七月

ー文月ー

第17話 みつ豆

「どうでぇ、売れ行きは」

 鳩羽はとばが顔をのぞかせたのは、ようやく一息ついたときだった。


「快調ですよ。というか、快調すぎて、しんどいです」


 床几しょうぎに座り、唸るように答える伊織いおりに、小夏こなつはくつくつと笑った。


 確かに。

 伊織が、浴衣ゆかた姿の女性に、「いかがですか」と笑顔で声をかけるたび、みつ豆は飛ぶように売れた。休む暇など、まったくない。


(顔が、いいもんねぇ……)


 密かに溜息をつき、ちらりと視線を送る。

 もう、完全に天幕の中に入ってきてしまった鳩羽と話をしている伊織は、今日は作務衣さむえじゃない。


 阿弥陀あみだ寺で開かれている棚幡たなばた供養にあわせ、単衣ひとえ姿だ。


 整った顔立ちや、切れ長の目が、濃紺の着物によく似合っている。すず色の帯も、見たときは地味じゃないか、とおもったが、そうでもない。むしろ、落ち着いて見えた。


 華やいだ声が天幕の前を通り、小夏は視線を前に向ける。


 浴衣姿の娘が、集団になって通り過ぎたところだった。


 彼女らの動きに、各店の天幕がつけた提灯が揺れ、昼とはまた違う、不思議な空間を作り出している。


 行き交う客達は、若者が多い。

 年は小夏よりいくつか年下だろう。八重やえと同い年ぐらいに見えた。どの子も、華やかに髪を結い、手にはりんご飴や、綿菓子を持っている。


(こんな行事、知らなかったなぁ)


 若夫婦らしい浴衣の二人組が、露店をひやかしながら目の前を何組も通り過ぎるのを眺め、小夏は思う。


 夏は、五十鈴屋いすずやも忙しかったのだ。


 七月に行われる、施餓鬼供養せがきくようの一環でもある棚幡供養では、地元の商店に寺から依頼し、いくつもの露店が軒を連ねて盛大に行われていた。


 もちろん千寿堂せんじゅどうも毎年、鳩羽から声をかけてもらい、店を出しているようだ。


 昼頃からどの店も販売を始め、現在は日も暮れ、夜も大分更けているというのに、人出は一向におさまらない。


「今年は珍しいもん、出してんじゃねぇか」

 ひょい、と鳩羽が鍋の蓋を開けている気配があり、小夏は振り返る。


「小夏さんの案でね。みつ豆にしてみました」

 伊織が、どこか誇らしげに言うから、少し照れくさい。縮こまっていたけれど、「へぇ」と鳩羽は大げさに驚いて見せた。


「毎年、馬鹿の一つ覚えみてぇに、くず餅売ってたのに」


「一言余計ですよ。あれはあれで、ラクなんです」

 む、と伊織が口を尖らせてみせる。



『なにか、変ったことをしたいですね。今年は、水茶屋もしたことですし』


 伊織からそう持ちかけられたとき、小夏は『みつ豆はどうですか』と答えたのだ。


 ちょうど、試作品として伊織がみつ豆を作っていた時期だった。

 透き通るような寒天や、砂糖水を絡めてつやつやに光る杏。つん、とすましたような赤エンドウをみていた小夏は、『これを出しませんか』と言ったのだ。


『構いませんが……。器はどうします?』

 水場はあるが、洗っていると手間が、かかる。持ち帰ってもらうか、持ち歩いてもらうほうが現実的だ。


『……あの、水ようかんの、竹筒。使えませんか?』

 こちらも、夏商品として伊織が用意していたものが、頭に浮かぶ。


 竹を節で伐り、縦に割って、水ようかんを流し込み、竿菓子として売ろうと、ふたりで話していたのだ。


『あれを、皿にみたてて……。持ち帰っていただいては? 寒天を固めにして、こう、竹串でさせるようにすれば、さじを添える必要もないのではないでしょうか』


『そ、うですね……。あんみつにしようとおもっていましたが……。羊羹ようかんを角切りにしますか。そうすると、寒天と色合いもいいでしょうし。色粉でいろんな色の寒天を作るのもいいですね』

