第28話 君を、探していた

「気を遣っていただいて申し訳ない」

 青柳あおやぎが一度退席するのを待ち、ゆうが礼を告げるので、「とんでもない」と伊織いおりが首を横に振る。


「こちらこそ、お昼、ごちそうさまでした」

「口に合うとよかったのだが」


「大変勉強させていただきました。あのようなお店に伺う機会もないので、器や、盛り付けや、四季の見せ方に感服次第です」

 しっかりと受け答えする伊織を、すごいなぁ、とぽかんと見つめていると、今度は盆を持って現れた青柳に、茶を勧められた。


「君の母親、というのは、わたしの姉にあたる。だから、わたしは、君の叔父になるだろう」

 一通り洋卓に茶を並べ終えた青柳が、部屋の隅に待機すると同時に、勇はそう切り出した。


はなだの長女で、名を楓子かえでこといった。顔は覚えているか?」

 問われて、「あまり」と、小夏は首を横に振る。幾分残念そうに眉を下げ、「そうか」と勇はうなずく。


「わたしが姉と別れたのは、十五のときだった。姉は当時十七。弟の目から見ても、美しい女性だった。全体的に、いまの君にとてもよく似ている。なぁ、青柳」


「ええ、ええ。初めてお会いしたとき、その瓜二つぶりに、驚いたほどでございます」

 控えていた青柳が、幾度も幾度も頷いた。


「だいたいの話は耳に入っているだろうが……。当時、縹の家は、かなり経営状況がよくなかった。先物取引で失敗してね。子爵号さえ売ろうか、というほどに窮乏して、従業員も何人も解雇した」

 勇は椅子の背に上半身を預け、長い足を組みながら、訥々とつとつと語る。


「そのとき、姉が自分を売ってくれ、と父に申し出て……。母は涙ながらに止めたのだが、姉は頑として譲らず、結局、あまたあっためかけの申し出の中から、金額の一番良い五十鈴屋いすずや重太郎じゅうたろうのところへ行くことに決まった。当時、あの店は飛ぶ鳥を落とす勢いだったのだよ」

 顔は動かさず、視線だけ小夏に向け、勇は言う。


「姉は、あの男が自分を買った金をわたしに見せ、『この金で、縹を立て直すのです』と、わたしに命じた」


 語調は淡々としているのに。

 その言葉の芯には、情念がにじみ出ていた。いや、悔悟かいご、なのだろうか。小夏は彼の目をしっかりと見つめて、一言一句、聞き逃すまいと集中する。


「『縹の名を地に落とすことは許さぬ。誇りを持て。胸を張れ。泥の中に放り込まれようと、顔を上げ、毅然とせよ』と。わたしは、その言葉を胸に、地獄を這いあがった」

 ふ、と勇は口元に苦い笑みを浮かべる。


「落ちぶれた子爵と馬鹿にされ、足元を見られて悔しい思いもしたが……。なに。そんなことは、海外の人間は知らない。彼らからすれば、わたしはこの国の貴族だ。この国の住人が相手にしてくれないのなら、わたしは、わたしの価値を。縹の価値を認めてくれる人を相手にする。そういう意味で……」

 勇は、ひとつ息を漏らした。


「姉は賢明だった。称号を売り、その場をしのいだところで、縹は延命できなかった。あそこで、姉が身を挺してこの家をまもってくれたのだ」


 ふと、小夏は思い出す。

 自分が子供のころに着せられていた、という着物。


 麻の葉を巡らせて魔を退け。

 家紋を染め抜いて、五十鈴屋の手をねつけたあの着物。


(私も……、守られていた)


「わたしは、海外から二束三文で買った商品を、この国の住民に、高値で売り払った」

 くすり、とそこで初めて勇は笑う。


「わたしを小ばかにするやつらは、だが、一方で、海外からの商品は、阿呆のようにありがたがる。腹の中でわらいながら、わたしは、高値で売りさばき、船を買った」


「そして……、今に至るのですか?」

 小夏が尋ねると、わずかに勇はうなずいた。


「手放した従業員を呼び戻し、海運業や販売業に従事させ、縹の家を建て直し、そして、姉を探した」


「探して……、くれていたんですね……」


 おもわず口から声が漏れた。「もちろんだ」。力強く言われ、肩の力を抜く。よかった、と膝の上で強く指を握り合わせる。お母さんは、重太郎の言うように、ただ、売り飛ばされただけではなかったのだ。


「ただ、姉は自分の住所をひた隠しにしていたし、家を出てから連絡を一度もよこさなかった」

 それに、と勇は、ぽつり、と続けた。


「姉の痕跡を探し当てた時には、もう亡くなったあとだった。帝都にあった、という小さな家も別の者が住んでいて、その後の様子は誰も知らぬ、という」


「そう……、だったんですか」

 母が亡くなったのは、小夏が四つのときだ。この前、佳代かよは「五年しか持たなかった」と、モノのように言っていたが、確かに、縹の家が持ち直し、体力をつけて楓子を買い戻すほどの金を貯えるには、その年数は短すぎた。


「ただ、偶然使いに行った青柳が、君を見つけた時は、本当に驚いたがね。これは、姉の遺志だとおもった」

 勇は声を和らげる。伊織は、そっと言葉を差し挟んだ。


「普段は、大橋のあたりまで、いらっしゃることはないのですか?」


「ない。本当に、偶然だった。あの日、青柳が血相を変えて報告をしてから、いろいろ調べて……。姉に子がいたこと。その子が五十鈴屋に預けられていたこと。そして、千寿堂さんに嫁入りが決まったことを知ってね」

 ぎしり、と椅子の音を立てて、足を組み替える。


「花抱き蘭は、姉の女紋だ。母から姉へ。そして、君に伝えられた紋を、あの棚幡たなばたの夜に見て、確信した」


 小夏は、まじまじと目の前の勇を見る。


 年は三十代半ばぐらいだろうか。

 すっきりとした肢体に洋装がよく似合うこの男性が、自分の身内である、ということがすごく不思議な気がした。


「君からもらった手紙のことだがね」

 視線を真っ向から受け、勇が切り出す。「は、はい」。小夏は背筋を伸ばして返事をする。


「ようするに、五十鈴屋の八重やえとかいう娘がした失態を挽回するため、わたしに金を貸せ、ということなのだろうか」 


 胡散うさん臭そうに言われて、額から血の気が引く。

 ありていに言えばそうなのだが、よく考えれば、自分もとんでもないことを依頼しに来たものだ、とあらためて思い知る。


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