第六話 その瞳は千里を見渡す
僕は、シュルーナ様に連れられて、城壁へとやってきた。高所特有の風が、僕たちの火照った身体を優しく撫でてくれる。
「どうじゃ、鍋パーティの感想は?」
「最高です!」
嘘偽りのない答えだった。美味しくて、嬉しくて、暖かくて……家族を失って以来、このような気持ちになるのは初めてだ。こういう生活が、毎日続けばいいのにと心の底から思えた。ちょっと困った人たちもいるけど。
「わしは、ありとあらゆる料理の中で、鍋がいちばん好きじゃ。ひとつの鍋から、みんなでわけあって食べる一体感。上も下もなく、笑って楽しむだけでよい。鍋の時だけは、姫ということも、おぬしらが家臣であるということも忘れられる」
「姫という立場に疑問を持っておられるのですか?」
「そうではない。おぬしらと仲間であることを実感したいのじゃ。長き人生、威張って過ごしたいわけではない。大勢と笑って過ごしたいのじゃ。ゆえに、わしは『誰もが笑って鍋をつつける世』を望んでおる」
「誰もが笑って……鍋をつつく……」
表現こそ陳腐だが、暖かくて希望のある言葉だった。その片鱗が、楽しく酔ったリオン様たちなのかもしれない。あの瞬間だけは、誰もが皆『友人』にすら思えた。姫様が、心から望んでいるからこそ、自らお玉をとって、奉行を務めていらっしゃるのだろう。
「見よ、ミゲル。大きな森じゃろう」
「はい、大きな森です」
「この向こうに倒さねばならぬ敵がおる」
「……マーロック・ジェルミノワですね」
「マーロックも、たしかに敵には違いない。じゃが、誰もが笑って鍋をつつける世を迎えるには、奴だけではなく他の六惨将とも刃を交えねばならん」
「いつ頃、戦になるかわかっておられるのですか?」
「ウチの軍師の予想では、早くて一週間。遅くとも二週間以内には接触するであろう。この砦が最前線になる。近々、本格的に部隊を配備する予定じゃ」
それまでに南のリーデンヘルを落としておきたい。それがシュルーナ様の望みのようだ。
ふと、シュルーナ様が、何かを閃いたかのようにポンと手を打つ。
「そうじゃ! ちょうど良い。おぬしの能力を見せてくれぬか? 千里眼が使えるのであろう? どの辺りまでマーロック軍が進軍しておるか、ちと見てはくれぬか?」
「ええっ?」
「我ながら名案じゃ! 軍の規模や装備なども見るのじゃ! くくっ、責任重大じゃぞう? 情報は命なり。おぬしの観察力で、戦況が大きく変わるかもしれんのじゃからのう」
ケラケラと笑う姫様。簡単に言ってくださる! いくら千里眼とはいえ、世界の果てまで見通せるわけではないのに!
「い、いくらなんでも、隣国にいるマーロック軍を見ることは……」
「国境ぐらいまでならどうじゃ? 斥候の一匹も見つかるやもしれんぞ? とにかく、おぬしの能力を見たいのじゃ。ささ、やってみせよ」
国境までか。僕の魔力だとぎりぎりかなぁ。けど、見つけたところで、斥候かどうかもわからないし――。
「僕のような、なんの知識のないものが、ちゃんとした報告ができるか……かえって混乱させてしまうのでは……」
「――気にするな。期待はしとらん」
「え、あ…………」
「くくっ。がっかりしたか? 頼られてないのかと寂しくなったか?」
図星だった。期待してないなんて言われて、がっかりしないわけがない。けど、シュルーナ様は力強い言葉をかけてくれる。
「物見が初めてなのはわかっておる。その上で言っておるのじゃ。わしはできぬことは言わん。おぬしは言われたことに全力を尽くすだけでよい。それが、出世するコツじゃ」
出世と言っても、僕はあくまで小間使いなのに……。
とはいえ、シュルーナ様の言うとおりだった。シュルーナ様の役に立つため、こうして家臣となったのだ。言い訳ばかりしていたら、なにもできずに終わってしまう。
貢献できるチャンスなのだ。だから、こういう言葉が必要なのだと思った。力強く、僕は発言する。
「……わかりました。必ずや期待に応えてご覧に入れます」
「うむ」
僕は、まぶたを閉じ、額へと魔力を集中させた。紋章が光り輝き、瞳の如き魔方陣が、ふわりと浮かび上がる。
