第二十一話 氷帝フロライン

「ったく……冗談じゃないわ」


 リーデンヘルの城壁で愚痴を漏らすのは、勇者リシェルの元仲間にして、女王のフロラインであった。雪のように綺麗で長い髪が風に揺られていた。白魚のような腕を組んで、スカートからすらり伸びる足を肩幅に開いている。その姿は美しくも凜々しく、眼下に構える魔物軍を威圧しているかのようであった。


「い、いやはや……シュルーナ本隊がやってくるとは、読みが甘かったやも知れませぬ」


 気弱な声を落とすのは、大臣のガンディスだ。老害たちの筆頭である。


「だから、とっとと攻撃を仕掛けるべきだって言ったのよ!」


 額に血管を浮かび上がらせ、怒鳴りつけるフロライン。幾度となく、こちらから仕掛けようと提案したのに、大臣のガンディス以下、権力者たちはそれを突っぱね続けた。


 民を思ってのことではなく、自分たちの保身のためだ。ありもしない好転の機を、ただただ祈って待っている。そしたらこの有様だ。シュルーナが合流。敵の数はさらに増えている。


 ちょっと前まではリオンがいなかった。チャンスだと思ったのに、ガンディスが『罠だ、罠だ』と喚くゆえに出撃できなかった。城の食料は、ほとんどないというのに!


「ああー! 面倒くさい! もう! こんな事なら女王になんてならなきゃ良かった! むきー!」


 ――なんで女王なんかになったのだろう。いっそのこと町娘にでもなって、普通の女の子としてエンジョイすればよかった。女王になったといっても、家臣共が結託して、権力を自由に使えない。女王の意味ない。形だけの女王でしかない!


「うん。リシェルのせいね……」


 その昔、勇者リシェルが、この地に立ち寄った際、彼は国一番の魔法使いを所望した。


 当時、女王だった母は病に伏せていた。後継者争いが懸念される中、扱いづらいフロラインを女王にしたくなかった権力者共は、さりげなくフロラインを推薦したのである。


 大臣は、フロラインの弟を国王にしたかった。弟は遊び人で、政治にも興味がない。傀儡にできると思ったのだろう。まあ、それに関してはフロラインも文句はない。城の公務とも老害とも関わりたくなかったので、構わないのではないかと思ったぐらいだ。そんなわけで、喜んで勇者リシェルに事情を話し、協力する旨を伝えた。


 だが、リシェルは最低最悪のクズだった。あいつの実力は間違いなく人間最強だが、その性格は腐りきっている。究極のサイコパス野郎である。


 出発する直前、リシェルはフロラインの母を見舞った。そして『もし、フロラインが魔王を討伐した暁には、彼女をこの国の王にしてあげてください。それこそが、この国の誇りとなり、未来永劫の繁栄を約束することになるでしょう』とか、ほざきやがったのである。


 絆された母は、喜んで承諾。なんと、その場で遺書を書き残した。それは、決してリシェルの善意ではない。あいつの性格は生ゴミに染みこんだゲロよりも汚く醜い。


 フロラインが『国を離れられていいわ』とか、大臣の思惑とかを聞いた結果、面白そうだからという理由で、ネズミの汚物のようなゲスい脳を働かせただけである。正直なところ、魔王と相打ちしてくれて清々している。


 まあ、六将戦争が始まった現在、彼に戻ってきて欲しい気持ちは多少あるが……。


 ――話は戻るが、結果、旅の途中で母の訃報が知らされる。魔王討伐後、遺言どおりにフロラインが王女となった。


 そのせいで、権力者たちが右往左往する。機嫌を取る者や、失脚させようとする者。連中の頭にあるのは、自分たちのことばかり。


 こうして、日々民が飢えているというのに、軍を動かすことができない。悲劇を先送りにするため、大臣たちが権力で軍部を抑えつけているのだ。


 ――けど、これ以上は待てないだろう。


「出るわよ。今度こそ出るわよ。絶対に出るわよ。全軍に出陣の準備をさせなさい」


「お待ちください! 幻惑の魔女ヒュレイに加えて、リオン・ファーレの存在も確認されております! そ、それに、あの六惨将シュルーナもいるのですぞ!」


「むしろ好都合! 敵の数なんて関係ないわ! シュルーナさえ倒せば、戦は終わりよ! 民にお腹いっぱいご飯を食べさせてあげられる!」


「シュルーナがいなくなったり合流したりと、敵の動きも不自然です。向こうにも何かのっぴきならない事情があったのかもしれませぬ。もしかしたら、北から我らを助けるための援軍がきているのでは?」


「援軍がくるわけないじゃない! 六将戦争が始まって、どこも余裕がないんだから!」


「希望を捨ててはなりません!」


「希望もチャンスも捨ててるのはアンタよ! アンタぁぁぁ!」


 フロラインは、気がつけば肩で息をしていた。けど、言いたいことを言うと、気が緩んだのか、お腹が『ぐう』と鳴った。


「お、おお! お昼ご飯が少なかったですかな? 城の者に何か作らせましょう。腹が満たされれば、良き案が思いつくやも――」


 恥ずかしさもあって、フロラインはいきり立つ。大臣自慢の顎髭を鷲掴みにした。


「あ・た・し・は! 出陣するの!」


 冷気を送り込んで、大臣の顎髭をビキビキと凍りつかせる。そして、薙ぎ払うように、凍った毛を粉々にするのであった。


「ひ、ひぃ!」


「これ以上、邪魔をしないで!」


 ――こうなったら、あたしひとりでも戦ってみせる。完全に飢える前に決着を付けなければ、最終的に為す術もなく民は皆殺しにされる。


 嗚呼、女王になんてなるものじゃない!



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