第26話 お屋敷

◇◇◇◇


「………予想はしていましたが」

 大きな門構えを見上げ、伊織いおりは呆気にとられたように、言葉を漏らした。


「いや、予想以上のお屋敷でしたね……」

 小夏は、言葉も発せずに、ただ頷くだけだ。


『ここで、家人をお待ちください』

 車夫しゃふに言われ、人力車から降ろされたのだが。


 延々と続く白壁沿いを走っていた時、伊織と、『まさか、ここじゃないですよね』、『ここじゃないですよ』と言い合っていた。


 その、屋敷の前だった。


「……あの、豪華なお昼ごはんが出たあたりから、これは……、とは思っていましたが……」

 左手で、無造作に髪を掻きむしった伊織は、慌てて手櫛で直す。


「……私は、船着き場で、人力車が待っていた時に、まさかねぇ、と思っていました……」

 心なしか、口から出た声がかすれていて、小夏こなつは咳ばらいをする。


 伊織の布団に潜り込んで、ぐっすり眠った次の日。


 ふたりは、指定された時間の船に乗り、ひたすら川を下った。

 夜はあんなに冷えていたのに、太陽が昇ると、一気に気温が上がる。


 この寒暖差が、紅葉を赤く染めるのだ、と船頭は小夏に説明し、川面を渡る風が寒くないか、と伊織は自分の上着まで膝にかけてくれた。


 そうして海のほど近くの船着き場で止まると、そこには、人力車が待っていた。


 手紙には、家人が迎えに行く、とは書かれていたが、まさか車夫がいるとは思わず、「いえいえ、歩きますから」とふたりで固辞したのだが、それでは自分が旦那様に叱られる、と言われて、何も言えなくなった。


『人力車なんて、初めてでです』、『ぼくもですよ』と、おっかなびっくり並んで座ったものの、その快適さや速さに、次第に心が浮き立ち始めた。


『帝都の方では、西国まで続く陸蒸気おかじょうきというものが準備されているそうですよ』

 伊織が首を傾げるようにして、小夏の顔を覗き込む。


『いつか乗って、ふたりで遠くまで遊びに行ってみましょう』

 そうですね、と小夏がうなずき、なんだか旅行気分で流れる景色を見回していた。


 昨晩、あまり眠れなかったらしい伊織はすぐに船を漕ぎ始め、彼の寝顔を盗み見たりして、ほっこりしていたが。


(……随分、走るのねぇ……)


 かれこれ、半刻近くは、人力車に揺られている。

 太陽が真上に上り、お昼が近くなっていた。


(こんな時刻にお邪魔するなんて……。失礼だったかな……)


 だんだん不安になってきたとき、人力車は一軒の料亭の前で止まった。


『……ここで、会食するんでしょうか……?』

 かなり高級そうなところだぞ、と眠気も吹き飛んだ伊織が、おずおずと車夫に尋ねると、首を横に振られた。


『まだ、時間がかかります。旦那様からは、こちらでお昼を召し上がっていただいてから、お連れするように言われています』


 さすがにそれはできないと、ふたりで言葉を尽くして断りを入れたのだが、料亭の女将まで出てきて、『もう、お代はいただいているので、召し上がっていただかなくては困ります』と微笑まれた。車夫も、『わっしの、休憩も兼ねてるんです』と更に言われれば、もう、断ることが〝悪〟だ。


『……い、いただきましょうか、小夏さん』、『そうですね……。伊織さん……』

 ぎこちない動作で、ふたりして料亭に入ったが。


 伊織は、出される器や調理方法、飾り付けが興味深いらしく、時折懐紙に何かを書きつけたり、給仕する仲居に尋ねたりしていたが、小夏など、見たこともない食材や料理に、正直何を食べても味がしない。


 五十鈴屋いすずやで働いてはいたが、あまりにも格と質が違う。


 田舎者、とそしられるのではないかと、びくびくしていたが、女将をはじめ、誰もが気さくに、そして丁寧に接してくれて、最後には伊織ともども、笑顔で店を後にした。


 そんな経緯もあり、その後も人力車に揺られながらも、これはかなりの金持ちなのでは、と小夏はそんなことばかり考えていた。


「……手土産、千寿堂うちの竿菓子でよかったんでしょうか……」

 伊織は、ぽつり、と呟き、右手に持つ風呂敷包みを見やる。


 そこにあるのは、栗羊羹と、さつま芋を使った浮島だ。小夏は「もちろんですっ」と胸を張る。


「それは問題ありませんっ。私がこの世で一番誇らしいのは、伊織さんで。二番目に誇らしいのは、伊織さんが作るお菓子ですっ。どこに出したって恥ずかしくないですっ」

 鼻息荒く力説すると、伊織は、照れたように目の端を赤くする。


「そういっていただけると……。あの。ぼくも、小夏さんを、この世界で一番素晴らしい妻だと思っていますよ」

 そんなことを言いだすものだから、こちらがまた、真っ赤になった。


 風が吹くと寒さを感じるというのに、ふたりともなんだか顔を赤くして、「暑いですね」「ええ」と互いに顔を逸らした時だ。


「ようこそ、おいで下さいました。小夏様、千寿堂様」


 どこか、聞き覚えのある声に、顔を向ける。

 玄関まで続く小道を歩いてきているのは、洋装の高齢男性だ。


「あ……。青柳あおやぎさん……?」

 ぽかんと、見つめていると、青柳はふたりの前で足を止め、深々と頭を下げた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る