第9話 花見団子
ちょうど、店と店の間。路地のあたりだ。
一見、日陰で涼んでいるように見えるが、その顔色が青い。目が、良くなったからだろう。荒く息をついている様子までわかる。
一瞬迷ったものの、小夏は通りを渡り、駆け寄る。
「あの。大丈夫でしょうか?」
膝をつき、高齢男性に尋ねた。「え」と上げた声がわずかにしわがれていて、小夏はやはり眉をひそめる。間近で見ると、一層顔は青白い。身分の良い人なのか。洋装をしていた。
「あの。私、そこの菓子屋のものです。よければ、休憩していかれますか?」
一瞬よろけた後、それでもしっかりとした足取りで大通りを渡り、
「ちょっと、お
言い置いて、店の中に入った。
「伊織さん」
声をかけると、
「あの。具合の悪い高齢の方がいらして……。お白湯をお出ししたいのですが」
口ごもりながら申し出ると、「それは大変だ」と、店外に出た。
「大丈夫でしょうか? どなたか、ご家人をお呼びしましょうか?」
「いえ、本当に……。えっと」
ちらり、と高齢の男性は伊織と小夏に視線を走らせた。
「店主の伊織と申します。こちらは……」
頭にしばっていた手ぬぐいを取り、ぺこりと頭を下げた後、少し照れた様子で、「妻の小夏です」と紹介する。
「……ご夫妻、でしたか」
囁くように言った後、けほけほと数回咳き込むので、小夏はその背をさすりながら、困ったように笑った。
「まだ、
「そうだ。ちょっと、湯茶を用意しましょう」
くるりと背を向ける伊織に、「いえ、結構ですよ」と高齢男性は咳き込みながら、伝える。
「大丈夫ですか?
「いえ。ちょっと、日に目がくらんだ程度で……。今年の春は、本当に、お暑うございますね」
失礼にならない程度に言葉を制し、高齢男性は、いがらっぽい声で言う。皺の刻まれた目で微笑まれ、小夏もぎこちなく頷き返した。
「よろしければ、どうぞ」
店から盆を持って現れた伊織は、そっと湯飲みを差し出す。「頂戴します」。深々と頭を下げて湯飲みを押し頂いた高齢男性は、「おや」と声を上げた。
「これはこれは。まだ、新婚さんでしたか。結納はいつ、お済みで?」
柔和に笑って問われ、きょとんと男性の持つ湯飲みに目を落とすと、桜茶だ。
「昨日でした」
にこやかに伊織が答える。大きく高齢男性は頷くと、「おめでとうございます」と
「ありがとうございます」
伊織が答えるが。
小夏は胸に、ほんのりと温もりが広がることに気づく。
(……よく考えたら、『おめでとう』って言われたの、初めてかも……)
仕事仲間の
両親は元より、誰もまだ、『おめでとう』と自分に言ってくれたことがないのだ、と思い至り、じわりと目頭が熱くなる。
「あ、ありがと……ございます」
いそいで礼を口にし、気づかれないように目元を拭う。
「もしよろしければ、菓子の方もお持ちしますが……。甘いものは口に出来そうですか?」
伊織が声をかけると、「いえ、本当にこれ以上は」と、辞される。
「そうですか。それでは、失礼して、店に戻りますが……。どうぞ、ごゆっくり」
伊織が一礼する。
顔を起こすと同時に、気遣わしげな視線を寄越すが、小夏は大きく頷いて見せた。あとは、任せて。そう意気込んだ表情をすると、安堵したように微笑んで店に入る。
「おや。なんでぃ。ここ、茶が飲めるようになったのかい?」
不意に声がかかり、小夏は背筋を伸ばして、顔を上げた。
すぐそばにいるのは、道具箱を担いだ男だ。組名の書いた法被を着ている、ということは、どこかの現場に入っている大工なのだろう。
「ええ。どうやら、店内の菓子をいただけるようですよ」
応じたのは、高齢男性だ。ずず、と桜茶をすすり、中年の大工に微笑んで見せた。
「そうなのかい。今はなにがあるんだい」
口早に問われ、小夏は反射的に応じた。
「花見団子と草餅。それから、道明寺粉を使った桜餅があります。あの。手早くお召し上がりになるのでしたら、串になっております、花見団子などいかがでしょう」
「じゃあ、その団子を一本。茶もよろしく」
はい、と小夏が返事をする間に、どっか、と大工は腰を下ろした。
「現場はどちらで?」、「大橋の東さ。旦那はどちらの?」
高齢男性と大工の会話を背中に受けながら、小夏は再び店に飛び込む。
「あ、あああああ、あの。お茶をひとつ、お願いします。花見団子が、出ました」
わたわたと、
「ここに置きますね」
銘々皿の端に、伊織が湯飲みを置くのももどかしく、小夏は駆け出す。早く行かないと、あのお客さんが逃げそうだ。
「お待たせいたしましたっ」
店先を飛び出し、床几台に顔を向けた小夏は、そこにまだ大工がいたことに、心底ホッとした。
「どうぞ」
そっと差し出すと、「おうよ」と軽く手を上げてくれる。その勢いのまま、串を取り上げ、あんむ、とばかりに、かぶりついた。
「なんだよ、しんの字! お
いかがですか、と味を問う前に、大通りから怒声が上がり、小夏は肩を震わせた。
「おう! 菓子食ってから行くよ! ってか、早ぇし、うめえぞ! お前等も来いよ!」
もごもごと
「はぁ!? すぐかい、姉ちゃん!」「ほんっとだろうな!」
空気が震えるような声に、身を竦めていたら、「本当ですよ」と、高齢男性が手招いてくれた。
「おう! だったら、しんの字と同じモノを……。えー……。ひぃ、ふう……。六つだ!」
「あ、あああああ、ありがとうございますっ」
ぺこりと大通りに向かって頭を下げ、小夏は店に飛び込んだ。
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