番外編 二月 ー如月ー

第38話 焼き芋1

 伊織いおりが、初めて阿弥陀あみだ寺に連れてこられたのは、六歳のときだ。


(随分とまた……。肝のふてぇ小僧だな)

 当時、二十三歳だった鳩羽はとばがまず思ったのは、それだった。


 寺に来るこどもを、鳩羽はたくさん見てきた。


 大人ならいざ知らず、こどもで、自ら出家を願ってやって来るものなどいない。


 たいがいは、口減らしのためか、家の功徳をあげるために、親に連れてこられる。

 見知らぬ大人に囲まれての生活になじめず、最初の数カ月は泣いて過ごすことが多いというのに。


 伊織は、まったく涙を見せない子だった。


 涙どころか。

 笑顔も見せない。


 人目をひくような端正な顔をしていたが、同時に冷酷な印象も与える彼は、出家するわけでもない。


 ただ。

 両親から阿弥陀寺に、預けられたにすぎない。


 当時の住職は、鳩羽に詳しいことは語らなかったが、伊織が預けられた理由は〝視える〟せいだとなんとなく理解した。


 よくある話だと言えば、それまでだが。

 厄介払い、されたのだろう。


 育ちがよく、そして誰にもなじまない伊織は、同じ年頃の小坊主たちに、しょっちゅう、ちょっかいをかけられていた。


 大人の目の届かぬところで暴力をふるわれることもあったようだが、必ず何倍にもして復讐をするので、しばらくすると、誰も話しかけず、誰も相手にしないような子になっていた。


 手を焼き、また、素性の良さから腫れもののように扱われていた伊織は、気づくと、副住職である自分預かりとして押し付けられた。


 当初こそ戸惑ったものの。

 伊織は、大人びた子どもでもあったので、もう、大人相手のように鳩羽はつきあうことにした。


 茶屋には連れて行くし、接待のはべる座敷にも同席させたので、今現在も伊織は鳩羽のことを「生臭坊主」というが、鳩羽にとっては、伊織がいたからこそ「生臭坊主」にならなかったところもある。さすがに、子連れの僧侶を本気で口説く遊女も女もいなかった。


 そんな伊織との生活が、唐突に終了したのは、彼が八歳のときだ。


 千寿堂せんじゅどうという菓子屋が、伊織を養子に欲しい、と申し出たのだ。


 寺を通じて、伊織の実家である呉須ごす家に打診したところ、「どうぞ」と返事が来て、鳩羽は声を失ったのを覚えている。


 てっきり、断るとおもったのだ。

 あくまで、伊織は寺預かりの身であって、将来僧侶になるために阿弥陀寺に来ているわけではない。


 いつか、呉須家が迎えに来るのだろう。

 なんとなくそう思っていただけに、鳩羽は呆気にとられた。


 そしてそれは。

 伊織もそうだったらしい。


 養子縁組承諾の返事が来た日。

 伊織は、初めて泣いた。


 自分は、本当に捨てられたのだ、と。

 鳩羽に漏らして、あとはただ、声も出さずに、一晩、泣いていた。


 その後、千寿堂で菓子職人として働く伊織を、鳩羽は兄代わりとして見守り続けた。


「どうやら、ぼくは家族の縁が薄いらしい」

 そう言って、力なく微笑んだのは、養父であり、菓子作りの師匠でもあった先代の千寿堂主が亡くなったときだ。


 彼はまた。ひとりになった。


 葬儀を終え、肩を落としていた伊織に、「……嫁を、迎えたらどうだ」と声をかけたのは、鳩羽だった。


「ひとりで店を切り盛りするのも、気楽でいいだろうが……。嫁と一緒も楽しいだろう」

 最初は、のらりくらりと躱されたが、あやかしたちを通じて、五十鈴屋いすずや小夏こなつ、という娘のうわさを聞きつけ、鳩羽は強く推した。


「あやかしも視えるようだし、人柄も良いと聞く。いっぺん、知らぬ顔でのぞきにいってみたらどうでい」

 

 そうして。

 気乗りしないまま、五十鈴屋を様子見に行った伊織だが。

「仲人を紹介してほしい」と、鳩羽のところにやってきたのは、その日の晩だった。




「新婚生活の塩梅あんばいはどうだ」

 焚火たきびの中の芋を棒でつついている伊織に、鳩羽はにやにやと声をかける。


「べつに。いつもどおりですよ」

 すい、と視線をそらして、伊織はそっけない返事をよこしてきた。


 檀家だんか用に注文していたうぐいす餅を運んできた伊織をみつけ、焚火の側に呼びつけたのは、ついさっきのことだ。心底嫌そうな顔をしていたが、棒を渡し、「芋を焼け」と命じたのだ。


「ってかね」

 じろり、と睨み上げられる。


「昼間っから、酒飲んでる住職なんて、鳩羽さんぐらいですよ」

般若湯はんにゃとうだよ。酒じゃねぇよ」


「酒ですよ」

「さっき、大掛かりな供養が一つ終わってな。しまい酒だよ」


「酒って、言っちゃってるじゃないですか」

 あきれたように伊織は言い、ため息交じりに芋があるあたりをつつく。


 ぴう、と冷たい風が吹き付け、焦げ臭い香りと灰を巻き上げた。

 飲んでいる鳩羽は、頬にあたる風が心地よいぐらいだが、伊織は寒かったらしい。首を竦めて、一歩焚火に近づいた。


「もうそろそろ、子ができるころじゃねえのか?」


 結納が済んで、一緒に住み始めた当初から、随分と仲が良い夫婦だった。

 祝言しゅうげんを終え、はや四カ月。ぼちぼち、そんな気配がありそうではないか。


(伊織と、あの嬢ちゃんの子かぁ……)


 想像してみる。

 錦絵にでもなりそうな子が出来そうだ。


「できませんよ、まだ」


 あっさりと言うものだから、鳩羽は湯飲みを口元につけたまま、思わず動きを止めた。目をまんまるに見開き、木の棒で風に散った枯れ葉を焚火に集めているおとうと弟子を凝視する。


「………小さいころに寺に預けられてたから、あれだけど……。まさかとおもうがお前……」

 ごくり、と空気と一緒に、般若湯を飲み込み、鳩羽は早口に言った。


「そんなお前、辛抱なんてしなくていいんだぞ!? 新婚だぞ!? 若いんだぞっ!?」

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