おお、そうかい」と鳩羽は頷いてくれた。
「いい、おっかさんだ。大事にされたんだなぁ、嬢ちゃん」
わしわしと頭を撫でてくれて、なんだか気恥ずかしい。「なにしてるんですかっ」と伊織は息巻いているが、その手は、彼がするようなそれではない。
単純に。
親戚のおじさんか、近所のお兄ちゃんがそうしてくれる、それだ。
ふふ、と笑みこぼれると、更に伊織が気を悪くするので、慌てて口を引き締める。
「それでっ。別に、うちの売り上げを気にしてくれてるわけじゃないでしょう!?」
語気も荒く伊織が言い、不満げに腕を組む。鳩羽は、にやにやと、ひたすら人の悪い笑みを浮かべ、「いや、まぁなぁ」と応じて、顎を撫でた。
「露店の組合長が呼んでてな。ここらで一回、集まって、客足や売り上げを共有しようや、って」
「ああ、そうでしたか」
一瞬にして、伊織が商売人の顔になる。
「お店を任せても良いですか?」
尋ねるから、もちろん、とばかりに頷くと、安堵したように微笑まれる。
「すぐ、もどりますから」
そう言って、伊織は鳩羽と共に天幕を出ていった。
(まだ、あと一人分はあるかな……)
鳩羽が探っていた鍋の蓋をあけ、中を眺める。
お玉ですくってみても、ふたり分はきつい。大盛り、ひとり分、というところだろうか。
がしがし、と乏しい天幕の光量でさらっていたら。
「もう、しまいかい?」
不意に声がかかり、「いらっしゃいませ」と反射的に笑顔を浮かべて顔を上げる。
「……あ」
そして、思わず声を漏らした。
そこにいるのは、洋装の紳士だ。
夜と言うこともあるのだろう。今日は
「こんばんは。その節は」
慌ててぺこり、と頭を下げると、高齢の男性に深々と逆に頭を下げられる。
「何を仰るやら。礼を申し上げるのは、こちらです」
ど、どうしようと恐縮していたら、するりと顔を上げ、人懐っこい笑みを浮かべられた。
「
存外に張りのある声で言われ、ほ、と安堵の息を漏らす。
「小夏と申します。お元気になられてなによりです。店主共々、心配しておりました」
「これはこれは」
柔和に笑われ、小夏も笑みこぼれる。
「小夏さんと仰いますか。良い名ですね」
青柳は口角を緩めてそう言うから、つい、肩を竦めて応じてしまう。
「夏にもらわれたからです。もともと、
「では、別の名があったのか?」
口を差し挟んだのは、紳士だった。小夏は口をへの字に曲げる。
「さぁ。そうだったのかもしれませんが……。よく、知りません」
「今日、店に行ってみたのだが……。
紳士は言うなり、ちらりと青柳を見る。心得たように彼は、上着のポケットから財布を取り出した。
「まだ、ありますか?」
青柳が尋ねる。
「あの……。ご好評を頂き、お一人分しか、もう残りが……」
ぺこりと頭を下げると、「十分だ」と紳士に鷹揚に告げられた。
小夏は手早く竹皿に盛り付け、串を刺すと、「どうぞ」と笑顔で差し出す。
「器はお持ち帰りいただいても結構ですし、お捨てになる場合は、境内のゴミ箱までお願いします」
承知した、と受け取った紳士に代わり、青柳が代金を小夏に支払う。
今日はきっちりとした値段で、ほっとする。最近そろばんが使えるようになったが、まだカワウソが側に居ないと、どうにも心許ないのだ。
「その、根付は?」
ふと、紳士が呟くように漏らす。
視線を辿り、それが自分の帯を彩っている鼈甲の根付けだと気づき、「ああ」と笑った。
「母が私に持たせてくれたもののようで。こちらは守り犬なんですが」
くるり、と裏返してみせる。
「こっちは、家紋らしいんですけど。……あんまり、知らない家紋で」
ふうん、と紳士は答える。
「お母様からの品でしたら、
対して応じたのは、青柳だ。目をすがめ、それから、微笑んでみせる。
「母親から娘に対して受け継がれる紋でございます。主に、出自を現すことが多うございますので、小夏様」
さま、などと敬称をつけられ、「はひ」と変な声が出た。
「どうぞ、お大事に」
それは、伊織にも言われたな、と小夏は口元を引き締め、頷いた。
「では。店主に宜しく」
紳士は言うなり、青柳を連れて立ち去る。小夏はその背に深々と頭を下げた。
(良い人、だよね)
顔を起こしながら、そう思う。
金持ちや位の高い人なら、五十鈴屋で山ほど見た。
だが、どれも、
『変なことをされたら大変だから』
その時は、なんのことだろう、と思ったが、年頃になるにつれて分かる。
金や地位を持つ男は。
その権力によって、たやすく誰かの権利を奪い、踏みにじることが出来るのだ、と。
(だけど、あの紳士は、そんな感じにみえないんだよねぇ……)
「おや。千寿堂。もう、洗う竹はないのかい?」
天幕の背後が持ち上がり、小夏は驚いて振り返る。
そこにいるのは、狐女だ。
今日も上等の絽の着物に、濃いめの化粧をしていた。足下にいるのは、カワウソと子狸で、「なんだー。もう、ないよ」と、勝手に鍋を開けて、しょんぼりしている。
「すいません。本日はもう、売り切れです」
苦笑いでそう告げると、新たに入ってきた天狗まで肩を落としている。どれだけ楽しみにしているのか、と笑い出したくなるが。
「あれぇ? 小夏じゃない」
軽く、耳に響くような声に、反射的に入り口を見る。
「お店、出してたんだぁ」
そこにいるのは、
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