第25話 背中合わせの、夜
◇◇◇◇
何度目かの寝返りを打った時、「眠れないのですか」と、隣の布団から声が聞こえてきた。
「……はい」
掛け布団から目だけだし、
最初は真っ暗な室内だったが、すぐに夜目が効くようになったのだろう。
さっきまで眠っていたような気配があったのだが、起こしてしまっただろうか。
いつからか、眠るときには
さすがに、着替える時は使用するが、なんとなく、眠るまで話をしたりしていると、衝立が邪魔になってきて、どちらが言い出したわけでもないが、外してしまった。
「明日のことを考えたら、なんだかドキドキしてきて……」
ちらり、と
「帰れ、と怒られないかな、とか。お前なんて知らない、って塩撒かれないかな、とか。ものすごい大雨が降って船が使用できなくなったらどうしよう、とか、そもそも、縹の家なんて嘘で、騙されてるんじゃないか、とか」
次々と語りだす小夏に、伊織は笑いだす。
「よくそこまで、不安要素を思いつきますねぇ」
「だって」
言ってから、下唇を噛む。
今まで、一度だって何か物事がうまく進んだためしがない。
母はすぐに死に、引き取られた
せっかく来た縁談は、結納金をふんだくられて、
ようやく軌道に乗りかかったというのに、今度は「金を工面しろ」、だ。
「大丈夫ですよ。縹の家に手紙を送ったら、丁寧なお返事が来たじゃないですか」
伊織は、笑みこぼれている。
(……そう、なのよね……)
実は、丁寧すぎるほどの、返事が来ている。
何度も読み返し、伊織にも見てもらって、そして、出した手紙は。
数日を待たずに、返答が来た。
そこには、面会のための時間をとろう、というものだ。
乗る船の日時が指定してあり、船着き場には案内人を待たせてある、と書かれている。時間的に店を開けておくことは難しく、伊織はすぐに、「この日は、お店を閉めましょう」と言ってくれた。
「会ってくれますよ。お金のことは……。まぁ、あんまり、期待はしないでおきましょう」
伊織にとっては、それはどうでもいいことのようだ。
「それより、小夏さんのお身内に会えるんですから。もっと楽しみに思ってはどうですか?」
「……そこも、不安で……」
掛け布団を握りしめ、小夏は、うう、と呻く。
五十鈴屋の身内は、完全に馬鹿にしていたが、小夏の母は、それはそれは美しい人だったのだという。
金に物を言わせて重太郎は、小夏の母を屈服させていたが、本来であれば、ふれることもかなわぬほどの美しさの人であったそうだ。
「……
「全然、ちんちくりんじゃないですよ、小夏さんは」
とうとう大笑いし始めた伊織を、恨めし気に睨む。
(伊織さんは、基本的に私のことを、けなさないからなぁ……)
だけど、五十鈴屋にいたときは違った。
暴言を吐かれ、足蹴にされ、
「それは杞憂というものですよ。さぁ、明日のために。目を閉じて寝ましょう」
諭されるように言われたが、小夏は返事をせず、じっと伊織を眺める。
「……どうしました?」
てっきり「はい」と返事が来ると思っていたらしい。
自分に向けられた視線を感じ、伊織は目をまたたかせる。
同時に、窓が寒風に揺れた。つい数日前までは夜もそこまで気温は下がらなったのだが、今日はやけに冷えている。
「寒くて、眠れませんか?」
闇夜の中でも、つるりと光沢を宿した伊織の瞳が、自分を気づかわしげに見る。
「伊織さんは、寒いですか?」
「そう、ですね……。まぁ、ほんの少し、ですが」
「伊織さん」
「はい」
「そっちのお布団に行ってもいいですか」
「……………は?」
数十秒の沈黙の後、伊織は問い直したというのに、小夏はむくりと上半身を起こし、枕を小脇に抱えて膝立ちのまま、寄って行く。
「ええええっ!? ちょちょちょちょ、待っ……っ!」
ひたすら動揺する伊織を押しのけるように布団に潜り込むと、くるり、と背中を向けて丸まった。
「寒かったり、眠れない時、いっつも、こうやって
「ぼくは、姐さんじゃないっ!」
音程を外し、どこか悲鳴に似た声で伊織は叫ぶ。
同時に、もぞもぞと布団の端に移動しようとする気配があるので、首だけねじって小夏は言う。
「背中同士くっつけてたら、あったかいんですよ。ほら、そんな端っこじゃなくって」
「いや、そうじゃないでしょう! ぼくは大丈夫ですから、自分の布団に戻ってくださいよ!」
「眠れないんです」
