第24話 縹の家
「そのなりあがるきっかけを作ったのは、
とがった口を上下に開き、
「今、こっちが困ってんだ。金をくれても罰はあたらないってもんだよ」
「それは屁理屈でしょう」
完全に
「それに、こっちは、その娘をこの年になるまで育てたんだ。おまけに、嫁にも出したしな。その経費だよ」
「経費って……」
ため息交じりに伊織が吐き捨てた。
「あんただって、感謝してほしいよ。うちが、
佳代がきつい声を発した。「そりゃそうだ」と
「
黒くかすんだ
「見ねぇうちに、だいぶん変わったじゃねえか。よくかわいがってもらって、しこまれたんだろ」
ただ、ひたすら怯えて伊織の背に回り込み、
「ぼくは、小夏さんを妻に迎えたのであって、買ったわけではありません。それに」
背中に張り付いているからか、伊織の声が振動になって伝わってくる。
「
きっぱりと言い切り、鼻白んだらしい。しばし、店内に静寂がおとずれた。
「お話はそれだけですか」
ぱしり、と音を立てて伊織は
「お伺いしましたが、小夏さんにもぼくにも、どうにもお役にたてそうにない。申し訳ありません」
単調に告げ、「さぁ、仕事に戻りましょう」と、背後の小夏に声をかける。
「小夏! お前、恩を仇で返す気かいっ」
最初に怒声を発したのは、佳代だ。「そうだ。この罰当たりめ!」と、重太郎がかぶせる。
「恩を持ち出すのはおかしいでしょう」
だが、一刀に切り捨てたのは、伊織だ。
「そもそも、あなたがたが、彼女にした仕打ちを、ぼくは忘れていませんよ」
小夏を背に庇ったまま、言い放つ。
「金の工面というのなら、私財でもなんでもなげうってご用意なさってはどうですか。うちはもう、かかわりのないことです。だいたい、祝言もせずに、放り出しておいて、よくそんなことが頼めますね」
「もし、五十鈴屋がつぶれたら、お前のせいだからな、小夏」
重太郎の怒声は、伊織越しに、小夏の心を揺さぶった。
(……潰れる……)
そこまで、切羽詰まっているのだろうか。
いや、そうなのだろう。
そもそも、小夏になど絶対頼みに来るはずがない。それなのに、こうやって足を運んできた、ということは、状況はかなり悪いに違いない。
(
胸を締めたのは、自分を守り、庇い、ここまで大きくしてくれた下働きの女たちや、下男たちだ。
五十鈴屋がつぶれるとしたら、真っ先に困るのは彼らだろう。
「……あの。どこに、お願いに行けばいいですか」
伊織の背にしがみついたまま、顔だけ出して、小さく尋ねる。
「小夏さん……」
眉根を下げる伊織に、「ごめんなさい」と小さく詫びた。
「姐さんたちを……。見捨てられません……」
伊織は、困ったように口の端を下げていたが、ふ、と目元を緩ませ、微笑んでくれる。
「まぁ……。貴女らしいですよ」
「
どん、と鈍い音がするから、肩を震わせてみやると、重太郎が床几台の上に書状らしきものを叩きつけて立ち上がったところだった。
(縹、というのが、お母さんの実家……?)
だがしかし、住所も名前もわかっているのなら、どうして自分で頼みにいかなかったのだろう、と不思議になるが。
すぐに、断られたのだ、と気づいた。
あるいは、妙な意地を張って、頭を下げたくないか。
そのどちらか、なのだろう。
「いいか。今月末までだからな。金をちゃんと用意して来い」
言うなり、さっさと
「……さて。通常業務に戻りますか」
ふう、と伊織が息を吐き、
「小夏さんは、洗い物をお願いします」
はい、と返事をして厨房に足を向けたが。
「あの……」
伊織の背に声をかける。「なんですか」。敷居をまたいだ、妙な態勢で彼は振り返った。
「縹の家に……。一緒に、行ってくださいますか?」
おずおずと尋ねると、「もちろん」と陽気に笑ってくれる。
ほ、と小夏は息を吐いた。
「洗い物、してきます」
「よろしくお願いします」
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