 ということで、竹を皿に見立てたみつ豆を、今年は出すことにしたのだ。



「なんだよ。もう、ちょっとしかねぇじゃねぇか」

 お玉で鍋の中のみつ豆を勝手にかき混ぜる鳩羽に、伊織は手を突き出す。


「食べるんだったら、お代を」

「おめぇ、あに弟子からも、金をむしりやがるのかっ」

 牙を剥くように鳩羽は言うが、伊織はしれっと聞き流している。


 最初こそ、このふたりのやりとりをハラハラしながら聞いていたが。

 三ヶ月も経った今、随分となれた。これは、子犬同士が歯を立て合ってじゃれているに等しい。


「ちっ。ちゃっかりしてやがるぜ」

 たもとから、取り出した硬貨をピン、と弾いて寄越し、それを伊織は笑って受け取る。「毎度」。そう言うので、小夏は近くに伏せて置いた竹筒を伊織に差し出す。


「へぇ。器はこれかい。持ちけえっていいのか?」

 床几から立ち上がり、鍋からみつ豆をよそっている伊織を、鳩羽は、物珍しそうに眺めている。


「不要であれば、こちらで回収しますが……」

 小夏が肩を竦めた。


「みなさん、物珍しいようで、持ち帰ってくださいます」

 当初は、露店のそばに床几台しょうぎだいを置き、そこで食べてもらって、不要の竹皿を回収しようと考えていたのだが、「千寿堂せんじゅどうが珍しいモノを売り出した」という噂が一気に流れ、客が押し寄せたのだ。


「おい、伊織よっ! てめぇんとこの客が邪魔だっ!」「はかせろ!」


 床几台に座れず、溢れた客が、千寿堂の両脇に露店を構える店の邪魔になったようで、伊織とふたり、方々頭をに下げて、「どうぞ、そのままお持ち帰りください」とお願いしたのだ。


 お陰で、当初予想していた以上に竹皿が必要となり、夕方になると、伊織と小夏が交互に、天幕裏で竹を伐って容器を作る、という作業に没頭する羽目になった。


 当初、『小夏さんにそんなことさせられません』と固辞されたが、逆に、みつ豆を作れるのは伊織だけなのだ。


 不足しそうな勢いになってきたので、『伊織さんは、あんみつ作りに没頭してくださいっ』と怒鳴りつけ、麻の着物をからげて竹を踏みつけ、小夏は、竹を切りに切った。


 その話をすると、鳩羽は大爆笑して、竹串に次々と寒天や羊羹、杏を刺して、口に頬張る。


「あやかし共が言ってたのは、それか。竹を洗ったら、みつ豆が食べられる、って噂になってたぞ」

 小夏は伊織と顔を見合わせ、吹き出す。


 竹を切ったものの、さすがに、水ですすがねば容器として使えない。水設備はあるものの、そこまで足を運ぶ人手がない。


『……あやかしに頼みましょう』


 苦々しげに伊織が呟いた途端、カワウソと子狸が、こどもの姿をとって現れたのには驚いた。


 阿弥陀あみだ寺の境内では、妖力が上がり、葉っぱがなくとも変化が出来るのだという。


『手伝ったら、ただで喰わせてやる』

 伊織が言うや否や、かすり姿のカワウソと子狸は、持てるだけ竹の容器を持ち、水場に走った。


 その噂は。

 カワウソと子狸を通じて広がり、『これを洗えばいいのかい?』と、妖艶な狐や、大天狗まで現れるのだから、驚くやら笑えるやら。


「でも、それでこうやって、予想以上に売れたわけですし」

 小夏の言葉に、伊織は苦笑して頷く。


『今日、ここでみつ豆を食べた人が、水茶屋に来るかも』と、伊織が明日用に、と仕込んでいた鍋までこちらに持ち込み、結果的に完売だ。



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