十一月

ー霜月ー

第34話 祝言の日

「さ。どうぞ」

 仲人なこうど葉田はだ夫人に声をかけられ、小夏こなつはゆっくりと立ち上がった。


「きれい、きれい」

 手を打って喜んでくれるのは、かんざし屋の奥さんだ。


 祝言しゅうげんの日。

 本来であれば、実家から仲人とともに花嫁は出るのだろうが、小夏にはもう〝実家〟と呼べる場所がない。


 どうしたものか、と相談をすると、「うちから出たらどう?」と提案してくれた。


「隣から、隣だけど。ないより、いいでしょう? そうしな。ねぇ、あんた、いいよね!」

 かんざし屋の奥さんはそう言って、ご主人の了承をあっさりと取り付けてくれた。


 そればかりか、振袖を着つけてくれたり、立派に髪を結いあげてくれ、かんざしまで「祝儀だ」と言って与えてくれた。


「お前ぇ、これなら角隠つのかくしもいるだろうよ。お前が使ったのでいいから、どっかねぇのか」と用意してくれて、なんと礼を言えばいいかわからない。


「本当に、なにからなにまで、すいません」

「泣いちゃだめよっ! 化粧したんだからっ」

 語尾を潤ませたら、噛みつかんばかりに奥さんに叱られ、慌てて小夏は目に力を籠める。


「お隣同士なんだから、気にすんな! ってか、いっつも菓子をタダで貰ってんのは、こっちだからよう」

 かんざし屋の御主人は、照れたように笑ってくれた。下戸げこの彼は、なにより千寿堂せんじゅどうの菓子が好きなのだ。少し余りそうになると、いつも伊織が、「これをお隣さんに」と、小夏に持たせてくれていた。


「じゃあ、参りましょうか」

 おっとりとした葉田夫人が先導をし、小夏は白足袋に履物を履いた。


 振袖など着たのは初めてだから、袖が地面につかないかと冷や冷やしたが、かんざし屋を出た瞬間、「おめでとう!」「弥栄いやさか!」のいくつもの声に、そんなことをすっかり忘れる。


 千寿堂の前には、大工の棟梁たちや、左官屋、瓦職人に、お茶の師匠方が集まり、盛大な拍手で小夏を待ち構えていた。


「こりゃ、別嬪べっぴんさんだ!」、「伊織いおりは三国一の幸せもんだよ!」、「綺麗な振袖だねぇ」、「お母さんの形見だそうですよ」、「そりゃいいことだ」


 いずれも、水茶屋や店の常連客だ。ぱちぱちと精一杯手を打ち鳴らし、「弥栄!」と寿いでくれる。

 仕事の合間を縫ってきてくれたのかと思うとつい、目が潤んだ。


「あ、ありがとうございます……」

 うぐうぐと声を詰まらせたら、かんざし屋の店先から、「泣くなっ! 化粧っ!」と怒鳴られて、必死にこらえる。


 葉田夫人に手を引かれ、よちよちと歩くと、千寿堂の前には机が置かれ、祝儀らしい、たくさんの熨斗のしを巻いた酒が並んでいた。返礼の品を渡しているのは、ひとに化けた狐と大天狗だ。


(こ、このふたりが受付で大丈夫かな……)

 思わず、ひやりとする。


 というのも。

 八重やえの帯どめの値段を操作したのは、大天狗なのだ。


 証文の値段を勝手に書き換え、支払う、支払わない、の大騒動を引き起こした原因は、このあやかしだった。


 狐女は狐女で、五十鈴屋いすずやの料理人をそそのかして、他店に出してしまっている。


『だって、あのふたり、気に入らないから』

 なんで、そんなことをしたのか、と問い詰めると、あっさりとそう言った。


棚幡たなばたの晩にであったとき、態度が悪かった』


 そんな理由で、大店を傾かせるのだから、あやかしとは、やはり人と考え方がどこか違う。


 だが、目が合うと、「おめでとうさん」「おめでとう」と寿ことほいでくれた。


 頭を下げ、店内に入ると、今度は、こちらも人型に化けたカワウソと子狸が、必死に紅白まんじゅうを経木の皮に包んでいるところだ。目が合うと、「おめでとー」と舌足らずな口調で手を振ってくれる。


 人手が足らず、だいぶん、あやかしが手伝いに入っていることに、小夏は冷や汗が止まらない。


(ば、ばれないよね。大丈夫だよね……)

