第19話 ふたりの夫

 今日は柳緑りゅうりょくの絽を着て、更紗さらさのふくさ帯を締めている。帯締めは、天然石をつかっているのだろう。深い、緑色をしていた。


「すいません。あいにく、売り切れまして」


 多分。

 あれは、結納金で買ったのだと思うと、腹ただしくて。


 ぺこりと頭を下げて顔をそむけた。


 途端に八重が、「えええ」と、驚いたような声を上げる。〝完売〟に吃驚びっくりしているのかと思ったら、隣に居る男性を見上げ、眉根を細めて見せた。


「こんなときまで、働くなんて……。八重やえ、考えられないぃ」


 ああ、そっちか、と冷めた目で見やると。

 ふわりと風が動き、妖力が弱まるのを感じる。


 どうやら、あやかしたちが、八重達に見えないよう、配慮したようだ。


 だが、おしゃべりまで止める気は無いと見える。

 遠慮のない声が聞こえてきた。


「なんだい、あの下品な女は」「あのねー、狐。あれはね、アホ女」「アホな子」「なんだそうか」


 必死に吹き出しそうになるのを堪えていると、八重の隣に居る男性が、「この者は」と首を傾げる。


(この人こそ、誰、だろう……?)


 小夏も内心首を傾げる。


 見覚えのない男性だった。

 年は、三十代半ば、というところだろうか。


 髪を総髪そうはつにし、きれいに髭を剃った男性だ。


 縦縞の着流しに、漆黒の角帯を締めている。夜目にもわかるほど高級な素材で、それをそつなく着こなした男だ。煙草入れをつけた根付ねつけも象牙のようで、彫り物もかなり精巧にみえた。


「あたしのね、腹違いの姉。めかけの子なのよ」

 八重ははっきりと言い切ると、ぱっちりとした二重の目をこちらに向ける。


「こちら、三田の材木問屋の若旦那で、あたしの婚約者の尚三郎しょうざぶろうさん」

 ああ、言っていた男か、と小夏は深々と頭を下げた。


(随分と、年が離れてるんだ……。八重さん。私より年下なのに……)


 下手すると、親子ほど、年が離れているのではないだろうか。


 つり合いがとれているか、といわれると少し微妙だ。

 八重にはたくさんの縁談が来ていた。

 もっと、似合いのひとがいたのではないか、と思うのだが。


(……お金、かな……)


 八重は金を重視し、この男は若さと美貌を評価したのだろう。


「小夏と申します。以後、よろしくおねが……」

「ふううん」

 最後まで聞かずに、言葉を切られた。


「なんとまあ」「傲慢な男であるなぁ」と、狐女と天狗が呆れている。


「ねぇ。ひとりでやってるの?」

 八重が尚三郎に腕をからめ、身を乗り出すように尋ねる。「おいおい」と顔をしかめたが、口元がいやらしく歪むのを見て、小夏はこの男に嫌悪感しかない。せっかく、精悍な顔立ちをしているのに、台無しだ。


(……少なくとも、伊織さんは、こんな表情、しないかも)


 時折、悶えたり照れたりするときはあるけど、こんな湿気た目で自分を見ることは無い。


「今、店主は集まりに出て行かれてます」


 手短に答えた。

 さっさと、どこかに行って欲しい。片付けがしたいし。


 そう顔に出したのに。

 八重は違うように受け取ったようだ。


「じゃあ、小夏の旦那さんが帰ってくるまで、待つう」


 そんなことを言いだして、ぎょっとした。

 なんのために、いるのだ。もう、出す品はない、といっているのに。


 訝しんで様子を探って気づく。


(……ようするに、自分の旦那を見せびらかしたいわけ) 


 そして、伊織を値踏みしたいのだろう。

 その考えに呆れる。

 馬鹿じゃないか。


 そう思うのに、「ね。いいでしょ」と組んだ腕に胸を押しつけられ、鼻の下を伸ばして「いいよ」という尚三郎にも寒気がした。こんなので、材木問屋は大丈夫なのだろうか。


「よし、わしが伊織を呼んで参ろう」「そうしな、天狗の旦那」「ねぇ、アホの子には、アホの旦那がつくの?」「もう、ふたりでアホ」


 あやかし達は、遠慮が無い。

 顔を伏せて笑いを隠し、小夏は、「ちょっと失礼します」と言い置いて、さっさと片付けに入ることにする。


「この竹、なあに? ……えー。ひょっとして、お皿ぁ? 貧乏くさいなぁ」

 八重は次々と言葉をぶつけてくるが、季節感を出すために、五十鈴屋でも竹細工はよく使った。


(このひと、一生実家の家業のことを知らないまま、過ごすのかな……)