紋章を介して、僕の脳裏に映像が浮かび上がる。
シャーマンウルフの千里眼は獲物にとって驚異だ。一挙一動をすべて見ている。ロックオンされたら絶対に逃げることはできない。僕は、全部捕まえ損ねたけど。
「暗いが、見えるか?」
「狼なので、夜目が利きます」
城壁から森を見渡す。そして、国境までの進路をなぞるように眺めていく。僕の千里眼は、木々などの遮蔽物を意に介さない。『よく見える』のではなく『魔法によって見たい場所を見透かし、見る』のが能力だ。
「あれ……?」
「どうした? 何か見つけたか?」
「あの……この先に部隊を送り込んでいますか?」
「いや」
「800匹ほどの部隊が、こっちに戻ってこようとしているのですが……」
「そんなハズはない。わしらのいるところが最前線じゃぞ」
けど、僕の瞳には、間違いなくそれだけの規模の部隊が見えている。
「じゃあ、戻ってこようとしているのではなくて……攻めてきているってことですか」
「馬鹿な。マーロック軍の進軍が、これほどまでに早いわけがないのじゃ」
「軽装のリザードマンを主力に、獣、昆虫を軸としています。斥候にしては、あまりに数が多いかと」
「……おぬしの情報、間違いはないか?」
「あの部隊が何者かまではわかりませんが、見間違いはありません。たしかに、こっちに向かってくる部隊があります」
そこまで言うと、シュルーナ様は黙ってしまう。思案するような表情を浮かべ、十秒。二十秒。そして、口を開く。
「……マーロックの奴め、わしらが防衛戦を張る前に、潰しにきたか……」
機動力と持久力に優れた種族ばかりの部隊。本隊より先行し、森に身を隠しながら一気に接近すること自体は難しくない。ただ、かなり無茶な進軍だ。
「ありえるのですか?」
「マーロックの部下に、絶計のキルファという軍師がおる。こやつが曲者でのう。相手の計略や戦略、戦術を断つプロフェッショナルじゃ。奴の仕業なら、十分考えられる。――いやあ、やられたのう」
ははっ、と、笑うシュルーナ様。
「笑ってる場合じゃありませんよ! 本当にマーロック軍なら、夜明けまでにはこの砦に到着しますよ! 迎え撃つ手立てはあるのですか?」
「ない」
この城には300ほどの魔物しかいなかった。敵は800。包囲されたらひとたまりもない。籠城が上策だが、それでは敵の思う壺だろう。籠城している間に、マーロック本体が到着したら、完全に潰される。
「どうするんですか、このままじゃ、僕たちは――」
「ミゲルよ。どうすれば良いと思う?」
ふと、シュルーナ様が尋ねた。
その表情からは余裕が見られた。
僕は察する。
きっと、シュルーナ様の中に答えがあるのだろう。けど、僕の意見を聞きたいから、あえて機会をつくってくださったのだ。試されているのだと思った。
「なんでもよい、思うたことを言ってみるのじゃ」
僕なら――。
「僕なら……この砦を放棄します」
現時点で、シュルーナ様の計画は絶たれている。籠城したら負け。出陣して迎え撃つのも危険が大きすぎる。このふたつを選んだ瞬間、敵は大喜びするだろう。ならば、それを絶つ。
「防衛線を下げると申すか。そうなると、我々はベルシュタットで迎え撃つことになるな」
シュルーナ様の拠点とされる大きな城である。もっとも戦場にしたくない場所だ。
「そうなるのであれば、そうするしかないかと思います。戦のことはわかりませんが、相手に都合のいい選択をするのだけは下策かと」
「ふむ。絶計のキルファの計略を絶つというか。……くくっ。おぬし、目がいいだけではなく、頭も回るのう」
「へ? あ……ももも、もうしわけございません! 僕なんかが、シュルーナ様に意見するなんて、出過ぎた真似をして――」
「良い。わしが言えと言ったのじゃ。――いやあ、良い目じゃ。これは良い拾いものをした。ミゲルのおかげで、わしらは助かったやもしれぬな」
お役に立てたのなら、これ以上の喜びはない。
「ミゲルよ。リオンたちを呼んでくるのじゃ。こちらも急いで動くぞ」
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