第四十六話 この素晴らしき世界に邪魔者よ

 飛竜は空高く舞い上がる。

 雲が身体をかすめた。

 風がとても冷たかった。


 どんどん小さくなるリーデンヘル城を見ていたら怖くなった。けど、ある程度の高さまで来ると、恐怖よりも感動が勝った。どれほど高い山に登っても、この景色は見ることができないだろう。


 壮大に広がる『世界』がそこにある。緑の大地も、蒼き海も、乾いた荒野も、僕の眼下にあった。あれほど大きなリーデンヘル城も、そしてイーヴァルディアの大陸も、景色の一部として、僕の双眸へと吸い込まれているのだ。


「わ……」


 戦の最中に不謹慎かもしれないけど、心が震えるほどの素晴らしい景色に、思わず声がこぼれてしまった。


「どうじゃ、ミゲル! 素晴らしき景色じゃろう!」


「はい! 素晴らしいです!」


 世界を見渡すシュルーナ様のお顔は、どこか嬉しそうだった。


「世界は広かろう!」


「はい! 広いです!」


 風の音に負けないよう、僕は腹の底から声を出した。


「この世界には、億をも超える人間が暮らしておるそうじゃ。そして、何千億……いや、兆をも超える生物が暮らしておるらしいぞっ」


 目にしている以外にも生物がいる。植物や虫、ダニやプランクトン。この視界にある景色の中に、見えない命がどれほど詰まっているのだろうか。それを考えると、僕の心はドクンと脈打った。


「食物連鎖の壁がある。犠牲なくして生は成り立たぬ。ゆえに綺麗事は吐けまい。だが、それでもわしは、この世界を楽しきものにしたい」


「楽しきもの……ですか」


「うむ。人間も魔物も、殺しあわんでもよかろう?」


「ごもっともです!」


「人間もデモンブレッドも、臆病での。己の保身のために天下を望む。くくっ。おっかないものじゃな。――しかし、わしは違うぞ。世界を統一したあとは、人間も魔物も関係ない。争いをせぬよう呼びかける。目一杯美味いもの作って、腹一杯食うのじゃ」


 子供じみた理想だ。現実味だってない。けど実現すれば、素晴らしい世の中となるに違いないと思った。


「犠牲もあろう。悲しみもあろう。しかし、わしはそれを背負う。邪な理想を持つ輩に、世界を渡すわけにはいかんからの」


「はい!」


「――じゃが、この素晴らしき世界に、相応しくないものがおる」


 シュルーナ様の視線の先には、山のように巨大なタコ――マーロックの姿があった。


「マーロックは、わしの描く未来にいてはならぬ存在じゃ。欲望のままに戦い、私想(しそう)のため、いたずらに人間を殺す。……滅ぼさねばならん」


「どうすれば……奴を倒せるのでしょうか……」


 僕には、奴を倒す策が思い浮かばなかった。これじゃあ駄目だと自分でも思う。こういう時に頼られるようでなければ、家臣失格だ。


「奴の強さは予想外じゃ。わからんものはわからんし、見抜けんものは見抜けん。もはや、知の入り込む余地はないじゃろうな。おぬしもマリルクも、よう頭を働かせてくれた。ここからは武の出番じゃ」


「武……」


「なにもかもおぬしらに頼っておっては、六惨将シュルーナ・ディストニアの名折れよ。宿敵マーロックは、わしの手で葬ってやるのじゃ」


「し、しかし! 姫様のお力は……」


「うむ。本来の魔力はない。封印を解く方法も見当がつかん」


「じゃあ、どうやって……」


 シュルーナ様は、人差し指をピンと立てた。


「奴の身体にはコアがある」


「コア……ですか?」


「うむ。昔、父上から聞いたのじゃ。ヒュドリアを倒したら、中から小さなタコが出てきたとな。それが、おそらくマーロックのコア……いや、マーロックそのものであろう」


 マーロックは巨大であるが、肉体はすべて生物を食らって生み出した『細胞の塊』に過ぎない。膨大な魔力を駆動させ、これまで食らった生物の血肉を自在に操り、ヒュドリアとしての身体を構成している。


