鍋奉行の姫様と大軍師のわんこ

倉紙たかみ

エピローグ 伝説の鍋狼


 岩肌に挟まれた谷。百を超える魔物を率いて、山賊の御頭は馬を走らせていた。


「野郎共! 足を止めるな! 捕まったら殺されるぞ!」


 中年の男が叫ぶと、数多の魔物たちが応えるように咆哮する。


「し、しかし、御頭。その……ミゲルとかいう奴は、そんなにヤバイんで?」


 隣で馬を走らせる若い男が、おびえながらそう尋ねた。


「バカヤロウ! 知らねえのか! ヤバイなんてものじゃねえ!」


 魔物山賊団の御頭はゴクリと唾を飲み、想像するかのように続きを語る。


「狼のような耳と牙を持ち、目がみっつあるって話だ。千里先を見通すと言われているその瞳に見つかったが最後、絶対に逃げることができねえ。耳は、遙か遠くの針の落ちる音すら聞き逃さない。ドラゴンの翼で空を自由に飛び回り、火炎を吐いて、敵を焼き尽くす……。もっとヤバイのは――」


 信じられない。そういった面持ちで首を振り、御頭はさらに話を続ける。


「……あの『国食らいのマーロック』を倒したってコトだ。……それも一撃で……」


 世界最強の生物と謳われるマーロック・ジェルミノワ。


 魔王グレンディストニア亡き今、次世代の魔王になると、誰もが信じていた元魔王軍の大幹部。そのマーロックが、ミゲルという新参の魔物に討伐されたのだという。


 現在では、魔王の娘であるシュルーナの軍師を務めているという噂だ。しかもミゲルは、登用からわずか一ヶ月で、軍師にまで上り詰め、万の兵を与えられたと聞く。実力、才覚共に格が違うのだ。


「あ、あくまで噂でしょ? そんな化け物が、俺たち如き小さな山賊を討伐しにやってくるわけないっす。偶然近くを通りかかっただけですよ。アジトに引き籠もってた方がよくないですか?」


「馬鹿野郎! あいつの軍は、破竹の勢いで勢力を伸ばしてるんだぞ! すでにいくつもの山賊団がぶっ潰されてる! 俺たちみたいな賊は皆殺しだ! その前に逃げるんだよッ!」


 彼ら山賊団は運が良かった。夜が明けぬうちに、偶然ミゲルの部隊を発見することができた。


 息を潜めて、天災が過ぎるのを待とうかとも思ったが、奴が本当に千里先を見据えるのであれば、隠れていることなど無意味だろう。ならば、逃げるべきだと統領は思った。


「逃げろ逃げろ! 捕まったら最後だ! 止まるな! 動けなくなったら置いてい――!」


 ――ふと、御頭の声が止まった。


「う……な……ッ! ぜ、ぜぜぜ全軍止まれ! 止まれぇぇぇぇッ!」


 突如として、声を張り上げる。馬を引き、素早く群れを止める。


「ひっ! お、御頭……あ、あの旗印は……」


 御頭と側近は、谷の上を見上げた。すると、そこには数多の魔物がずらりと並んでいるではないか。


「ま、ままままままさかっ! そ、そんなッ!」


「あああああの旗印はッ?」


 両脇の崖上に並ぶ、荘厳な数の魔物。そこに立てられるは、ミゲル軍の旗印であった。


「な、鍋狼……」


 鍋からひょっこりと顔を覗かせる狼のシンボルマーク。かわいらしくも見えるが『刃向かう奴は鍋にして食らう』という、恐ろしい意味が込められている。


「……こ、ここ殺される……ひひひ引き返……ッ!」


「御頭ッ! は、背後からも奴の部隊がッ!」


 側近が、絶望的な声を打ち上げる。


 後方から押し寄せる1000にも届く魔物の群れ。御頭が率いる魔物たちは慄き、荒れ狂うように嘆きの悲鳴を轟かせていた。


 後方から来る魔物の群れから、ひとりの女性が歩み出てきた。


「いやあ、絶景かな、絶計かな。ミゲルの策が上手く嵌まったっすねえ。――ま、これぐらい簡単にこなしてもらわないと、仕える方も張り合いないっすからねえ」


 頭に黒い包帯を巻いていて、隙間からはぼさぼさの白い髪をはみ出させている。ぼーっとした表情で、瞳は虚ろだった。


「あ、ああああ、あいつはぜぜぜ絶計のキルファ!」


 元マーロック軍参謀『絶計のキルファ』。世界最高峰の頭脳を持つ魔物に与えられる称号『六賢魔』のひとりだ。相手の思惑を読み、計略や策略を潰すことに長けていると言われている。


