第11話 愛されていたんですよ

「あ、ありが、ありがとうございます。これからも、がんばります」

 なんだかよくわからないまま、だけど、どうしてもお礼を言いたくて頭を下げる。向かいでは、「ええ!? 頑張るのは、ぼくですよ!?」と慌てていて、可笑しくなる。


「とにかく、食べましょうか。ね?」

 けほり、と咳ばらいをして、伊織が仕切り直し、小夏もくつくつと笑いの余韻を残したまま頷いて箸をとる。


「「いただきます」」

 互いに合わせて、お茶碗を手にした。


 ぱくり、とごはんを口に入れる。もそもそとした玄米の触感があるが、しっかりと噛んでいくにしたがって、あまい味がじわりと口内に広がった。


 切り身のさばを眺めて、しあわせー、と、もぐもぐと口を動かしていたら、ふと視線を感じて顔を上げる。


 向かいの席の伊織と目が合い、ゆるり、と微笑まれて顔を赤くした。


(……私、すっごい馬鹿っぽい顔してたんじゃ……)

 恥ずかしさで死にたくなっていたら、「いいですね、こういうの」とうれし気に言われた。


「え。なにがですか」

「ぼく。千寿堂せんじゅどうの両親が亡くなってからは、ずっとひとりでご飯を食べて来たので……。誰かと一緒って、それだけで、おいしいなぁ」

 鯖を箸でほぐしながら、伊織が言う。


(……千寿堂の、両親……?)

 なんだかその言い方が気になって、小夏はご飯を急いで飲み込み、尋ねた。


「あの……。千寿堂の、両親って……?」

「あれ。釣り書きをご覧になってませんか?」

 箸を止め、目を丸くする。小夏は肩を縮めて、うなだれた。


「文字が、読めないんです……」

 読めたとしても、あの両親が見せるとは思えないが。


「ああ、そうなんですか。ぼく、養子なんですよ」

 さらりと告げる伊織に、小夏は小さく頷いた。


 特段、珍しい話ではない。子どもは沢山生まれるが、その子たちが全員育つとは限らない。跡継ぎがいなくなり、他家から養子をもらう、というのはよくあることだ。


「千寿堂の両親は実子を亡くされて、阿弥陀あみだ寺に供養を頼まれていたのですが……。そのときに、出会ったのが、ぼくで」


「え!? 伊織さん、阿弥陀寺にいたんですか!? 鳩羽はとばさんの!?」

 箸をとり落とすほど驚き、「し、失礼しました」と、拾い上げる。


「そうですよ。あのひと、ぼくの兄弟子なんです」

 むっつりと伊織は答える。「あれで、兄、なんですから」と。不満はそこらしい。


「亡くされた息子さんが、ぼくにとても似ている、とかで……。まぁ、出家していたわけではなく、寺に預けられていた身でしたから。当時の住職が、ぼくの両親に連絡をして、それで、養子に入ったんです。八歳のときでした」


「……そう、なんですか」

 なぜ、寺にそもそも預けられていたんだろう。さすがにそれは聞けず、代わりに、もう一口、米を放り込んだ。


「小夏さんは、あやかしがえていることで、嫌な思いはしませんでしたか?」


 不意に問われた。二、三度まばたきをし、そして自らの過去を振り返ってみたが、そういったことはない。素直に首を横に振ると、びっくりされる。


「ただ、目がすごく悪くて……。あの、この千寿堂に来てからは、世界がはっきり見えるようになったんですが、人の顔がぼやけたり、伸びたり縮んだり……。かすんでしまって誰だかわからなくなることが、いっぱいあって」

 小夏は口早に説明をした。


「そちらの方が、よく、叱られました。いい加減顔を覚えろ、とか」


 昔のことを思い出し、しょぼん、とうつむく。顔を覚えろ、と言われても、初対面の人間は、大概顔がくもってしまって見えないのだ。


「それは、相手の感情が見えちゃってるんですよ」

 伊織の言葉に、小夏はきょとんと彼に顔を向ける。


「ぼくも、昔はよくありました。相手の感情が色とか、もやとか……。そんな風に表現されちゃって、よくわからなくなるんですよね。人が多いところにいると、余計にいろいろ影響されちゃって……」


「そう、なんですか……」

 言われてみれば、そうかもしれない。


 相手が怒ったり、こちらを嘲笑したり、馬鹿にしたりするときに、顔がゆがんで化け物のようになったりした。


「五十鈴屋さんのように、酒を出したり、食事を供するする場は、悪い気も呼び込みますから、つらかったでしょう」

 心配そうに言われ、小夏は慌てて首を横に振るが、やさしく微笑まれた。


「千寿堂は、菓子屋ですから。ひとが一気に集まることもありません。徐々に、見えなくなりますよ」


 そう、かもしれない。

 いや。

 それよりなにより、普段接しているのが伊織だというのが、一番いいのかもしれない。


(伊織さんからは、嫌な気持ちが伝わってこないもの……)


 さっきのように気遣われたり、やさしい声掛けをされたりすることがほとんどだ。


「……でも、そうなんですね。あやかしが視えても、気味悪がられることはなかったんですね」

 ぽつり、と伊織は呟くと、目を合わせて肩を竦める。


「ぼくは、気味が悪い、といわれて、実の両親から家を放り出されたんです。捨てられたんです。それで、阿弥陀寺に」

 彼にしては珍しく投げやりな口調に、小夏は動きを止めた。


 目の前の伊織を見る。

 苦々し気に鯖を口に放り込み、食事ではない何かを必死に咀嚼しているようだ。


 その表情にはどこか見覚えがある。

 なんだろう、と記憶をたどり、そして気づく。


 結納の日だ。

 佳代かよに出ていくよう言われたあの日。


 伊織は確かに激高していた。


 それは。

 ひょっとして。

 親に捨てられた、自分の過去を揺さぶったからではないだろうか。


「私は、あやかしが視えますが……。そのことを伝えても、誰も信じてくれませんでした」 

 そっと、小夏は声をかける。伊織の瞳が動き、自分をとらえるのがわかったので、頬を緩めて見せる。


「五十鈴屋での私の待遇は、決して良いものではありませんでしたから……。私が、『あやかしが慰めてくれた』と、姐さんたちに言えば、『可哀そうに。そうやって自分をなだめているんだね』と憐れんでくれました」


 ようするに、と小夏は肩を竦めた。


「誰も、私の話を本気にしなかったんです。私が言えば言うほど、なんだか、可哀そうな子、として扱われてしまって……。他人に言うのをやめたのですが……。でも」

 伊織を見つめ、小夏は言う。


「伊織さんのご両親は、ちゃんと信じてくれたんですね。だけど、どう扱っていいかわからなくて……。それで、自分たちも考える時間が欲しくて、阿弥陀寺にお預けになられたんですよ」

 動きを止め、じっとこちらを見ている伊織に、頷いて見せた。


「捨てるのなら、もっと違うところに捨てます。私は……。そういう親をたくさん……。その、見ましたから。だから」


 愛されていたんですよ、伊織さんは。


 そっと告げる。


 伊織は。

 特に返事をするわけではなかったけれど。


 目元を少し潤ませ、「おいしいですね、この鯖」と、小夏に笑いかけた。

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