第23話 帯どめの支払い

「……え?」

 重太郎じゅうたろうの言葉に、頭がついてこない。まじまじと見つめると、苛立ったように睨まれた。


 途端に。

 ぐにゃり、と重太郎の顔が横に伸びる。口だけが奇妙に大きく広がり、がまぐちの化け物のようだ。


八重やえが泣きついてきてね。金がいるのだそうだ。その金を、お前の実家からもらってこい」


「ちょっと待って下さい。意味が分からない」

 頭にかぶっていた手ぬぐいをむしりとり、伊織いおりは呆気にとられて目の前の舅と姑を見た。


「八重さんに必要なお金を、小夏こなつさんに工面させるんですか? 実家に頭を下げさせて?」

 はは、と乾いた笑いを漏らし、冷ややかな視線を向ける。


「まずは、五十鈴屋いすずやさんでご用意なさっては?」


 出来ないから、こうやって頼みに来ているのだろう、とは小夏も薄々気づいているが、伊織はそこをはっきりさせる。


「八重さんは、おふたりのお子でしょうに」

「うちはいま、あれなんですよ」

 ぐ、と顔を突き出して目をすがめたのは、佳代かよだ。


 こちらも。

 次の瞬間には、人の顔には見えなかった。


 ぐいいいい、っと鼻を中心にして前に飛び出し、狐面のようだ。目はつりあがり、せわしなく動く紅を引いた唇は、ざっくり裂けた。


「生え抜きの料理人は、引き抜きにあうわ、熟練の女中は年季明けで帰っちまうわ……。店を回すだけで手いっぱいでね」


 やはり、噂は本当だったらしい。


 ちらり、と小夏は伊織を見上げる。目だけ動かし、彼も小さくうなずいた。


(少ない人数で仕事を回してるから……。細かいところまで、手が回らないんだ……)


 それに不満を覚えた客の足が遠のき、仕入れの値を下げた結果、目利きが出来ず、いたんだ魚でもつかまされたのだろう。


 そして、それを調理して、悪評がたった。


「八重も可哀そうなもんだよ」

 深くため息をついたせいで、重太郎の顔は平たくなってしまい、しぼんだどら焼きのようだ。


「悪い商人にだまされてね。当初聞かされていた五倍の金額の帯どめをつかまされて……」


 脳裏に浮かんだのは、露店につけてきていた、あの緑石の帯どめ。


 大層値が張るだろう、と思っていたが、あの尚三郎しょうざぶろうという若旦那は、なんでもない風に答えていたので、『材木問屋というのは、やはり儲かるのだ』と、感心していたのだが。


「その、支払いをしたい、ということですか……?」

 そっと、尋ねると、横柄に「そうさね」と佳代が応じる。


「あの子は騙されたんだから、払ういわれは本当はないんだよ。だけど、三田さんがいたくご立腹で……」


「別の支払いを止めてまで、帯留めの代金を支払ってくださったが……。〝それは、あくまで、当方が立て替えただけだ〟と、すごい剣幕だ。今月末までに、耳を揃えて、用意しろ、と連絡をしてきて」

 伊織は、胡散うさん臭そうに重太郎を見やる。


「騙されたって、おっしゃいますけど。そのような高価な買い物。まさか口約束ではありませんでしょう。証文もちゃんと残っているのでは?」


「八重がみたときは、もっと安い値段だったと言っている。あとから、書き加えられたのだっ」

 唾を飛ばしながら重太郎らしきものは激高げきこうしているが、伊織は冷淡に応じた。


「そもそも、目利きができぬものに手を出すから、そのようなことになるのではないのですか。物には相応の値がつくもの。不相応であれば……」

 形の良い口端を吊り上げる。


「それはもう、なにかある、とおもわねば」


「そんな御託ごたくを聞きにきたんじゃあ、ないんだよっ」

 床几台を蹴倒す勢いで佳代らしきものが立ち上がる。小夏は小さく悲鳴を上げ、伊織の作務衣に取りすがった。


 ぐいいいいいい、と佳代の顔が伸び、とがった口先が、ぱくぱくと開閉する。


「いいから、あんたは黙って、あの死んだめかけの実家に行って、金をふんだくってくんだよっ」


「すいませんが、座っていただけますか」

 ずい、と佳代と小夏の間に伊織が身体を差し込み、冷たく言い放つ。「佳代」。重太郎が袖を引き、座らせた。


「その娘の実家は、落ちぶれた金持ちの家でね」

 重太郎は、横に伸びた唇をだらしなく垂らした。目は黒くかすんで見えないが、きっと好色そうな光を宿していそうで、小夏はうつむいてやりすごす。


「どうしても、まとまった金が欲しくて、娘を売りに出していたのさ。それをわたしが買ってね。妾にしたのだが……」


「五年も持ちゃしない。あっさり、死にやがって。とんだ、高い買い物だったよ」

 佳代がつまらなそうに鼻を鳴らした。


「いやあ。五年もあんな上玉を手元におけたんだ」

 ひひひ、と、下卑た笑いが鼓膜をざらり、と撫でた。


「泣いて嫌がる女を抱くのもいいもんだ、とおもったね。金で黙らせて、好きなように遊べるんだ。いい買い物だよ」

 声がこもると思ったら、伊織が耳を塞いでくれていた。じわり、と涙が目に浮かぶ。


 まだなにか重太郎が言いつのっていたが、「そんな話はどうでもいいです」と伊織が突っぱねて黙らせ、小夏の耳から手を離す。


「失礼ですが、娘を売るほど、小夏さんの実家は窮乏きゅうぼうしておられたのでしょう? 金などあるのですか」


 実際、そうだとおもう。

 もし、余裕があるのだとしたら、母も、五十鈴屋に小夏を預けるのではなく、実家に戻したのではないだろうか。


「それが、その娘を売った金で一発当てたらしくてね。いまじゃ、海運のお大尽だいじんさまらしい」

 不満そうに重太郎はこぼす。


「まったく、娘を売った金で、なりあがるとはねぇ」

 どの口がいうのか、と伊織が呟き、あきれる。


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