 六賢魔は、百万の兵を与えられても不足ない存在。それを従えているとは、果たしてミゲルとはいったいどれほどの大物なのだろうか。


 ――チラッと、進行方向を見やる御頭。


「た、谷を抜けるぞ……」


「しょ、正気ですか? 崖の上の部隊が降りてきたら……殲滅されますよ」


「それでも何匹かは生き残れ――ッ?」


 ふと、崖の上から赤毛の女性が飛び降りた。ドレスにも似たシスター服がひらひらと舞う。


「えーい!」


 だが、着地の衝撃は凄まじい。手にしていた斧を大地へ、ズドン叩きつけると、巨大なクレーターがうまれ谷が震撼する。


 脅しの一撃のようだ。被害はない。だが、魔物たちは怯えきっていた。そして御頭も震え上がる。


「ふああぁぁあぁッ! ハハハ、ハートネスッ? 元マーロック軍最強の将ッ?」


 彼女もまた、マーロックの元部下である。ミゲルという人物は、絶計のキルファに続き、ハートネスまでも従えていた。彼女ひとりでも、山賊団が全滅しかねないほどの戦力である。


「お、御頭ぁ……ど、どう足掻いても勝てませんよ……ここは投降するしか……」


「バカ言え! 旗印を見ただろうが! 俺たち全員、鍋にされて食われちまうぞ!」


「……あのー」


「いいか、合図をしたら一斉に散るんだ。捕まった奴は運が悪いと思うしかねえ。一匹でも残れば御の字。恨みっこなしだ!」


「い、いや、投降しましょうよ! もしかしたら登用してもらえるかもしれねえっす」


「登用してもらえなかったらどうするんだよ! 殺されるだけだぞ!」


「――すいませーん」


「だから、アジトに引き籠もってた方がいいっていったんすよ!」


「包囲されたら、それこそお仕舞いだったろうが!」


「結果論っす!」


「――ちょっといいですかー」


「うるせえ!」


 御頭は、腕をぶっきらぼうに振り回す。すると、そこには少年がいた。「ぎにゃん!」と、潰れた猫のような声を上げながら、少年は軽く吹っ飛ばされる。


「あん? 誰だ?」


 地面に突っ伏すのは犬耳の少年だった。小柄であどけない顔をしていた。


 ――ズドン!


 次の瞬間、ハートネスが一瞬で間合いを詰め、斧を振り下ろした。銀色のそれは、頭領の目の前をギロチンのように通り過ぎ、地面に亀裂を作り出す。


「ひいいぃぃいぃッ!」


「私たちの軍師様に何をしてるのかなぁ? 死にたいんですかぁ?」


 甘い声を滑らせるハートネス。けど、瞳の奥底は笑っていない。


「は……? ぐ、軍師さま……?」


「あんた、今、何をしたかわかってるっすかー? そこのちっこい犬耳少年が、誰だかわかってるんすかー?」


 キルファが、後方から声を飛ばした。


「だ、誰かって……」


「あいたた……」


 犬耳の少年が、ふらふらと立ち上がった。


 御頭が困惑していると、キルファがさらに続ける。


「彼こそは、世界に覇を唱える大軍師ミゲル。世界最強の生物、マーロックを討ち取った英雄っすよ。――そいつを殴り飛ばしちゃったんす。あんた、生きて帰れると思わない方がいいっすよ」


「み、みげる……?」


 ――この、ちっぽけな犬耳のガキが?


 翼もはえていないし、火炎を吐きそうなイメージもない。マーロックを討伐できるほどの力強さも感じなかった。目もみっつない。いや、額に瞳の紋章があるので、それが目に見えないこともない。


