十月
ー神無月ー
第21話 大工たちのうわさ
「えー。三日も休みにするのかい、
本日の菓子が張り出されている掲示板の下に、「十一月三日から五日日まで、お休みをいただきます」と紙を貼りだした途端、床几台から一斉に不満の声が上がった。
「すいません。あの……。
小夏は照れながらも、ぺこりと頭を下げる。
「おお。なんでい。ようやく、決まったのか」「そいつは、
口々に
今月の菓子である、きんつばをあっという間に口に放り込み、あとは、お茶を飲んでうだうだと話をしている。
貴重な情報交換になるようで、大工仲間だけではなく、左官屋や瓦屋など、さまざまな業種が集まってきては、好き勝手に話をしている。
「そういや、最近、小夏ちゃんが色っぺぇのは、そのせいか」と、からかわれ、「関係ないです」と顔を真っ赤にして否定する。
「初めて会ったときなんか、棒きれが布を巻き付けてんのかと思ってたが……。近頃はこう……、なぁ?」
中堅の大工が同意を求めると、客達が、ニヤニヤしながら頷く。
「こう、まぁるくなって、良い感じだぁな」「こりゃあれだ。
そう言われ、さらに真っ赤になった。
単純に、あの
(うう……。自分でも、太ったかな、って気にしてるのに……)
俯いて後悔をしていたときだ。
「……なんだか、当初考えていた水茶屋の様子と違うんですけどねぇ」
もう一枚、休業の案内を書き記した半紙を持って店から現れた伊織が、不思議そうにその様子を眺める。
「もっとこう……。女性が集まって、華やかな感じにしたかったんですが」
「おじさんたち、ばっかりになってますね」
くつくつと笑い、小夏は伊織から預かった半紙を、入り口付近に画鋲で押し付けた。
「おい。伊織よ。ようやく祝言までこぎつけたか」
ばしり、と鈍い音がして、何事かと振り返ると、大工のひとりが、伊織の背を叩いて笑っている。
「お
「いや。さすが、昔は寺に預けられていただけはある。忍耐。忍耐だよ、これは」
やんや、と他の大工が囃し立て初め、伊織も苦笑いだ。
「だから、あれだぜ。小夏ちゃんよ」
不意に話をふられ、「はい?」と首を傾げる。
「初夜に、壊されちまわねぇように気をつけろよ。たまってんぞー、こいつ」
「そりゃ、三日どころか七日は休みがいるな、うん」
大声は、様々な陽気な笑い声に掻き消え、冗談を言われているのだとわかってはいるが、どうにもいたたまれない。
気遣った伊織が、「そういうことを口にするのはやめてください」と真面目な顔で注意するが、誰も意に介していない。
「でも、祝言の目途がついた、ってことは、ちったあ、金が溜まったのかい?」
まだ年の若そうな左官が、助け舟を出してくれる。伊織は、ほっとしたように大げさに頷いてみせた。
「みなさんのおかげをもちまして、なんとか工面ができました」
途端に、破裂音のような拍手が続く。「毎日、茶を飲みに通ってやった甲斐があるぜ」と、一番年かさの大工が言い、また、笑いが起こる。
「お
「西町の、材木問屋をみてみろよ。もう、傾き始めてるぜ」
「大橋の向こうの……、ほれ。あの料理屋。あれもだ」
「
大工たちの言葉に、小夏は動きを止めた。
「材木問屋って、あの三田のかい?」
耳さとく聞きつけた飾り金具屋が、声を潜める。大工たちは、がぶりとお茶を飲み、ひとつ頷いた。
「一件、支払いを滞納したらしいぜ。東北からの大口を、よう」
「三田が、かい? なんでまた」
「払うべき金を、別のことに使っちまったんだと」
へぇ、と眉を寄せていたが、大工のひとりが、ぐい、と肩を寄せる。
「あっしは、今度五十鈴屋で会合をしようとおもってやしたが……。だめかい」