 そんなことを考えながら、厨房を通り、住居部分の、八畳の間に到着する。


 そこには、上座に紋付き袴を着て座る伊織いおりと、仲人の葉田。左には鳩羽はとば。右手にははなだが座って待っていた。


 箪笥やちゃぶ台は外に放り出しているが、もう、ぎゅうぎゅうだ。

 葉田夫人の手を借りてなんとか部屋に上がり、伊織の隣に座らされ、ほ、と息をつく。


「こりゃ、また。お雛様みてぇなふたりだな」

 今日は正装をした鳩羽は、つるりと禿頭を撫で、褒めてくれるから、なんだか気恥ずかしい。


 視線を彷徨わせていると、縹と目が合った。


 今日は洋装ではなく、紋付き袴の正装だった。「おめでとう」。むっつりとした顔ではあるが、寿いでくれたことに感謝する。


 その後は、参加者が少ないこともあり、仲人の葉田が仕切り、夫婦、親族の固めの杯だけを行った後、会食となった。


 こちらは狐女が嬉々として仕切りはじめ、膳を運んだり、酒をついだり、となかなかの働きぶりだ。


「あとで、あやかしのみなさんにもお礼をしないといけませんね」

 隣の伊織にこっそり話しかけると、「別にいいんじゃないですか」と、しれっと答える。


「いつも、面倒を見てるのはこちらなんですから」

「それはいけませんよ。こんなにいろいろ手伝ってもらっているのに」


「じゃあ、紅白まんじゅうと、なにか菓子をみつくろっておきましょう」

 そう答えてくれたので、安堵して微笑む。


「小夏さん」

 名を呼ばれ、「はい」と目をまたたかせたら、「あの、ですね」と伊織が咳払いをする。


「この千寿堂は……。ご存じの通り、あやかしが多く集まるので。嫁に、と思う人は、できればそういった環境に適応出来る人がいいな、と思っていたのですよ」


「……ええ。聞きました」


 初めて千寿堂に来た時のことだ。


 伊織は、『あやかしたちの噂を聞き、貴女のことを知った』と言っていた。

 小夏自身も、「なるほど。だから自分に白羽の矢が立ったのか」と納得したものだ。


「そこで、実は……。何度か、五十鈴屋さんにこっそり貴女を見に行ってましてね」


 言いにくそうに伊織が頭を掻くから、絶句する。

 それは、知らなかった。


「最初は、配膳とか……。そういう、店に出る仕事をしていると思っていたものですから……。下働きのみなさんと一緒に仕事をしている姿を見て驚いたんですが……。その、あやかしたちからも、貴女の働きぶりなんかを聞いて……」

 目元を赤らめ、伊織は言う。


「ぜひ、ぼくのお嫁さんに、と思って……。鳩羽さんに無理を言って、葉田さんをご紹介頂いて……。仲人をお引き受けいただいたんです」


 では、と。

 小夏は、じわり、と胸に幸せが広がる。


 では、〝あやかしが見えるから〟という理由だけで、自分は選ばれたわけではないのだ。その気づきが、やわらかい温もりとなって、体中に伝わっていった。


「……小夏さん」

 そ、と名前を呼ばれ、「はい」と、幸せに満ちたまま応じる。


「とってもきれいですよ」


 満面の笑みで言われ。

 咄嗟に顔に血が上り、頬を両手で挟んで顔を背ける。


「なんで、そっち向いちゃうんですか。良く見せてくださいよ」

「い、嫌です……。なんか、嫌です……」


「一生に一度のことなんですから。忘れないように、しっかり見せてください」

「照れくさくて……。む、無理です……」


 必死で顔を隠し、俯いていたら、げほんげほん、と盛大な咳払いが聞こえて来た。


「千寿堂さん」

 低い声に、伊織ばかりではなく、小夏も顔を向ける。


「そういうのは、ふたりっきりになったときにやってくれ」


 言うなり、勇は、ぐい、と杯をあおる。

 祝言に参列はしてくれたものの、腹の奥ではまだいろいろ思うところがあるのかもしれない。ずいぶんと不機嫌な顔に、小夏も背を伸ばす。


「……はい。縹さん」

 顔をひきつらせながら素直に伊織は引き下がるが、鳩羽が一升瓶を抱えて、勇の前ににじり寄った。


「はいはいはいはい。縹さん、はいはいはいはい」

 どばどば、と勇の杯に酒を注ぎ、うんうん、とうなずいてみせる。


「いやあ、本当に本当に。若いっていうか、人目をはばからんというか、いやもう、こいつら、本当にいっつも仲良くって、いちゃいちゃいちゃいちゃ」


「してないでしょう、そんなこと!」

 目が三角につり上がる勇に、じっとりと睨みつけられ、伊織は必死に弁明する。


「口からの出まかせですからっ」

「……本当ですか、ご住職」


「いやそりゃ、ほら。若い二人が? 結婚前に? 一緒に住んで? ねぇ?」

「鳩羽さんっ!!」


「理性がねぇ。持ちます? いやあ。拙僧は無理だ」

「黙って!!」

 伊織が真剣に怒鳴りつけると、狐女が笑いながら会話に入ってくる。


「住職。もう、冗談はその辺で。伊織さんの立場がないですよう」

 鳩羽が、ぺろりと舌を出して見せたので、狐女は勇の方に向き直る。


「伊織は、小夏さんを幸せにするとおもいますよう」

 その言葉を受け、ちらり、と勇は伊織を見やる。


「あの」

 伊織は言うなり、小夏の手を握る。驚いて顔を上げた小夏は、彼と目があった。


「世界一、幸せにします」

 小夏を見つめ、ほほ笑む。


 彼の視線や、声に。

 おだやかに包まれて、小夏は真っ赤になった。「ありがとうございます」。小さくそう返したのだが。


 その声は。

「ほぉら、すぐに手を出すでしょう、あの男」と鳩羽にからかわれて、笑い声に消えた。

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