第四十三話 腹ペコのタコと神様のドラゴン

 それは、お腹の空いたタコであった。


 小魚にも食われてしまいそうなほど小さく弱かった。


 お腹の空いたタコは、自分より小さい生物を食べて暮らす。最初はプランクトンだ。


 いっぱい食べて大きくなると、今度は小さな海老を食べるようになった。


 やがては、魚も食べられるほど大きくなった。


 大きくなると、食べられるものが増えた。貝や蟹、珊瑚なども食べられるようになった。


 けど、お腹は満たされなかった。


 食べれば食べるほど、身体が大きくなって、もっともっとたくさん食べなくちゃならなくなった。魚介類では満足できなくなったから、魔物も食べるようになった。


 もっともっとタコは大きくなった。


 すると、魔物が海域からいなくなってしまう。タコに食べられたか、タコを恐れて逃げてしまったのだ。


 だから、今度は人間の船を襲うことにした。人間は凄く困ったみたいだ。


 人間は考えた。


 船を出す時は、猟場とは逆方面に無人の船を乗せてタコの餌にする。


 けど、船に何もないことがわかると、タコは怒って暴れる。


 人々はタコに満足してもらうよう、船に動物や魔物を乗せるようになった。人間(いけにえ)が乗せられている時もあった。


 次第に、タコの存在は知れ渡っていった。悪魔の使いだと噂するようになった。


 タコと呼ぶのはあまりに滑稽なので、人々はヒュドリアという名前を付けた。


 食いしん坊のタコに頭を悩ませる人間たち。


 ある日、旅の魔法使いが漁師町に現れた。彼は、神の使いだと自称した。


 ならば、ヒュドリアを退治して欲しいと人々は言った。


 自称神の使いは了承した。

 大地に魔方陣を描き、呪文を唱える。


 すると、神竜と呼ばれるウシュロドラゴンが召喚された。


 ウシュロドラゴンは、蛇みたいな身体をうねらせ、空高く舞い上がる。そして、海の中に潜む巨大なタコを探した。見つけるや否や、海が干上がらんばかりの炎を吐き出した。


 海は沸騰し、水蒸気で世界は真っ白になった。


 すると、タコは雲にも届く長い触手を伸ばし、ウシュロドラゴンに絡みつく。力任せに海底へと引きずり込んだ。


 その日から海は酷く荒れた。近隣の島々は、波に飲まれて沈んだ。二匹のバケモノが、海の奥深くで死闘を繰り広げているのだろう。


 それが一年続いた。

 一年後ようやく海が静かになったのだ。


 戦いが終わったのだと、人々は胸を撫で下ろした。どちらのバケモノも、再び姿を見せることはなかった。きっと、相打ちになったのだろう。


 ヒュドリアの死は、すべての生物の救いであったと人々は言う。


 生きていれば、いずれ国すらも食われてしまっていたであろう。


 ――という、御伽話がある。


 人間の世界では、ファンタジー小説として描かれている。魔族学園の図書館でも、娯楽小説の棚に収められていた。


 誰もが、御伽話程度の認識しかない。もしくは神話レベルの、自分たちとは縁遠い存在。ヒュドリアもウシュロドラゴンも、想像上のバケモノだと知らされている。


 ――さて、ここで物語は終わっているが、実際には続きがある。


 実はヒュドリアは死んでなどいない。


 そもそもウシュロドラゴンは、戦いが始まってから二日で敗北していた。悪食なタコの餌となって、全身を余すことなく胃の中へと収められてしまったのである。


 ただ、ウシュロドラゴンの生命力は強く、凄まじい自己修復能力を持っている。細胞の断片となっても、タコの腹の中で生き続けたのだ。ウシュロドラゴンは、時間をかけて細胞をタコの肉体へと宿らせていく。細胞レベルでの乗っ取りを目論んだ。


