第13話 八重
「君たちに迷惑をかけた
帽子をかぶりなおし、ちらりと視線を向けられたので、
「秋ごろを、と考えておりましたが……。もう少し、早くできれば……。それにこしたことは……」
「別に、秋でも構わないんじゃないですか?」
夏は夏で忙しいと言っていたし、と
「小夏さんはそうかもしれませんが……。毎晩、毎晩、隣で寝てるぼくの気持ちを考えてください……」
「え! 私、寝言とか歯ぎしり、うるさいですか!?」
「いえ、そういったことではなく……。はやく
頭から
くすり、と小さな笑い声に、動きを止める。
振り返ると、紳士が
「いや、失礼」
視線に気づいたのか、紳士が謝罪を口にするが、「
「お客様の前でご無礼を」
「また、来る」
紳士は笑みを口端ににじませたまま告げると、ちらり、と小夏を見た。
「大事に、してもらいなさい」
それだけ、言いおいて通りを大橋の方に向かった。
「……名のある、お方なのでしょうか」
背中を見送りながら、伊織に尋ねる。「さぁ」と彼も首を傾げた。
「ですが、着ているものも随分と値の張りそうなものですし。言葉も、この辺のものじゃ……」
空いた
「そういえば、小夏さんも、随分と話し方が違いますね。……まぁ、ぼくも人のこと言えませんが」
風向きの関係で湯気が直接吹き付けたようで、伊織は顔をしかめ、目の前で手を振る。大丈夫ですか、と声をかけながら、小夏は肩を竦めた。
「記憶がおぼろですが……。実母の影響のようです。伊織さんも?」
「ええ。ぼくは、このあたりの出身ではないので」
なんとなく濁されたので、小夏も口をつぐむ。
言葉遣いについては、
「こなつー。ただいまー」「お客どうだー」
通りの方から、カワウソと子狸の声がする。小夏は小さく手を振り返し、伊織を見上げた。
「計算とか、すっごく手伝ってくれたんです。私も、早く字を覚えて、そろばんを使えるようにならないと」
真剣に伝えたのに、伊織は蒸籠を持っていない手で、小夏の頭を、ぽんぽんと撫でる。
「そんなにあれもこれも、なんていいですよ。こうやってお店を手伝ってくれているだけで、ぼくは助かっているんですから」
でも、と小夏は唇を噛む。でも、全然、あなたが私に支払った結納金に足りません、と。
「あと、よろしくなー」
伊織は気さくに、足元にやってきたカワウソと子狸に声をかけ、小夏には、「無理しちゃいけません」と厳命して、店の中に入ってしまった。
「次の客の波は昼過ぎだぞ。毎年そうだ」「今のうちに、柏餅を大量に蒸しておくんだ」
すっかり先輩面で、カワウソと子狸が小夏に命じる。言い方も声も、随分とえらそうだが、二頭とも前足について外れない柏餅を舐めとるのに余念がない。
「とれないよね、それ」
笑って言うと、「そうなんだよ」「なにこれ、もう」とぺろぺろやっている。
どれ、とってやろう、と腰をかがめたとき。
「小夏」
と、鈴を転がしたような声に、動きを止めた。
ぎこちなく、顔をそちらに向ける。
通りをやってくるのは、
日傘を女中にたてかけさせ、藤色の着物をまとって、しゃりしゃりと近寄ってくる。
「……いらっしゃいませ」
なんと声をかければいいのかわからず、とりあえず、頭を下げた。
千寿堂に来てからだが、本当に人の顔がよく見える。八重とは、こんな顔をしていたのだ、と改めて思った。
(というか、何しに……?)
まさか、柏餅を買いに来た、というわけでもないだろう。
「へー。これが千寿堂?」
きょろきょろと店の外観を眺めて、八重は声を上げる。
日傘を差し出している女中にちらりと視線を走らせた。小夏もよく知る女性だ。目が合うと、唇だけ「ひさしぶり」と動かすので、会釈をした。
「だれ?」「こなつの知ってるひと?」
足元では、カワウソと子狸が不思議そうに尋ねているが、答えるわけにはいかない。曖昧に頷いて見せると、「ふうん」と返事をしていた。
「ねえ、これ、なあに?」
興味深そうに八重が指をさすのは、蒸籠だ。
料理屋の娘だというのに、知らないらしい。
「蒸籠です。今日は節句なので。柏餅を中で蒸しているんです」
「ふうん。柏餅って、お餅じゃないの?」
相変わらず、舌足らずなしゃべり方だった。これが男性にうけるのだろうか。今度、伊織にでも聞いてみよう。
「上新粉を水で溶いて……。千寿堂では白玉粉も入れるようですが。それを成型して」
「湯気が熱ぅい」
蒸しているので、正確には餅ではない、と言いたかったのだが、蒸籠から噴き出す蒸気をつつき、きゃっきゃと声を上げた。
小夏の説明などどうでもいい。そう言いたげに見えたが。
「ねぇ、あの子、アホなの?」「アホの子なの?」
まじめな顔で、カワウソと子狸に訊かれ、噴き出すのを必死にこらえる。
「お客さん。いないんだねぇ」
蒸気と遊ぶのも飽きたのだろう。きょろきょろと周囲を見回して、そんなことを言い、自分が動いたから傘の陰から外れたというのに、「まぶしいぃ」と女中を睨んでいる。
「さっきまで、たくさんいらっしゃったんですが」
「逃がしたんだぁ。悪いんだぁ、小夏」
目を細め、
男性が見れば、
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