第九話 馬は隠れて食べている

「まさか、砦を放棄するとはね。いつから奇襲に気づいていた? 実に見事な判断。シュルーナ姫が、これほど聡明だとは思わなかったよ」


「あ? なんでうちのアバズレがここにいるって知ってるんだ?」


「……いや、カマをかけてみただけなんだけどね」


 苦笑するイシュヘルト。


『アホか俺は!』と、自己嫌悪に陥るリオン。シュルーナがいたことをバラしてどうする!


「まあ、きみほどの男が、殿を務めている時点で、あの砦に誰がいたのかは察しがつく」


「言っとくが、ここは抜かせねえよ」


「結構。それほど欲をかいちゃいない。――きみで十分だ。ここで死なずのリオン・ファーレを討ち取ったとあらば、きっとマーロック様も喜んでくれよう!」


 ――こいつは強い。リオンの猛勇を知りながら、姿を見せた。直接ぶったたきにきた。相当の自信がなければ、とてもできないことだ。


「ジェラフェリス。……ミゲルを死なせるな。絶対にだ」


「グル!」


徐々にミゲルを認めている。そんな自分がいるとリオンは自覚していた。ミゲルが飛び出さなければ、リオンは深手を負っていた。死なないとはいえ、士気は下がり、隊列は乱れ、部下たちは混乱に陥っていただろう。


「無理難題を押しつけるのはナンセンス。さあ、哀れなリオンの兵よ。逃げたければ逃げていいよ! 投降するならば受け入れよう!」


 高らかに叫ぶイシュヘルト。しかし、リオンの部下は耳を傾けることはなかった。


「生憎と、ウチの連中は、誰よりも俺のことを恐れてるもんでな。逃げねえよ」


「さすがは魔王様も認めていた無敵の不死軍団。しかし、きみがやられても戦い続けることはできるかな? ――さあ、死なずのリオンの筋肉がどれほどのものか! このイシュヘルトが試してあげよう!」


 イシュヘルトの全身が、足元から頭上へと舐めるように消えていく。大剣も消失していることから、魔力で透明化しているようだ。


「……ぜ、全然見えねえ……」


 五感を研ぎ澄ましていても、イシュヘルトの存在を感じられなかった。リオンは視線をスライドし、ひたすら違和感を探す。


 ――その時、ミゲルを守っていた兵が、一瞬にして蹴散らされる。


「んなッ……! 俺と殺しあうんじゃなかったのか! クソマッチョ!」


「――彼、僕のことが見えていただろう?」


 どこからか、イシュヘルトの声が聞こえた。


 天敵を狙ったか。案外頭がいい。たしかに、ミゲルがイシュヘルトの居場所を教えるといった展開も考えられた。


 リオンも百戦錬磨の将だ。兵のやられ方を見て、イシュヘルトの居場所に見当を付ける。見えぬソレめがけて、槍を鋭く突き放つ。すると、緑色の血が舞った。


「な……がッ……はッ?」


「おまえの相手は俺だ。……へっ、脆い腹筋だな。さては見せかけの筋肉だろ?」


 槍は見事に腹を貫く。イシュヘルトの体色が戻り、全身が彩られていく。リオンは、勢いよく槍を引き抜く。さらに槍を振るう。円を描いたそれは、イシュヘルトの利き腕を両断するのであった。


「え? あ! ぼ、僕の右腕がッ? せっかく鍛えた右腕があぁあぁあぁぁぁッ!」


「右腕どころじゃねえだろ? 腹から向こうの景色が見えてるぜ?」


「――右腕ッ! 右腕がッ。右腕ええぇぇえぇ……が、なくてもッ! 僕には、鍛えられた左腕があるッ!」


 男前の面(つら)がニタリと歪んだ。瞬間、彼の左腕がぶくぶくと沸騰するかのように肥大していった。彼の胴よりも太く、まるで大木の如く大きくなっていく。


「なん……だとッ!」


 リオンは、槍の柄を正面へ。ガードする。だが、意味を成さなかった。巨大な拳が、リオンの正面にぶつけられる。身体のどこを殴られたとかいうレベルではない。まるで戦車に跳ねられたかのようであった。


「ごばッ!」


 背後にあった木々をへし折り、遙か森の奥、さらに奥へと吹っ飛ばされる。木々の隙間を転がりながら、ようやく止まる。


 ちょうど、仰向けになった。視界の向こうには、緑の天井があった。口から、血がゴフリと噴き出す。


「や……っろ……!」


 朦朧とする意識。思うことは『早く戻らねば』だった。これは一対一の戦いではない。ミゲルを守り、部下に指示を与えなければならない。――だが、他人の心配をしている場合ではなかった。


「軽かったぞ、リィィィィィオォォォォン!」


 緑の天井――その向こうから、イシュヘルトの声が聞こえた。


 次の瞬間、重なる枝を貫いて奴が降ってくる。着地と同時。全体重を乗せた左腕が、腹へと叩きつけられた。


「ばグふぁッ!」


「下半身が挽肉になってしまったね! 僕は、蛋白質プロテインが好物なんだ! きみの肉はどんな味がするのか楽しみだよ! ねえ? ねえねえねえねえねえねえ!?」


 しかし、リオンは一矢報いていた。槍がイシュヘルトの肩を貫いている。


「おや……?」


 身体を起こすイシュヘルト。リオンも、槍に持ち上げるられるかのように起き上がる。


 実におぞましい光景だった。リオンの胸から下は消し飛んでおり、ぼたぼたと内臓と血液を滴らせている。だが、槍を支えに互いが同じ目線にいるのだ。


「タフで多芸なマッチョだな。再生能力も持ってんのか?」


 切断したはずのイシュヘルトの右腕が、何事もなかったかのように元に戻っていた。貫いたはずの腹部や肩ですら、じゅるじゅると再生が始まっている。


「きみこそ、嘘偽りのない不死身だねぇ、リオン。言うだけのことはあるよ。感服」


「へッ! 俺が再生する前に殺しとけよ。殺せるものならなぐッ――!」


 イシュヘルトの右腕が、リオンの頭を鷲掴みにした。

 ミシミシと、万力のように締め付けられる。


「もう少し鍛えた方がいいよ。肉を食べることだね。タンパク質をいっぱいとるんだ」


「ぐッ……う、馬を見習え、バーカ。草しか食ってないのに、すげえ筋肉してるぜ?」


「知らないのかい? あいつら、隠れて肉を食べてるんだよ」


「マジでッ?」


 ぐちゃり、という音が森へと染み渡る。


 ――激痛、なんて感じる暇はなかった。



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