第二十六話 蜃気楼と絶計

 キルファは、高めの木に登って双眼鏡を覗き込む。本来であれば、飛翔できる魔物に乗っての偵察がベストだが、すでにシュルーナの領地なので、魔法で撃ち落とされることを警戒していた。


「さてさて、派手に威嚇しているっすけど、その真意は……っと」


 ベルシュタットの城壁には、1500程度の魔物が元気よく吠えている。指揮官はシークイズ。姫様ラブの側近として有名だ。


「御粗末っすねえ……罠か、あるいはブラフか」


 キルファにとって、もっとも重要なのは『城にシュルーナがいるかどうか』である。もし、いるのならば、ここが決戦の地だ。


 ――そして、いないのならば、ベルシュタットを『無視』しようと考えていた。


 狙いは、リーデンヘルでの三つ巴――三竦みの状況をつくること。そうすることで、シュルーナは動けなくなる。


 リーデンヘルに攻撃を仕掛ければ、マーロック軍がその隙を突く。マーロック軍に攻撃を仕掛ければ、いまがチャンスだとリーデンヘルが動く。


 硬直状態を続けるのであれば、いずれ飢えるであろうリーデンヘルは玉砕覚悟で出陣せざるをえない。狙う先は恨みあるシュルーナ軍であろう。マーロック軍にとって、常に漁夫の利を狙える状況になるのである。


「そして……あの城に姫様は…………いないっすね」


 そう、キルファは読み解く。マリルクとて六賢魔のひとりだ。三つ巴にする計画はお見通しだろう。それを避けるためには、全力で『いる』をアピールしなければならない。要するにシュルーナの姿を見せるのがベスト。なのにその姿がない。あるいは見せられないのである。


 ゆえに、姫様はいない。と『仮定』する。あくまで仮定だ。そして――。



「キルファは、この城に姫様がいないと仮定するだろう」


 蓑虫のようにぐるぐる巻きのマリルクは、姫様不在の玉座に乗せられていた。瞳を閉じ、この知略合戦の未来に思考を馳せる。


「そして、僕がこの城の中にいると判断するに至る……」


 マリルクは、ひとりのごとのように、お互いの読みを唱えていく――。



「――ベルシュタット城にはマリルクがいるっすね」


 マリルクは逃げ戦のプロ。攻城戦は苦手ゆえに、リーデンヘルを担当しないのは理にかなう。姫様がリーデンヘルを担うのも理にかなう。


 姫様がいないのなら、マリルクがいるのは極自然な考え。現状、シュルーナ軍において、大局を見て判断できるのはシュルーナとマリルクだけだ。このふたりを分散して配置するのはマストである。


 イシュヘルトの奇襲を見破った新参者も気になるが、まだまだ軍を動かすほどの権限は与えられていまい。


「となると……城壁に並んでいる、あの兵たちは……おそらくブラフっすね」



「そして、キルファは兵がブラフであることを見抜く」



「んで、マリルクは、ブラフであることを見抜くことまで見抜いている。さらに、自分がベルシュタットをスルーしたがっていることもわかっている」



「そして、キルファがスルーしたがっていると、僕が読んでいることも読んでいる」



「となると、マリルクの真意はなんっすかね――」


 ここが厄介だ。

 考えられるのは。


 1、スルーさせたあと、城から出陣して背後を狙う。同時にリーデンヘルからも軍を寄越して挟撃する。これは考えにくい。リーデンヘルの包囲は絶対に解かない。これをやるなら、近隣のオークやゴブリン共も雇っているはず。


 2、マリルクが姫様を見限っている。こちらは濃厚。現状、マーロック軍に勝てるだけの状況にない。城を任されているのは、彼女にとって悲惨な状況だろう。もしキルファがスルーしたのならば、マリルクはその隙にどことへでも逃げることができる。そもそも、彼女は逃げ戦のプロだ。


 3、籠城して時間稼ぎ。数さえ揃えれば不可能ではないかもしれないが、キルファにそのような普通の戦略が通じないことぐらいわかっているはずだ。こっちは時間を与えたくなくて必至なのだから。


 ――癪だ。


 癪と感じるからこそ、あの城の中にはマリルクがいる。姫様が指揮をしているのなら、このような不快感を味わうことはあるまい。


 おそらく、マリルクにとって一番嫌なことは、ベルシュタットを責められることである。ならばいっそ、このまま城を落として、マリルクを潰してしまおうか。それも愉快である。

 


「きみは、僕を潰したくて仕方がない。けど、その選択はしない」


 殺したいという欲求を逆手にとって、マリルクが罠を仕掛けていると考えるから。そして、絶景のキルファは優秀すぎる軍師。感情ではなく、考えて行動できるタイプ。


 ――頭がいい。


 それゆえに、この戦が誰のため、なんのためかを考える。そうすると、原点回帰する。


「きみは、当初の予定通り……姫様がいないのなら、ベルシュタットを無視するだろう」


 ――きみは絶計のキルファだ。僕の考えた策を、ことごとく絶つがゆえに、相手をしない。


「この防衛戦よみあいは僕の勝ちだ」


 現状、リーデンヘルでの三つ巴は最悪の構図。だが、同時に『誰もが笑って鍋をつつける世』のための、唯一の道である。


 ここから、さらに苦しくなるだろうけど、まだ道は見えている。それはか細く、綱渡りのように難しい道のりではあるが、もし、シュルーナが望む世界を得ようというのであれば、この綱を渡りきってもらわなければならない。



 物見から戻ったキルファは、マーロックに告げる。


「……マーロック様。おそらく姫様はいないっす。当初の予定通り、ベルシュタットを無視して南下しましょう。時間は有限っすからね」


 腹立たしいが、優先すべきはキルファの感情よりも戦の勝利。そのためには、少しでも早くリーデンヘルに到着しなければならない。


「そうか」


「……進軍しながら、食事してもらいます。ここで弁当を広げるのは、あまりに危なっかしいんで。あ、念のため、進軍速度を上げてもらってもいいっすか」


「ええっ? ちょっとちょっと、キルファちゃん! 私はどうすればいいの?」


 馬に乗れないハートネスが文句を飛ばす。


「ハートネスはあとからゆっくりくるっす。大丈夫、さみしくないよう配下も置いていくっすから」


 ぷんぷんと頬を膨らませるハートネス。マーロックは、空気を読まずにただ、淡々と告げる。


「良い。おまえの好きにするがよい。――しかし、腹が減った」


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