第35話 初夜 幸せな日をおもって……

◇◇◇◇


「大丈夫ですか?」

 布団に横になり、伊織いおりを待っていたら、眠っていたらしい。


 慌てて飛び起きると、「寝てていいですよ」と柔らかい笑みを向けられた。


 風呂から上がったところなのだろう。

 まだ少し濡れた髪のまま、伊織は小夏こなつの向かいに座る。


「お疲れさまでした」

 ぺこりと頭を下げるので、小夏も「お疲れさまでした」と頭を下げた。


 祝い膳を兼ねた会食は夕方まで続き、当初は不満顔だったゆうも、最後は口元に笑みをにじませる程度にはなった。


「また、来る」

 そう言って、人力車に乗って帰っていったときには、伊織とも随分と打ち解けていた。


 そのあと、仲人夫妻にお礼をし、あやかしたちにも紅白まんじゅうと弁当を持たせて別れると、かんざし屋も手伝ってくれて、なんとか片づけを今日中に済ませることができた。


「明日、またお祝いをくださった人にお礼に行きましょう」

 伊織に言われ、「はい」と頷く。


 そのあと。

 どちらとも何も言わないので。


 少し。

 緊張をはらんだ沈黙が続いた。


「あの……」 

 俯いていたら、うかがうように、伊織が声をかける。


「はい」

 そっと顔を上げると、にっこりと微笑まれた。


「今日から夫婦めおとになったわけですから。末永く、どうぞ、よろしくお願いします」


「こちらこそ、不束者ふつつかものですが、よろしくお願いします」


 互いに布団の上で、手をついて頭を下げる。

 一、二、三、で同時に顔を上げて、小さく噴き出した。


 笑い声には、寒風に戸がカタカタと鳴らす音が重なり、ふたりして、窓を見る。


「風が、強いですね」

 ゆれる窓枠を見た小夏は、その端に真新しい札が張ってあることに気づいた。


「あれは?」

 行燈あんどんの火でだいだい色に染まる札を指さし、首を傾げたら、まじめな顔で「あやかし封じです」と答えられた。


「あいつら、絶対邪魔しに来そうな気がしますから。初夜きょうを」

 言われて、なんだか顔を赤くして視線を落とす。


「……あの、ひとつ、尋ねていいですか?」

 顔を伏せていたら気づかわしげに問われ、「はい?」と顔を上げた。


「その……。夫婦が、なにするか、ご存じですよね?」


 確かめるように言われて、顔どころかつま先まで深紅しんくに染まる。さっきまで、今晩は寒いかも、と思っていたが、のぼせるほどだ。


「いや、あの! すいませんっ! 違うんですっ!いや、違わないか……っ。あの、この前、ぼくの布団に平気で入ってきたりいろいろするので……っ」


 なんて返事をすればいいのか、とゆでだこのようになって口ごもっていたら、弁解するように伊織が多弁になる。


「その……。もしかして、知らないんじゃ、とか……っ。

 だったら、ぼく、今晩、すごい酷いことする男なんじゃないか、とか! 

 いやでも、夫だしな、とか……。その、ですね! 

 ほんと、ものっすごく悩んで! ちょっと! 聞いてます!? いや。笑い事じゃないんですよ!? ぼく、真剣に考えたんですからっ!」


 伊織の必死さが途中から、どうしても可笑しくなってきて、お腹を抱えて笑っていたら、「ひどいなぁ、小夏さん」と、言っていた伊織自身も笑い始める。


「わかってます」

 ひとしきり互いに笑いあった後、小夏は姿勢をただして、伊織と向き合った。


「……いや、正直に言うと、あんまり正確には知らないんですけど」

 頬を赤らめてそう付け足したものの「でも」と、伊織を見た。


祝言しゅうげんが終わるまで、大事にしてもらったことは、わかってます。なので」

 頬を緩めて笑顔を作る。


「今晩、伊織さんの、お嫁さんにしてください」


 伊織は。

 惚けたようにその笑顔を見ていたけれど。


「ぼくは、本当に幸せ者だとおもいます」

 照れたように笑う。


「こんなに綺麗なお嫁さんをもらってしまいました」

 言って、小夏の両頬をやわらかく包む。


「どうか、ぼくの妻になってください」


 ゆっくりと、伊織の端正な顔が近づいてくる。

 ゆるり、と小夏は目を閉じた。


 すぐに。

 やわらかな感触が唇にふれる。


「しあわせにします」


 互いの唇が離れたわずかな瞬間、そう言われ、目を閉じたままうなずいた。


 伊織の肌のぬくもりや、やさしい指使いを感じながら。

 小夏は、えもいわれぬ、あたたかさに包まれる。


 千寿堂せんじゅどうに来てから、日々続いていく、幸せと。

 そしてこれからも続く、夢のような未来を思い描きながら。

 

                           



                       本編 了

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