 次の瞬間。彼らの率いる魔物たちが、けたたましい咆哮を呻らせる。ボスを殴り飛ばしてしまったことに、怒りを感じているようであった。


「ひあああぁぁぁぁッ! ごめんなさいごめんなさい!」


 怯える御頭。しかし、ミゲルという犬耳の少年は、落ち着いて言葉を並べる。


「あ、はは。驚かせちゃってごめんなさい。近隣の山賊は見過ごせなかったもので、放っておくわけにはいかなかったんですよ。……投降してくれませんか?」


「と、投降……?」


「感謝するっすよー。ミゲルは、あんたたちを救うために、無血勝利を選んだんすから」


 包帯女が説明してくれる。


 昨晩。御頭が、ミゲルの部隊を見つけたのは偶然ではなかった。ミゲルが、あえて見せつけたのである。


 そうすることで、山賊団はアジトから逃げ出すと踏んだ。逃走ルートを予想し、待ち伏せすることで完全包囲を成功させる。あとは投降させて、無血勝利の完遂である。


 大軍で蹂躙することも可能だった。だが、それをすれば少なからずミゲル軍の被害も出る。山賊団の被害はなおさらだ。ゆえに、圧倒的な策を持って、戦意を失わせたかった。


 事実、戦力的にも戦術的にも完敗。普段は気の荒い魔物山賊団も、縮こまってしまっている。


「ま、マジか……。い、いいい命だけは、どうかご勘弁を……」


 御頭は、地面へとこすりつけるように頭を下げる。


「あはは、そんなに怯えないでください」


 苦笑いするミゲル。すると彼は、背負っているリュックから『鍋』を取り出した。


「な、ななななな鍋ッ!」


 噂は本当だったか! 山賊団を丸ごと煮込むつもりだ! そして、奴の腹の中に――!


「どうか! どうか無礼のほどをお許しを! これまで略奪してきた財宝は差し上げますので!」


「何言ってるッすかー。差し出すもなにも、勝手に殺して、勝手に取り上げるに決まってるじゃないっすか」


 キルファが、前髪をみょんみょんと引っ張っぱりながら、声を飛ばした。


「ちょっと、キルファさん。怖いことを言わないでくださいよ。さ、みなさん。鍋を食べましょう。お腹がいっぱいになれば、楽しくお話しもできるはずです」


「た、食べないで……」


「食べませんよ。一緒に食事をするんです」


「へ?」



 ――鍋。

 それは、様々な食材を煮込む調理法。人間の考案した家庭料理で、シチューなどが鍋料理と言えるだろうか。だが、ミゲルのそれは若干趣が違った。


 土鍋と呼ばれる五、六人用の鍋に材料を入れて火にかける。火が通ったら、鍋奉行と呼ばれる配膳係が、各人の椀に盛りつけ、そして食す。


 その、配膳係をミゲルという大人物が担う。まるで、小間使いのようにテキパキと仕事をし、御頭たちはおろか、配下のぶんまでの料理を盛り付けてくれたではないか。


「う、美味い……」


 御頭は、思わずつぶやいた。スープには野菜の旨味がとろりと溶け出している。食塩の味の中にも甘さが感じられる。鳥肉はしっかりと煮込まれていてほろほろ。椀の中身がなくなると、なんとミゲル自らがよそってくれるのである。


「つみれもらってもいいっすか? 人参は嫌いなんでNGで」


「好き嫌いしちゃ駄目ですよ、キルファさん」


「ミゲルくん、おかわりです。山盛りお願いしまぁす」


「はいはい、ハートネスさんは、もっと味わって食べてくださいね」


 楽しそうに鍋奉行役をこなしていくミゲル。


 御頭は唖然としていた。信じられない光景が広がっているのだ。今をときめく大軍師ミゲルや、キルファやハートネスと鍋を囲んでいる。


 そして、その周囲では魔物たちも鍋を始めている。骸骨やデュラハンなどの人型の魔物が、鍋を煮込んで配膳。言葉を発せぬ彼らだが、他種族間でも楽しげに食事という名の餌を頬張っている。


「不思議な光景でしょう」


 恐れ多くも、ミゲルが声をかけてくださった。


「は、はい」


「鍋は人間の考案したものですが、この土鍋スタイルは我が主シュルーナ様のオリジナルです。なんだか、心が豊かになりますよね」


「ご、ごもっともでございます」


 機嫌を損ねては駄目。ゆえに、御頭はそういう返事しかできなかった。


「シュルーナ様は『誰もが笑って鍋をつつける世の中』を望んでいます。僕も、それを理想としています」


「笑って……鍋を……?」


 ミゲルの表情は穏やかだった。そして、盛りつける姿は、どこか誇らしげでもあった。


「その『誰も』の中に、あなたたちも含まれています。どうか、シュルーナ様の理想のために、その力をお貸し願えませんか?」


「お、俺らがですか?」


「血を流すよりも、こうして美味しい物を食べていた方がよっぽど幸せですよ。さ、もういっぱいどうぞ」


 そう言って、犬耳の軍師は具いっぱいのお玉を鍋から持ち上げたのだった――。



 ――希代の大軍師ミゲルシオン・ユーロアート。

 通称ミゲル。


 これは、彼の物語。彼が、希代の大軍師に成り上がるまでの物語。彼の者が、魔王の娘シュルーナ・ディストニアと共に歩む物語――


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