第4話 千寿堂
◇◇◇◇
(……思っていたより、大きい……)
ぽかん、と店先から上を見上げる。
だが、『ここです』と
雄太郎が『あの小さな菓子屋』と言っていたから、店先が半間ほどのものかとおもっていたら。
(……私の両腕以上にある……)
今日は店を閉めてきたのだろう。
雨戸が閉められており、『開けてきますから、待っててください』と、伊織は姿を消した。
その、雨戸板が、すくなくとも五枚はある。
きょろきょろと周囲を見回す。
同じように店が連なっているが、この大通りでは、普通の大きさの店舗だ。決して小さいわけではない。
(そりゃそうよね。そもそも、
気づけば、口が開きっぱなしだったらしい。慌てて唇を引き結んだ。
この降ってわいたような結婚話は、そもそも八重に来たのだ、と聞いた。
『菓子屋の分際で』と、当初は家族中で
ただ、体面上は丁寧にお断りのお話を、仲人である
『そちらには、もうひとり娘さんがおられるのでは? そのお嬢さんに、一度話を聞いてもらえないだろうか』
葉田が言いだしたことにより、いきなり
(五十鈴屋には、これ幸いに、厄介払いされたんだろうな……)
もとより、小夏に『否』などと返事することはできなかった。たとえ、厄介払いにしかなかったとはいえ、この状況から逃げ出せると、うれしかったのも確かだ。
数年前から、年下の八重にはたくさんの縁談があり、彼女自身浮名を流していた。
人と比較しても仕方ないのだ、とおもいつつも、こうやって自分は年老いて死んでいくのか、と思うとえも言われない悲しさと切なさがあった。
だから。
『それでは、小夏さんを嫁にいただいてまいります』
そう言って、あの家から連れ出してくれた伊織には、本当に感謝しかない。
(恩を、一生懸命返さなくっちゃ……)
胸の前で強く風呂敷を抱きしめ、ひとり決意を新たにしていた時だ。
くいくい、と。
「……ん?」
ふと、視線を下すと。
袂を引っ張っているのは、カワウソと、子狸だった。
二頭とも後ろ脚で人のように立ち、手をつなぎあっている。
「今日はお休みだよ。おねいちゃん」
袂を引いたのはカワウソの方らしい。つぶらな丸い瞳を自分に向けている。
対して、子狸はというと、つん、と伸びた鼻先を、ひこひこ動かして、空気の匂いを嗅いでいた。
「あ……。そうね。うん。みたいね」
にっこり笑ってうなずくと、カワウソと子狸は顔を見合わせて「うわお」と言った。
「見えてるよ」「見えてるね」
驚きあっている様子に、小夏は軽やかな笑い声を立てた。
「自分たちから話しかけておいて……。見えてなかったら、どうするつもりだったの?」
腰をかがめて尋ねると、二頭は、ふん、と胸を張って見せた。
「もちろん、
腰に手を当て、鼻息荒くそう言うが、ふっさりとした胸毛が春風にそよぐ様子は、とても愛らしい。ふっさぁ、と子狸の尻尾が風に膨らむ様は、どう見てものどかだ。
くくく、と笑いを堪え、にやける顔を風呂敷に押し付けて隠す。
「笑ったな!」「ぼくらの怖さを思い知らせてやるっ!」
言うなり、二頭は、尻尾の合間から一枚の葉っぱを取り出した。
「ふっふっふ」
不敵に笑うと、そっと葉を頭に乗せる。「見てろよう」。カワウソが、精一杯すごんでみせた。
変化でもするのだろうか、と目をまたたかせている間に。
春一番が、吹いた。
「「ア――――――っ!!」」
突如吹き付けた風に、あっけなく葉は吹き飛ばされ、二頭は、驚きのあまり、ぼわり、と二倍ほど体毛を膨らませた。
その後、あたふたと両手を振りながら、「待ってー」と飛び去って行く葉を追いかけていく。
遠ざかる二頭の後ろ姿と、尻尾を眺め、お腹を抱えて笑っていたら。
「……あれ?」
ごとり、と音がして内側から雨戸が開く。
顔をのぞかせたのは、伊織だ。
「今、カワウソと子狸の声が聞こえたんですが……。どっか行っちゃいました?」
首を巡らせる伊織に、「それが……」。笑いを堪えて
目を見開いて、口を閉じる。
「ああ……」
伊織は、手慣れた様子で数枚の雨戸を開けると、肩を竦めてみせた。
「ぼく、
問われても、小夏は「あ、そうなんですか。貴方も?」と言えなかった。
ただ、陸に上げられた魚のようにしきりに口を開閉する。
(いままで……)
いままで、一度だってそんな人間に出会ったことはなかった。
小夏の目は。
ひどく悪い。
人の顔は醜くゆがんだり、ぼやけたり。かすんだり、消えたりするのに。
あやかしの姿は、はっきりととらえた。
ひとつめのカラス。手足を生やした唐製の皿。自分で自分の弦をつまびく琵琶に、金色に輝く蛇。カワウソや狸、狐などは、
仕事仲間にこっそりと、あやかしについて打ち明けてみても、哀れそうな顔をするだけで、とりあってはくれない。
多分、この辛い状況に現実逃避しているのだ。そう思っている顔だった。
だから、自分はどこか特異なのだ、と、口にするのをやめていたのだが。
「視える、んですか」
ようやくそれだけを問うと、「視えますよ」と、にっこり笑って応じられた。
「店を開けるわけじゃないから、これでいいでしょう。さぁ、どうぞ」
伊織は数枚だけ雨戸を残し、手招きをする。おそるおそる近づきながら、ようやく、小夏は息を何度か繰り返した。
あまりに驚きすぎて、呼吸をするのも忘れていたらしい。
「というか、この店はね。あやかしが良く来るんですよ」
閉め切っていたせいだろう。店の中はひやりと涼しい。
綺麗に掃き清められた土間と、うす暗い中でもくっきりと浮く白壁。
真正面には、わずかに斜めになった商品台があり、四角い大盆がいくつか、伏せて布巾がかけられている。
「さっき、カワウソと子狸が来てたでしょう?」
きょろきょろと見回していたら、笑いを含んだ声で尋ねられる。小夏がうなずくと、「常連です」と口をへの字に曲げられた。
「人間だけじゃなく、あやかしもよく来るのでね。ぼくと同じように視えるお嬢さんを、お嫁さんに迎えようと探していたんです。そのときに、あやかしたちから、貴女の噂を聞きまして」
どうりで。
ようやく、納得がいった。
どうして自分が嫁に選ばれたのかわからなかったが、これで得心がいった。
ようするに。
あやかしの接待も、できる嫁がほしかったのだ。
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