第三十九話 蜃気楼は遠く、そして近く

 本陣を離れ、兵を率いて背後の森へと向かうキルファ。


「人間と魔物が手を組む……か……。凄えっすね……」


 その忌み嫌う種族が手を取り合う可能性に関しては、六賢魔の中でも意見は割れている。ちなみにキルファは懐疑的な知見を持っている。


 理屈では可能だが、集団の中には必ず、強固な否定派が現れる。現に、魔王グレン・ディストニアは共存派ではあったが、結果として勇者リシェルという強固な否定派に打ちのめされている。


 そして此度はマーロックが否定する。


 情や契約というのは脆い。信用を積み重ねるのは時間がかかる。しかし、崩れるときは一瞬。そもそも崩壊の瞬間は、本人に落ち度がなくてもやってくる。


「だから、強さこそが正義なんすよ……。人間と手を組んだのはご立派。しかし、姫様では統一できない……戦を舐めすぎっす――」


 森に部隊を配置し、逃走経路の準備ができていれば、マーロック軍の撤退はそう難しくないだろう。その後、体勢を立て直して様子を見る。


 マーロック軍を討ち取ることができなければ、連中も新たな動きを見せるかもしれない。現に、これからのシュルーナ軍は、リーデンヘルの食料も確保しなければならないのだ。長期戦になればなるほど、マーロック軍が有利になる。


「連中にそこまでの信頼はないはず――状況が変われば、心も変わるんすよ。同盟だっていつまで続くっすかね」


 侮蔑的な笑みを浮かべ、森へと侵入しようとしたキルファ。だが彼女は、ひとつの強大な存在を失念していた。


 ――もうひとりの六賢魔の存在を。


 森から、数多の矢が放たれる。


「ッ! ――なんすかぁあッ! 伏兵ッ!? 迎撃! 迎撃ッ!」


 キルファも、応戦させる。だが、木々という遮蔽物がある以上、アドバンテージは謎の部隊に軍配が上がってしまう。矢の応戦が十数秒。次々に部下が討ち取られていく。


「ぐっ! 後退するっす!」


 部隊を退げると、森から『布の塊』が現れる。正確には、服や法衣、フードやヴェールなどを三十枚ほど重ね着したバカである。布とはいえさすがに重いのか、馬がプルプル震えていた。


「きみは鋭いね。抜け目ない。けど、抜け目ないからこそ、このタイミングで撤退すると思ったよ」


「げ! ――その声は蜃気楼のマリルクっすか!」


 この軍勢はいったいどうしたことか。

 ゆっくりと部隊を下げながら、狼狽するキルファ。


「いかにも。僕が逃げたとでも思ったのかい? 絶計のキルファ」


 布の塊から、くぐもった声が聞こえる。そして、木の陰から数多の魔物が顔を覗かせた。オークやゴブリン。トレントマン――この辺りを縄張りにする土着の民族。ベルシュタットに残していた兵に加えて、近隣の魔物を大量に雇っていたようだ。森の中にも結構な数が隠れているのだろう。3000は控えているのではないか。


 三十枚の衣服は、おそらく魔力の込められた特殊な防具。恐れゆえの用心だろう。よく見れば、馬が震えているのは衣服の重さではなく、マリルクの震えが馬に伝播しているからみたいだ。


「いやあ、ベルシュタットを無視したのはいけなかったねぇ。僕の知恵の入り込む隙間を与えてしまった」


「嘘っしょ? 蜘蛛のお嬢ちゃんを止められなかったから、挽回しなきゃって思っただけっしょ? あんた、絶対に自ら戦をしない人っす!」


「い、いいや。すべての僕の計画どおりだよ!」


「絶対嘘っす! 魔族学園の頃から、臆病者なの知ってるんすよ!」


「ふふん。僕が臆病者ではないのは、武をもって示そう。さ、みんな。働いてもらおうか。あの包帯ぐるぐる女を討ち取れば、報酬は3倍だ」


「フゴゥ!」


 再び、森の中から数多の矢が放たれる。応戦するキルファ。


「マリルクを狙うっす! 奴を殺したら、勝ちっすよ!」


 ロングフットエイプが矢を撃ち返す。


 だが、放った矢は、マリルクの纏う布に触れた瞬間、燃え尽きたり、溶けたり、砕けたり、渦に巻き込まれたり、異界の扉(ゲート)から腕が生えて掴んで回収していったりと、多種多様な消え方を見せる。


「どんだけ魔力を帯びてるんすか! バカっす、あんた賢者だけどバカっす――くっ!」


 キルファは、振り返って戦場を見やる。すると、やはり心配していたことが起こっていた。フロライン隊が、シュルーナ本陣にぶつかるや否やというところで方向転換。マーロック本陣へと駆けていくのであった。


「ああ! 悔しいっす! こんなバカに嵌められるとは!」


 陳腐な罵倒だが、キルファは屈辱に溢れていた。いや、マリルクにしてやられたのはわかる。問題は、あの狼少年だ。


 奴のせいで、同盟に気づくのが遅れた。せめて、昨日の段階で気づいていれば、この状況はいくらでも避けられた。なのに――!


「バカって言う奴がバカなんだよ。バーカ! ふはははは、いままで散々僕を虐めてくれた報いだ! バーカバーカ!」



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