「この前、いたんだ魚を客に出したらしい。もう、その客がお冠どころの騒ぎじゃなかったらしくてよう」
顔をしかめて話す大工だったが、「おい。時間だぞ」と誰かが声を上げたために、口を閉ざした。
「じゃあ、また明日も
大工や左官屋たちは、口々に「ごちそうさん」と告げ、来た時以上に騒々しく立ち去って行った。
「……三田の、材木問屋って、確か……」
伊織が、そっと声をかける。彼も聞いていたらしい。
「
盆を取り上げ、皿や湯呑を片付けながら、小夏は、彼を見上げる。
「五十鈴屋の件。なにか、ご存じだったんですか?」
祝言の日が決まった時、「しなくていい」とは言われたものの、一応五十鈴屋に連絡をしてくれたのだ。
『仲人の
五十鈴屋に出向き、
それは、三日ほど前の話だ。
これだけ噂が出回っている、ということは、そのときすでに、何か伊織の耳に入っていたのではないだろうか。
「……おなじ、食べ物屋ですから。仕入れの商人から、ちらりと話をきいたことがあります」
言いにくそうに口端を下げ、伊織は小夏を見る。
「最近、腕の良い料理人が抜けた、とか。年季明けで下働きの女中が数人辞めた、とか」
そのことで。
目が届かなくなっているのだろうか。
(……
ざわり、と胸の奥が揺らめく。
下働きの姐さん達など、まだまだ年季が明けない。
もし、五十鈴屋の経営が思わしくなければ、いろいろ理由をつけて、無給でこきつかわれるのではなかろうか。
「行事ごとがないと、どうしても厳しいでしょうが……。今から年末にかけ、飲食業はかき入れ時ですから。まだ、心配しなくても大丈夫ですよ」
伊織に声をかけられ、小夏は、ゆるゆると頷く。
そうだ。ここで売り上げが落ちたとしても、まだ巻き返しは図れる。
年末、新年、そしてそのまま花見に持ち込めば……。
「というか……。小夏さんは、本当に優しいのですね」
溜息交じりに言われ、はた、と小夏は顔を上げる。
すぐ側にあるのは、不機嫌そうな伊織の顔だ。
作務衣姿のまま腕を組み、むっつりと自分を見下ろしてる。
「こういってはなんですが……。五十鈴屋での貴女の扱いは散々でしたよ? それなのに、心配するなんて」
「いえ、それは……」
わたわたと、首を横に振る。
そんな、ほめられるような心情ではないのだ。
正直なところ、気にしているのは姐さん達であり、あの両親と義兄ではない。
「小夏さんの優しさは」
不意に伊織が、腕を解く。
大きな両掌に、頬を包まれたかと思うと。
こつり、と額をぶつけられ、睫毛がふれあう距離で、眉根を寄せられた。
「ぼくだけに、向けて欲しいです」
ほう、と。
一気に頬や首に熱が走り、小夏は盆を抱えたまま、後ろに飛びすさって距離を取る。
「そ、そそそそ、そういうの、やめてくださいっ」
鳩羽と相談をしながら、祝言の日取りを決めたのが十日ほど前。
それ以降、なんだか、伊織との距離が近い。
いや、正確に言うと、伊織が、距離を詰めてくる。
眠っていて、ふと目を醒ますと、彼が手を握っていたり。
出来上がった菓子を並べていると、肩が触れあうほどの近さで、話しかけてきたり。
(し、心臓が持たない……っ)
ばくばくと暴れ回り、脈打つ血液をなだめているというのに、伊織は、というと、しれっとした顔で、「もうすぐ、正式に
「まだ、夫婦ではありません」
断言をし、洗い場に戻ろうとした小夏だが、「待って」と固い声をかけられた。
「……はい?」
一気に変った声の調子に、小夏が目をしばたたかせて振り返る。
「五十鈴屋さんだ」
耳元で囁かれ、小夏は伊織の視線を辿る。
通りの向こう。
大橋を渡り、
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