 小夏は無視をして、撤退に入る。

 店を閉めるのは露店同士、一斉かも知れないが、片付けるぐらいいいだろう、と木箱に順に用具を片付けていく。


「それなに? 根付?」

「え?」

 小夏は動きを止め、八重の視線をたどる。彼女が見ているのは、鼈甲の根付のようだった。


「ねぇ。それ、お洒落のつもり? だっさ」


 意地悪く笑われ、顔を背ける。「実母の、形見です」。堅い声で応じた。


「小夏さん。お待たせしました。なんか、呼びに来られて……。どうかしましたか?」


 流石に、天狗が来た、とは言わなかったが。


 背後の天幕が巻き上げられ、伊織が姿を現す。


 その間も、八重が「しょぼい場所ねぇ」、「ってか、こんなお祭りの日に働かせるって、そんなにお金ないの?」、「旦那、甲斐性無し」と言い切ったときだった。


「話し合いはよかったのですか?」

 伊織の後ろに、大天狗の姿が見えて、「うわ。本当に声かけに言ったんだ」と小夏は冷や汗が出る。


「ごめんなさい。お忙しいのに……」

 素早く近づき、小声で言いうと、「いえ、終わったところでしたから」と微笑んでくれた。


「あ。お客様でしたか」 

 ふと、八重と尚三郎に気づいたのだろう。


 伊織は営業用の笑顔を浮かび、「相済あいすみません」と詫びた。


「本日、品が売り切れまして……。もし、よければ、明日、千寿堂へお越し下さいませ」

 にこにこそう告げる伊織に、カワウソが駆け寄る。


「違うよー。これ、お客じゃなくて、アホの子だよ」

 そう言っても、「アホの子ってなに」とは言えるわけもなく、ちらりと瞳を小夏に向ける。


「あの。五十鈴屋いすずやの八重さんです。私とは、その……。腹違いの……」

 慌てて口添えし、それから、その隣の男性を指し示す。


「その、結婚相手の三田の材木問屋の若旦那で、尚三郎さまです」

「ああ、そうでしたか」

 伊織は背筋をただし、「これは、小夏が世話になっております」と頭を下げる。


「千寿堂のあるじ、伊織でございます」


 だが。

 ふたりは。

 ぽかん、と伊織を見ていた。


「「……あの……?」」

 さすがに、何も言わないふたりに、伊織と小夏は訝しげに声をかけた。何だろう。ただ、挨拶しただけなのに、この反応はなんだ。


「……え。本当に? 本当にこの人が、あんたの旦那なの!?」 


 途端に金切り声を上げたのは、八重だった。

 身震いした小夏だが、その隣では、目をすがめて、「そうですが」と伊織は問う。


「え!? なんで!? 信じらんない! なんかの間違いじゃないの!」

 口を歪める彼女の顔は、段々と夜闇に解けて、小夏の目には映らなくなる。


「なんであんたが、こんなかっこいい人の奥さんなのよっ!」


 怒鳴りつけられたが、それはもう、八重という姿はとっておらず。

 ただ、どす黒い渦を顔に巻き付けた、化け物だった。


「どのような意味なのか、わかりかねますが」


 白々とした声が隣から聞こえる。

 小夏は目線を彼女から、伊織に移した。


「随分と、うるわしい夏物をお召しですね、お嬢さん。それは、旦那様からの贈り物で?」

 突き放すような声音に、八重だったものは、びくり、と肩を震わせた。


「いやあ、これはわたしではなく、彼女の実家が用意したものですよ。この帯留めは、八重にねだられて、わたしが特別に手配したものですがね」

 呑気に尚三郎が答え、伊織は目を細めて薄く笑った。


「それはそれは。良くお似合いでございますなぁ」

 その言いように、背後のあやかし達は、ざわめきたった。


「怒っておるなぁ、伊織。どうしたことじゃ」「そりゃそうだよう。あれ、伊織の結納金で買ったんだもん」「あー、あ。知ーらない」「なんと、それはどういう意味だ」


 狐女と天狗に説明をしているカワウソと子狸を余所に、八重は「行きましょっ」と、尚三郎の腕を引く。


「それではまた」

「近いうちにまた、お越し下さいませ」

 伊織が丁寧に頭を下げるものだから、小夏もそれに倣う。


 境内の奥へと姿を消すふたりを見送っていたら、「三田の材木問屋、ね」「尚三郎と、八重か」と、狐女と天狗が呟く声が聞こえ、視線を向けるが。


 もう、天幕の中に、ふたりの姿どころか、カワウソたちも姿を消していた。


「さて、小夏さん」


 穏やかの声で名を呼ばれ、「はい」と慌てて振り返る。

 伊織がたすき掛けの紐を外しながら、微笑んでいた。


「さっきの会合で、お開きにしてもよい、と言われました。うちはほら、完売ですから」

 紐を手早く袂に入れ、ふと、足下を見て眉を下げる。


「ひとりで片付けをしてくださってたんですか? すいません」

「いえ。その……。手持ち無沙汰で……」

 八重の話を途切れさせたかったのだ、とは言えなかった。


「まだ商品が残っているところは、あと一刻ばかりするようですが、とりあえずは、ここで終了のようです」

 伊織も、てきぱきと道具を箱に詰め込みながら説明をする。


「天幕の片付けや、提灯はずしとかは、明日の朝、もう一度男衆で集まってするようなので……」

 ばさり、と箱の上に風呂敷を広げ、伊織は首を傾げた。


「申し訳ないですが、千寿堂の開店は、小夏さんにお願いしてよろしいですか?」

「もちろんです!」

 胸を張り、どん、と拳で叩くと、伊織は口元を緩めた。


「このあと、少しだけ、露店を見て回りませんか?」


 もちろん、疲れているのなら、家に直ぐ帰りますが、と提案する語尾を喰い気味に、「行きたいですっ」と、小夏は挙手をして答えた。

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