「ぼくだって、これじゃあ、眠れない!」
「いや、ですからね」
ごろん、と身体ごと向き直り、布団の端っこで
「背中同士、くっつけて寝たら、眠れるんですよ。不思議でしょう?」
「…………これは、なんですか…………。新手の拷問ですか………」
「拷問………」
呟き、次第に自分でも眉が下がるのがわかる。
伊織が寒いと言っていたし、眠れないと言っていたので、ならば、と自分なりの対処方法を提示してみたのだが、〝拷問〟と思われるほど、嫌なことらしい。
(……最近、伊織さんがよく、くっついてくるから、いいかと思ったけど……)
「ごめんなさい」
謝罪を口にしてから、手を布団につき、上半身を起こそうとしたら。
がっつりと、その手を掴まれる。
「違うんですそうじゃないんですどうしてそんな悲しい顔をしてるんですか貴女はまた全く違う方向で思考を巡らせていますよまったくもうどうしてそんなに困ったことばっかり言うんだろうこのひとちょっとはぼくのことを考えて欲しいけどもう本当に」
念仏かと思うほど、平坦に、一本調子で。
しかも区切りなく伊織はまくしたてると、「ほら」と布団の真ん中にごろん、と背中を向けて寝転がった。
「ほら。小夏さん。背中合わせで寝るんでしょう?」
促されるので、おずおずとまた寝転がり、伊織に背を向けると、ぴたり、と彼の方からくっつけてきた。
(あ。懐かしい……)
じわり、と寝間着越しに伝わってくるぬくもりに、思わず顔がほころんだ。
姐さんの背はもっと柔らかくて、ふわふわしていた。
伊織の背は薄いけれど広く、そして、がっしりとしている。
呼吸をするたびに、しっかりと背中同士がくっついて、そのうえ、姐さんよりあったかい。
すう、と彼が息を吸い込み、ふう、と吐息を漏らす。
定期的なその呼吸音を、小夏は目を閉じて感じていた。
「怒られて、叩かれて……。目を閉じて眠ろうとしても、痛くて痛くて、眠れない時とか。こうやって、姐さんのお布団に潜り込んでいたんです」
口から自然に漏れたのは、そんな言葉だった。
「明日も早いから、眠らないとしんどいのに、全然眠くならなくて……。痛いし、焦るし、涙ばっかり出てきたら、姐さんのところに入って、こうやってくっついてたんです。そしたら、自然に眠くなってきて……」
「……ぼくの背中でも安心しますか?」
静かに尋ねられ、「はい」と微笑んで答えた。
「誰かの呼吸音を数えてたら、だんだん、眠くなってくるんです。これ、私だけですか?」
「さぁ、どうでしょう」
伊織が苦笑を漏らす。
「ぼくが、この家に引き取られたのは、八歳のときで……。千寿堂のお母さんは、そのときからすでに、起きたり、寝付いたりしていました」
「……そう、なんですか」
思わず目を開く。うなずいたのだろう。伊織の背中が、少し揺れた。
「体調が思わしくない日も、店に立てるほど元気な日も。変わらずに、この一間で、親子三人、大きめの一枚の布団に、みんなで川の字になって寝てました」
「温かそうですね」
「夏は、地獄です」
思わず吹き出すと、背中同士、強く押し合う。くつくつと伊織も笑っていた。
「一年後に、お母さんが亡くなってからは、お父さんと別々の布団で寝ていたので……。こうやって、誰かと一緒に眠るのは、それ以来ですね」
小夏は、「そうですか」とうなずき、それから首だけねじって、背後の伊織を見た。
「今後もし、寒い、とか、眠れない、ってことがあったら、遠慮なくおっしゃってください。私のお布団に来てくださいね」
「………………では、祝言を挙げたら、遠慮なく」
はい、と返事をすると、「意味わかってますか?」と脱力したように問われる。
「わかってますよ? 来てください」
真面目に答えたのに、「はいはい」とぞんざいに受け流された。
(ひどいなあ、伊織さん)
むっつりと口を引き結び、目を閉じる。
定期的に聞こえる伊織の呼吸音とは別に、耳を澄ますと、とくとくと心音も響いてきた。
ふわり、と小夏はあくびをする。
「おやすみなさい」
きゅ、とさらに丸まり、背中を伊織に押し付ける。ぴくり、と彼は動いたけれど、「おやすみなさい」と返してくれた。
小夏は、その彼の呼吸音や心音を聞きながら。
次第に、眠りに落ちていった。
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