第22話 金の工面

(……変らないな……)


 ふと、そんなことを思った。

 傲然ごうぜんと、腹を突き出して歩く重太郎じゅうたろう。その数歩後を、背筋を伸ばして歩く佳代かよ


 半年ほど前に別れたままだが、表情も態度も全く変わりが無い。


 不遜ふそんで、憮然ぶぜんとしていて。

 いつも不機嫌そうな顔で、世の中を眺めている。


「なんでしょう。祝言しゅうげんの返事に来て下さったんでしょうか」

 伊織いおりは言うなり、小夏こなつが手にしている盆を奪った。


「え!? い、伊織さん!?」

「こういうのは、後回しにしましょう」

 さっさと、厨房の方に引っ込んでしまう。


 そのせいで、「私は片付けがありますから」と隠れる言い訳を封じられてしまった。


(ま、まだ……。まだ、千寿堂せんじゅどうに来る、と決まったわけじゃないし……)


 ひょっとしたら、八重やえの嫁ぎ先に行くのかも知れない。自分に言い聞かせながら、ぎゅ、と胸の前の着物を掴む。


 不穏で、呼気が乱れそうだ。


『何してるんだいっ』と怒鳴る佳代の声や、目が合っただけで重太郎に蹴り飛ばされた痛みが蘇り、気づけば震えている。


「大丈夫ですよ。きっと、ご挨拶にきてくださっただけです」

 かちかちと顎を鳴らしていたら、いつの間に戻ってきたのか、伊織が腰を抱いて引き寄せてくれた。


「そ、そうでしょうか……」


 漏れた声も震え、心許ないが。

「きっとそうです」と微笑んでうなずかれると、次第に身体の芯が温もりを取り戻す。


「対応は、ぼくがしますから。小夏さんは隣にいてください」


 目を見て言われ、小夏は首を縦に振った。同時に、ほ、と安堵の息を吐く。

 そうだ。

 なにも、自分一人で対応しなければならないことはない。今は、伊織がいてくれるのだ。


「どうも、千寿堂さん」

 大橋を渡り、やはり店先まで来た重太郎は、横柄おうへいに伊織に声をかけた。


「こんにちは、舅さま」

 そつのない笑顔を浮かべ、伊織が会釈をする。ぎゅ、と腰を抱く手に力が込められたので、小夏もおそるおそる頭を下げた。


「ちょっと、話があるんだが、いいかね」

 ちらり、と店奥を見られた。中でゆっくり話したい、ということなのだろう。


「祝言のことですか?」

 伊織の言葉を鼻先で吹き飛ばし、小夏に目を向ける。


「その娘に言いたいことがあってね」

 じっとりとした瞳を向けられ、すくみ上がる。今更自分になんの用だ、と震えながら伊織の袖を握った。


「ぼくも同席させて頂いてよろしいですか?」


「あんたは関係ないでしょう」

 不機嫌に吐き捨てるのは佳代だ。びくり、と身を竦ませたが、伊織は意にも介さない。


「小夏さんを、嫁にいただいた身です。彼女にまつわることは、ぼくにだって関係がある」

 舅と姑を交互に見た伊織は、冴え冴えとした笑みを口の端に浮かべた。


「ぼくに聞かせられない話なのであれば、相済あいすみませんが、お引き取りを。まだ、仕事がありますので」


 語気が荒いわけでも、怒りを浮かべるわけでもないのに。

 ぴしゃりと、頬を打つような鋭さに、今度身を強ばらせたのは、重太郎と佳代だった。


「……別に、千寿堂さんに聞かせられん話ではない」

 咳払いをして誤魔化すと、促しもしないのに、佳代を連れてさっさと店に入ってしまう。


「あの、お茶とか……」

 用意した方が良いのだろうか、と伊織に尋ねたが、口をへの字に曲げられた。


「長居されたら困るじゃないですか。いいですよ、出さなくて」


 あっさりそう言い、よいしょ、と床几台しょうぎだいのひとつを持ち上げた。どうするのか、とぎょっとしたら、それを店の中に入れてしまう。


 店じまいなのだろうかと慌てたが、伊織は店内にいる重太郎と佳代に、「どうぞ、こちらにおかけください」と声かけをしていて目を丸くする。


 住居に入れるつもりなど、さらさらないらしい。


 慌てて店内に飛び込むと、案の定、重太郎と佳代も、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしている。


 店に入ったものの、住居部分に入るには、厨房を通らなければならない。

 このふたりには、それがわからず、まごついていたところを、あっさり、「ココに座れ」と静かに命じられ、完全に戸惑っていた。


(……なんというか……) 

 ふ、と笑いがわき起こりそうになり、小夏は俯いた。


(伊織さんらしい)


 一見、優男やさおとこで。

 また、言葉遣いも丁寧だからよく誤解されるが。


 伊織は、非常に、気が強い。おまけに、負けず嫌いでもある。


 勘違いして、なめてかかる同業者を、がつん、とやり込めるところを、小夏は何度も見てきた。


 おだやかで、口答えもできないであろう、小心者。


 そんなこと、あるわけがない。


 十八だといっても、ひとつの店を切り盛りし、鵜の目鷹の目の商人たちとしのぎを削って、売り上げを伸ばしていくのだ。だいたい、あの荒くれ者のような大工達と巧く付き合えるのだから、肝が据わっている。その一方で女衆たちにも愛想がいい。


 おっとりと、ただ優しいだけでは、商いはやっていけないのだ。


「それで、どのようなお話ですか」

 重太郎と佳代を並んで座らせ、その前に伊織は立つ。


 ふたりを見下ろしているような形なので、口調はゆるやかで、表情もにこやかだが、睥睨へいげいしていることに変わりは無い。


「小夏の実家のことだ」

 そ、っと伊織の隣に移動すると、重太郎が口を開いた。


「じ、実家、ですか……?」

 きょとんと、伊織を見上げる。彼も不思議そうだ。


「小夏さんの実家は、五十鈴屋いすずやさんでは?」


「うちじゃないですよ。めかけの方ですよ」

 馬鹿にしたように佳代が応じる。


「あ。お母さんの……」

 小夏は呟く。佳代の語調に伊織はまた、不機嫌な色をちらつかせたが、こんなものは、いつものことだ。暴力を振るわれないだけ、断然良い。


「そこに、金の工面をしてきてもらいたい」


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