第四十一話 イカは十本。タコは八本
「淀みない。見事な動きである――」
シュルーナは戦場を見て、ほのかに笑みを浮かべる。
猛進するフロラインの軍勢が、進行方向を変えてマーロックの軍勢へと向かっていった。その時、フロラインと目が合った。父の仇、だ。
その時、シュルーナの心に憎しみという感情は一片としてなかった。代わりに抱いたのは感動だった。魔物と人間が、共に戦えるというこの瞬間に思いを馳せる。
フロラインは、指をパチンと鳴らしていた。ミゲルを覆っていた氷が粉々に砕かれる。小さき狼は、城壁の床へペチリと落下。痛そうにお尻をさする彼を見て、安堵するシュルーナ。
「マーロック……。貴様とわしの差は『友』の差じゃ。わしは友に恵まれた。ゆえにこの戦、わしの勝ちじゃ……」
――戦況は圧倒的に優位。
マリルクが予想外の援軍を引き連れてきてくれたおかげで、最後のピースもはまった。彼女の仕事ぶりを疑った己を恥じたくなる。あとは、マーロックを屠るだけ。ただ、奴は決して侮ることのできない相手だ。
肩書きは『魔王の右腕』『六惨将最強』である。奴の強さを見たことはないが、六惨将という看板が、いかほど凄まじいかは知っている。
事実、シュルーナ自身も六惨将の一人である。能力が封印されていなければ、この戦場の誰よりも強かったであろう。その、シュルーナを抑えて、マーロックは『最強』という肩書きを与えられているのである。
「忌まわしいのう……」
シュルーナは、己の右手に強く魔力を込めた。瞬間、激しい痛みがほとばしる。あまりに強大。あまりに自由。あまりに奔放。ゆえに父が封印してしまった本来の力。それがあれば、もっと家臣に楽をさせてやることができるのに――。
――けど、悪くはない。封印のおかげで、優秀な家臣に恵まれた。
一緒に鍋をつつきたいと思えるようにもなった――。
☆
「良い……。さすがは魔王様の娘。見事な戦である……」
若干の感嘆を含ませた言葉を落とすマーロック。
前戦では、ハートネスが奮闘している。リオンを抑えてはいるが、兵の数で圧倒されており、彼女以外の魔物たちは蹂躙されつつある。将としての戦いはともかく、軍としての敗北は時間の問題だろう。
そして、マーロックのもとへは、フロライン隊が砂糖に群がる蟻の如く押し寄せていた。マーロック本隊が迎え撃つが、皮肉なことにキルファが多くの兵を引き連れていってしまっている。圧倒的な力を持つ親衛隊も、数の暴力によって蹴散らされていく。
人間の雄叫び。魔物の咆哮。それらが飛び交う中、フロラインが群れを突き抜け、勇猛果敢に襲いかかってきた。
「マーロック・ジェルミノワ! 覚悟!」
「五英傑のひとりか。魔王様の仇……会いたかったぞ」
フロラインが呪文を詠唱。マーロックの頭上に塔のような氷柱が出現し、落下する。
「むん!」
象をも潰さんばかりの質量を持ったそれを、マーロックは拳を突き上げ破壊した。
「へ……? 嘘……!」
フロラインも、まさか拳ひとつで大魔法を壊されるとは夢にも思わなかったのだろう。狼狽するリーデンヘルの兵。「怯むな!」と、フロラインが一喝する。
「五英傑のおぬしが、魔物と手を組むとはな」
「生憎、あたしが手を組んだ相手はミゲルよ。犬耳の少年。あたしはあいつを信じた」
「ミゲルか……その名、覚えておこう。……しかし、共存の道があると思うか? いつ襲ってくるやも知れぬ隣人だ。安心して暮らせると思うのか? 互いに信じ合えると、本当に思っているのか?」
魔王が殺された瞬間、共存の道は断たれたとマーロックは思った。いかに戦争とはいえ、魔王は人間に慈悲を与えていた。もっとえげつなく、効率的な戦はいかようにでもできた。
事実、マーロックに命じてくれたのなら、とっくの昔に人間を滅ぼしている。
六惨将という傑物を、カリスマと力で抑えていたのが魔王グレン・ディストニアだった。マーロックが、唯一尊敬していた人物。
その魔王を殺した人間は許せない。
ならばと魔王様が『いない』隙に、マーロックの望む世の中を用意してみせる。
「共存も信頼も簡単じゃない。けど、成し遂げるだけの価値がある!」
「百万の民は百万の意思。感情を統一することなど不可能。魔物に不満を持つ人間がいつも亀裂を入れようとする。ヒトを食らうのを我慢できなくなった魔物が関係を壊す」
「邪魔をする連中を黙らせるのも、あたしの役目。話し合いが無理なら、力尽くで従わせる。綺麗事だけを言うつもりはない」
かような人物が、もっと早く行動していれば、可能性はあっただろう。だが、もう遅い。
