七月
ー文月ー
第17話 みつ豆
「どうでぇ、売れ行きは」
「快調ですよ。というか、快調すぎて、しんどいです」
確かに。
伊織が、
(顔が、いいもんねぇ……)
密かに溜息をつき、ちらりと視線を送る。
もう、完全に天幕の中に入ってきてしまった鳩羽と話をしている伊織は、今日は
整った顔立ちや、切れ長の目が、濃紺の着物によく似合っている。
華やいだ声が天幕の前を通り、小夏は視線を前に向ける。
浴衣姿の娘が、集団になって通り過ぎたところだった。
彼女らの動きに、各店の天幕がつけた提灯が揺れ、昼とはまた違う、不思議な空間を作り出している。
行き交う客達は、若者が多い。
年は小夏よりいくつか年下だろう。
(こんな行事、知らなかったなぁ)
若夫婦らしい浴衣の二人組が、露店をひやかしながら目の前を何組も通り過ぎるのを眺め、小夏は思う。
夏は、
七月に行われる、
もちろん
昼頃からどの店も販売を始め、現在は日も暮れ、夜も大分更けているというのに、人出は一向におさまらない。
「今年は珍しいもん、出してんじゃねぇか」
ひょい、と鳩羽が鍋の蓋を開けている気配があり、小夏は振り返る。
「小夏さんの案でね。みつ豆にしてみました」
伊織が、どこか誇らしげに言うから、少し照れくさい。縮こまっていたけれど、「へぇ」と鳩羽は大げさに驚いて見せた。
「毎年、馬鹿の一つ覚えみてぇに、くず餅売ってたのに」
「一言余計ですよ。あれはあれで、ラクなんです」
む、と伊織が口を尖らせてみせる。
『なにか、変ったことをしたいですね。今年は、水茶屋もしたことですし』
伊織からそう持ちかけられたとき、小夏は『みつ豆はどうですか』と答えたのだ。
ちょうど、試作品として伊織がみつ豆を作っていた時期だった。
透き通るような寒天や、砂糖水を絡めてつやつやに光る杏。つん、とすましたような赤エンドウをみていた小夏は、『これを出しませんか』と言ったのだ。
『構いませんが……。器はどうします?』
水場はあるが、洗っていると手間が、かかる。持ち帰ってもらうか、持ち歩いてもらうほうが現実的だ。
『……あの、水ようかんの、竹筒。使えませんか?』
こちらも、夏商品として伊織が用意していたものが、頭に浮かぶ。
竹を節で伐り、縦に割って、水ようかんを流し込み、竿菓子として売ろうと、ふたりで話していたのだ。
『あれを、皿にみたてて……。持ち帰っていただいては? 寒天を固めにして、こう、竹串でさせるようにすれば、
『そ、うですね……。あんみつにしようとおもっていましたが……。
ということで、竹を皿に見立てたみつ豆を、今年は出すことにしたのだ。
「なんだよ。もう、ちょっとしかねぇじゃねぇか」
お玉で鍋の中のみつ豆を勝手にかき混ぜる鳩羽に、伊織は手を突き出す。
「食べるんだったら、お代を」
「おめぇ、
牙を剥くように鳩羽は言うが、伊織はしれっと聞き流している。
最初こそ、このふたりのやりとりをハラハラしながら聞いていたが。
三ヶ月も経った今、随分となれた。これは、子犬同士が歯を立て合ってじゃれているに等しい。
「ちっ。ちゃっかりしてやがるぜ」
「へぇ。器はこれかい。持ち
床几から立ち上がり、鍋からみつ豆をよそっている伊織を、鳩羽は、物珍しそうに眺めている。
「不要であれば、こちらで回収しますが……」
小夏が肩を竦めた。
「みなさん、物珍しいようで、持ち帰ってくださいます」
当初は、露店のそばに
「おい、伊織よっ! てめぇんとこの客が邪魔だっ!」「はかせろ!」
床几台に座れず、溢れた客が、千寿堂の両脇に露店を構える店の邪魔になったようで、伊織とふたり、方々頭をに下げて、「どうぞ、そのままお持ち帰りください」とお願いしたのだ。
お陰で、当初予想していた以上に竹皿が必要となり、夕方になると、伊織と小夏が交互に、天幕裏で竹を伐って容器を作る、という作業に没頭する羽目になった。
当初、『小夏さんにそんなことさせられません』と固辞されたが、逆に、みつ豆を作れるのは伊織だけなのだ。
不足しそうな勢いになってきたので、『伊織さんは、あんみつ作りに没頭してくださいっ』と怒鳴りつけ、麻の着物をからげて竹を踏みつけ、小夏は、竹を切りに切った。
その話をすると、鳩羽は大爆笑して、竹串に次々と寒天や羊羹、杏を刺して、口に頬張る。
「あやかし共が言ってたのは、それか。竹を洗ったら、みつ豆が食べられる、って噂になってたぞ」
小夏は伊織と顔を見合わせ、吹き出す。
竹を切ったものの、さすがに、水ですすがねば容器として使えない。水設備はあるものの、そこまで足を運ぶ人手がない。
『……あやかしに頼みましょう』
苦々しげに伊織が呟いた途端、カワウソと子狸が、こどもの姿をとって現れたのには驚いた。
『手伝ったら、ただで喰わせてやる』
伊織が言うや否や、
その噂は。
カワウソと子狸を通じて広がり、『これを洗えばいいのかい?』と、妖艶な狐や、大天狗まで現れるのだから、驚くやら笑えるやら。
「でも、それでこうやって、予想以上に売れたわけですし」
小夏の言葉に、伊織は苦笑して頷く。
『今日、ここでみつ豆を食べた人が、水茶屋に来るかも』と、伊織が明日用に、と仕込んでいた鍋までこちらに持ち込み、結果的に完売だ。
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