 ヒュドリアの食べる力と、ウシュロドラゴンの自己修復する力。それが体内でぶつかり合う。あまりの痛さと苦しさ、もどかしさによってヒュドリアは暴れ、海に混沌を呼んだ。


 だが、一年後のある日、ヒュドリアとウシュロドラゴンは運命の出会いをする。


 そいつは、ありとあらゆる生物の骨で組みあげられた、巨大な帆船に乗っていた。


 ――名前はグレン。後の魔王グレン・ディストニアである。


 彼は、船上から海底奥深くへと魔法で攻撃してくる。体内戦を繰り広げていたヒュドリアとウシュロドラゴンは一時休戦。グレンへと襲いかかった。


 グレンは強かった。


 ヒュドリアの八本の足をすべて切断。ウシュロドラゴンの力で再生させるが、飽きることなく破壊される。


 最初に音を上げたのは、ウシュロドラゴンの残存思念だった。再生が追いつかず、意識が干からびて、ヒュドリアの体内から完全に消滅した。


 再生能力が鈍化すると、グレンは、魔法で巨大な腕を具現化。ヒュドリアの皮膚をぶち抜き、内蔵を船上へと引きずり出した。


 ドロリとした気持ちの悪い臓腑から、コアが現れる。


 ――それは、掌に収まるほどの小さなタコであった。


 力を込めて握れば、簡単に潰れるであろうタコに、グレンは語りかける。


「昼寝の邪魔だ」


 タコは、噛み合わない返事をした。


「ぴぎー」


 お腹が空いたのだ、と、自分の言葉で言ったつもりであった。


 グレンは言葉を理解し、そして気持ちすらも察してくれた。


「でかくなるから、食わなきゃならねぇ量が増えんだろうが。腹八分目にしとけ。それでも太っちまうようなら、俺のとこに来い。今みてえに、贅肉を削ぎ落としてやるからよ」


 彼は、それだけ言うと、巨悪ともいえるタコを、海へ返したのであった。


 その後。タコは腹八分目の暮らしを始めた。


 ウシュロドラゴンの残存意思は消滅したが、細胞がわずかながら残っていたのだろう。再生能力が肉体に備わっていた。


 細胞が、より食料を求めていた。けど、タコは大きくなりたくなかった。魔力で身体のサイズをひたすら圧縮し、コンパクトであろうとした。


 グレンの如く、美しく格好の良い肉体を望んだ。膨張する肉体を押さえ込み、むりやり人間の頭を構築する。腕も足も。やがて、細胞が脳のリクエストに応え、ヒトの形を成そうとする。


 もう一度、言葉を交わしたいと。あの人のようになりたいと。理想を追い求めて。


 海の底は寂しい。誰もタコの言葉を理解してくれない。けど、あの御方は、初めてタコの悩みに耳を傾けてくれた。そして、殺さずにいてくれたのである。


 百年後。人間の姿を成したヒュドリアは、陸に上がってグレンを探した。憧れの存在は、人間に紛れて暮らしていた。正面から彼を訪ね、タコは言った。


「あの時、助けていただいた、タコめにございます」


 グレンは、人間との共存の道を模索している最中であった。ならばと、タコは自分の力を使って欲しいと言った。


 グレンは、タコの名前を聞いた。ヒュドリアと呼ばれているが、それは本人が付けたわけではない。とはいえ、タコ自身も、名前など気にしたことなどなかった。タコと呼んでもらえれば十分だと思っていた。


 ヒュドリアではバケモノみたいだ。タコでは格好が悪い。もっと人間らしい名前がいいと、グレンが新たな名前を付けた。


 ――マーロック・ジェルミノワ。


 これが、歴史書にも小説にも描かれていない、グレンとマーロックの物語である。



 マーロックの正体は、ヒュドリアという食いしん坊なタコ。食べると、皮膚から細胞が湧きだし、肉体が膨張していく。それが、ウシュロドラゴンという、再生能力に優れた神竜の能力を吸収した。


 本来のサイズは山脈をも越える巨大な体格。本人ですら、これほどの肉体を孕んでいたのかと驚くばかりであった。


 魔王と戦った時以来、この姿になったことはなかった。そして、あの時より遙かにデカい。


「ぐ、グオァァァアッ!」


 叫べば天が震える。この世界で、マーロックよりも強く巨大な生物は存在しないだろう。


「腹が……減った……」


 魔王と旅をしていた時、マーロックがそうつぶやくと、魔王はいつもこう言った。『おまえは、腹が減ってばかりだな』と。


 それでもしつこく言うと、ガツンと拳骨をくれる。痛みは、いつも空腹を忘れさせてくれる。


 些細なコミュニケーションだが、タコには、それがたまらなく嬉しかったのだ。マーロックにとって、魔王は良き王であり、良き友であり、良き兄であった。


 このままでは、世界を食い尽くしてしまうだろう。そうならないように、本来の姿にはなるべきではなかった。だが、マーロックにも野望がある。


 そして『希望』があった。


 ――魔王グレン・ディストニアは生きているかもしれない。


 シュルーナの能力が封印されているのを確認した時――マーロックは心の中で歓喜した。


 ――あの封印は、魔王が死ぬと自動的に解除されるようになっている。


 シュルーナは、おそらくそのことを聞かされていないのだろう。だがマーロックは、それとなく魔王から聞かされていた。ゆえに、魔王は死んでいないと思っている。


 いつか、魔王グレンは再臨する。それまでに、自分マーロックにとっての『良い』世界を作らねばならない――。


 マーロックは、六本の触手をうねらせる。二本の腕を大地に叩きつける。それだけで何百何千の魔物や兵が蹴散らされていく。


 ――圧倒的な力の前にひれ伏すがいい。


 我はマーロック・ジェルミノワ。

 六惨将最強の将にして、もっとも魔王様を想う者なり――。


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