「じゃあ、その小さなタコを倒すことができれば……」


「あの巨体を維持することはできん。肉体は滅びるはずじゃ」


 シュルーナ様は、自らの掌に稲妻を帯びさせる。バチバチと。


「わしの能力は父親譲りでの。魔力を使い、想像と創造を実現させる」


「想像と創造……?」


「思い描いた武器や現象を具現化することができるのじゃ。ほれ、以前おぬしにくれてやった短剣があったであろう。あれも、わしの魔力で産み出したものじゃ」


 物質を作る。魔法のような現象を発現させる。想像したことすべてを現実と成す。魔力が尽きぬ限り、なんでもアリな究極の魔法。


「これから、わしは最強の武器を創造する。竜の鱗を貫き、タコの筋肉にも跳ね返されることのない希望を創る。それをもって奴の本体を貫かん」


「でも、シュルーナ様の御力は……」


 封印されている。それほどの武器ともなれば、膨大な魔力を消費するはずだ。


「必ず創造する。わしはできぬことは言わん」


 僕には、それが強がりにしか聞こえなかった。


「不安か?」


「不安ではないと言えば嘘になります」


「くくっ。正直に物を申す奴よ。じゃが、わしを信じよ。おぬしの主、シュルーナ・ディストニアであるぞ」


「シュルーナ様……」


 選択肢はない。姫様は撤回する気などないようであった。ならば、僕も腹を括るしかなかった。姫様がここまで大言を述べられているのだ。半端な覚悟ではないのだろう。


 諦めたら、戦の完全敗北に繋がる。逸れ即ち、今後の大局を左右する。ならば僕は、目一杯背中を押すしかないのだと思った。


「……わかりました。シュルーナ様を信じます!」


「うむ。しかし、ひとつだけ問題がある。……あの馬鹿でかい巨体のドコに、タコがおるのか皆目見当が付かん」


「う……たしかに」


「そこで、おぬしの出番なのじゃ」


「へ?」と、僕は素っ頓狂な表情を浮かべた。


「『見る』のが得意なんじゃろ? ならば、見つけよ」


 ――簡単に言ってくださる! 


 たしかに、シャーマンウルフは千里眼だ。獲物を見つけるのは得意だけど――。


「む、無理です! 僕の能力は遠くの獲物を探すだけなんです、透視じゃないんです!」


 いや、透視に近いことはできる。けど、体内を見透かすレベルとなると不可能だ。


「いいや。可能じゃ。わしはできぬことは言わぬ」


「しかし――!」


「ミゲル。なにゆえ、おぬしらはシャーマンウルフと呼ばれているか知っておるか?」


「シャーマンウルフの……名前の由来? ……いえ……」


 僕は、首を左右に振る。


「それはの……。『見ている』のではなく『予知している』からなのじゃ」


 シャーマンは祈祷師という意味である。自然からパワーを授かり、他人を癒やし、あるいは霊媒し、信託を受ける職業のことだ。


「額の紋章によって、視力を与えているのではない。紋章は『映像』という信託(じょうほう)を、おぬしの脳に直接与えているのじゃ」


 つまり『見えている』のではなく、魔法による情報伝達である。千里眼だと思っていても、実際は見えていない。魔法によって得られた映像が、脳へと飛ばされているのだ。千里先の獲物が何をしているのかを予知するように。だからこそシャーマンウルフと魔王様が名付けたそうだ。


「そう……だったんですか」


「五感を研ぎ澄ませ。己を信じよ。おぬしならマーロックを見つけられるはずじゃ」


「けど、透視なんて――!」


「わかっておる。能力の原理を知らなかったのじゃ。できるか不安なのじゃろう。じゃが、わしを信じよ。おぬしら一族の奇跡を信じよ」


 シュルーナ様の掌が、僕の頭へポンと優しく乗せられる。僕は姫様の顔を見上げた。じっと僕だけを見つめている。僕が『やります』と言うのを待っているかのようであった。


 眼下では大勢の仲間たちが命を懸けて戦っている。一刻の猶予も許されない。こうしている間にも、大勢が負傷し、あるいは命を奪われている。なのに、姫様は微塵の焦りもなく、僕の返事をじっと静かに待ってくださっている。


 きっと『やる』『やらない』ではなく、命を懸けて『やってみせなければならない』のだ。


 そう思うと、僕の中から『できない』という言葉が消えていく。そして、どんな言葉を伝えるべきなのか、気がつけば口から滑り出していた。


「……わ、わかりました。……お任せください。このミゲルシオン・ユーロアート。身命を賭して、姫様の期待に応えてご覧に入れます!」


「くくっ、よう言うた。やるぞ。戦の大幕引き!」


 姫様は笑った。僕の背中をバンと叩いた。


「わしは、武器の創造を始める。おぬしは、タコを見つけよ」


「はっ!」


 僕は、魔力を込めて念じた。額の紋章が浮かび上がる。

 頭の中に周囲の景色が流れ込んできた。

 そして、視界がズームされる。


 マーロックを相手に、リオンさんやシークイズ様、フロラインさんが戦っていた。彼らも、僕たちの奇跡を待ち望んでいるのだ。


「絶対に見えるはずだ……。姫様は、できないことは言わないんだ――」


 細胞の隙間を縫って、生物の本質を、生物の摂理を読み取る。否、感じるのだ。魔法によってもたらされる脳への情報伝達。


 嗅覚で、聴覚、触覚で、味覚で、そして視覚で、五感を駆使して得物を探す。魔力と細胞を燃やし、僕は見透かす。ありとあらゆる情報を天啓にように掌握する――。



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