マーロックは両腕を突き出した。二の腕から触手が出現、皮膚を破り、袖を破り、数多の触手が槍のように伸びる。
「んなッ!?」
フロラインは、それらを剣で切断していく。
「亀裂を入れたのは勇者リシェル……そしておまえだ。……わかるか? 人間が壊したのだ?」
「……そうね、けど、これから人間は変わる。六将戦争が始まって、徐々に受け入れている。魔物は強く、人間には到底及ばないって。同時に、共存の可能性も見え始めている。シュルーナやミゲルがそれを示してくれた」
「だが、力が伴わん。姫様では役者不足だ。……この世界は力あるモノが支配する。もう、おらんのだ。このマーロック・ジェルミノワより力で勝る支配者が――」
「勝手にほざいて御座候。あんたが何を言っても、死ぬことに変わりはない。五英傑がひとりフロライン・リーデンヘルを舐めんなよ!」
フロラインは、マーロックの足めがけて剣を投げつけた。半歩下がって回避する。
「――――氷の牢獄。絶対零度は天への捧げ物。眠りの檻からは逃れられず、けれど氷の女王に慈悲はなく、寒き世界で永久を嘆け――リーデン・アイシクルチェリオ!」
剣の切っ先から、魔方陣が広がっていく。冷気が渦巻いたかと思うと、マーロックを巻き込みながら、巨大な氷柱がベキバキと、天へ伸びていくのであった。
「その剣は魔力の貯蔵庫。あたしの一年分の魔力が込められている。シュルーナに使う予定だったとっておきよ」
あまりの大規模な魔法に、戦をしていた連中の動きが止まる。
「お、おお……マーロックが氷漬けに……」「さすがはフロライン様!」
感嘆の表情で、兵士たちがつぶやいていた。
――だが、ビキと、鈍い音を響かせる
「……う……マジ……?」
フロラインが、数歩後退した。
氷の柱に白い線が豪快に迸り、そして砕けて散った。規模で言えば塔をも凌駕するそれは、数多の氷柱や氷岩となって空から降り注ぐ。兵士たちは、盾や剣でそれらを払っていく。
結晶の降りしきる中、マーロックが言った。
「良い……。魔王様を倒したのだ。この程度の魔力、あって当然だな」
「タ、タフなのね。けど、あなたもだいぶ体力を使ったんじゃないかしら?」
強がるような声が聞こえてくる。
「ああ……腹が減ったな、腹が減った。さすがに腹が減る。……このままでは苦戦しそうである。いかん。よくない……魔王様がいないのに、腹を空かすなど……おおおぉ……」
ぶる、と、マーロックの身体が震えた。
「な、なんなの……?」
「フロラインよ。……空腹を抑えるには、どうすれば良いか知っているか?」
「何を言っているの?」
「……それは痛みだ。痛みがあれば、空腹など意に介さなくなる」
「空腹……? ふざけるな! あたしたちは戦争をしているのよ!」
「魔王様は、痛みを与えてくれた……。だから、腹が減っても我慢ができた。だが、魔王様亡き今、腹が減ったら……誰が止めてくれようか! ……おおおぉぉおぉッ!」
マーロックが右腕を向けた。瞬間、それが伸びた。槍のように。
かろうじてかわすフロライン。だが、腕が急激に肥大化する。まるで丸太――いや、それこそ塔のように太く伸びる。
「なっ、何が起ころうとしているのッ!」
今度は左腕。振り回す。凄まじく肥大化したそれは、敵味方関係なく、数多の兵を撥ね飛ばし、押しつぶしていった。次に両足。横腹や肩も隆起し、巨大かつ極太の触手に形を変えて、大地を這っていく。
そして、マーロックの頭部はぐむぐむと背中へ移動していった。
「変身型……デモンブレッド……?」
「否。ワシは……デモンブレッドではない……正真正銘の魔物、だ。意地汚くも大食漢でナ……。力を解き放つと、食欲が増してしまう……食うゾ。食うぞ。食わねば滅びる。食べなければ、食べ続けなければぁああぁあぁぁッ!」
八本の腕は大河の如く。身体は山の如く。巨大化する体躯は、まるで城――いや、城というスケールではない。山脈――そう形容するに相応しいでかさへと変貌を遂げていく。
髭の老人の顔は徐々に厳めしい竜へと変わっていった。六本の触手(脚)に加えて二本の巨腕。タコの如き八本腕のドラゴンである。
「な……な……」
少し触手が動くだけで、千以上の兵が吹き飛ばされていく。圧倒的な質量の前に、誰もが為す術がなかった。
――この日、この世のものとは思えない、馬鹿げた生物が再臨するのであった。
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