第三十一話 凍り付くちんちんと氷の女王様
その日の午後。僕は降伏勧告の使者としてリーデンヘルへと向かうことになった。
「うう、どきどきする……」
城の近く。城壁からは、突き刺さるような視線が無数に感じられる。覚悟はしていたけど、これほどまでに緊張するとは思わなかった。
「ミゲル、本当に行くの?」
震えている僕の肩をうしろから掴んで、もみもみとほぐしてくれるヒュレイ様。
「も、もちろんですよ! ここで引き下がることなどできません!」
僕は、勢いに任せて一歩出る。すると、城壁の兵士たちが一斉に弓を引いた。思わず二歩も退がってしまった。ぽふん、と、ヒュレイ様の胸に受け止められる。
「やめましょう。さすがに無謀な気がするわ」
「大丈夫……大丈夫です! これは姫様の未来のためにも、成さねばならないことなのです!」
僕は、白い旗を思い切り振り回した。無抵抗をアピールしつつ、ひとりゆっくりと城門へと近づく。移動に合わせて弓兵の照準が追いかけてくる。
「僕は使者です! 攻撃しないでください! 話を聞いてくださーい!」
刺激しないよう慎重に進む。すると、城壁から隊長らしき人が声を飛ばしてきた。
「薄汚い魔物が! 神聖なるリーデンヘル城に近づくな!」
僕も負けじと、声を打ち上げる。
「我が主、シュルーナの使者です! フロライン様にお目通りをお願いします!」
「バケモノに会わせられるか。失せろ――いや、死ね!」
隊長さんが、手を振り上げる。僕は慌てて、興味がありそうな情報を滑り込ませる。
「話を聞いてください! 戦をしなくてもいいかもしれないんです! 人が死ななくてもいいかもしれないんです! フロラインさんも、兵も、民も、誰一人として死ななくてもいいかもしれないんです!」
「姫様が死ななくていいだと……」
隊長さんの腕がピタリと止まる。士気も低く、打開策もない現状。彼らだって、戦を避けたくて仕方がないはずだ。
☆
しばらくすると、僕の訴えを聞き入れてくれたのか、リーデンヘルの城門が開いた。先程の隊長さんが現れ、中に入るよう促してくれる。
「うう……大丈夫、大丈夫……フロラインさんならわかってくれるはず」
城門をくぐると、扉はすぐに閉ざされてしまう。そして、100人近い兵士が僕を囲んで、槍を向けてきた。
「ひっ!」
僕の姿を見て、兵士たちは口々に感想をつぶやいていた。
「獣の耳だ……」「随分と弱そうな魔物だな」「デモンブレッドだぞ。油断するな」「耳……触ってみたいな」「やめろ、毒があるかもしれん」
「あ、あの……フロライン様は……」
「黙れ! おまえの生殺与奪は、我らが握っているのだぞ! 勝手に口を開くな!」
「すいませんすいません!」
どうしていいのかわからないまま縮み上がっていると、兵士たちを割って、老齢の男性がゆっくりと歩み進んでくる。
「よいよい。すまんのう、手荒な真似をして」
真っ白な髪と髭。
穏やかな表情のおじいさんだ。
「ほっほっほ。おぬしが、シュルーナの使者とな?」
「は、はい! ミゲルシオン・ユーロアートと申します」
「見た目はまるで子供だ。そなたのような者が魔物とはのう……」
「フロライン様にお伝えしたいことがあります。どうか、会わせてください」
大勢の兵たちの前で話をするのは、得策ではないと思った。魔物を憎む者が多いゆえ、降伏勧告をしに来たなどと伝えれば、脊髄反射で大反対にあうだろう。悪い流れにはしたくない。まずはフロラインさんと話した方がいい。
「ワシは大臣のガンディスだ。姫様は多忙ゆえ、話があるのなら、ワシが聞いてやろう」
「しかし、フロライン様との直接交渉こそ、我が主シュルーナの希望で……」
「ふむ」
ガンディスは、途端に表情を険しくさせた。すると、兵士の剣を奪うように抜いて、僕の眼前で振って見せる。ピッ、と、僕の頬に赤い線が引かれた。
「へ……? え……?」
「――おぬしを信用すると思うか?」
「し、信用……?」
「暗殺にでも来たのじゃろう? 話し合いとは言うが、会った瞬間に――」
ガンディスは、剣の側面で、僕の首をぺしぺしと叩いた。
「ち、違います!」
「ならば、用件を言え。姫様には、ワシから伝えておく」
頑なに拒んでいたら、フロラインさんに会う前に殺されてしまいそうだ。ならばと、僕は話すことにした。
「うう……降伏……勧告です……」
「降伏じゃと?」
ガンディスがつぶやいた瞬間、兵士たちがいきり立った。
「ふざけるな!」「降伏とか言いながら、機を見て皆殺しにするつもりだろう!」「大臣! 此奴の首を刎ね、シュルーナに送りつけてやりましょう!」
「ままま待ってください! このまま戦を続けても、悪戯に犠牲を増やすだけです! 我が主は、リーデンヘルの民のことを考えて、この儀を僕にお与えくださったんです!」
まるで威嚇する獅子の群れだ。兵士たちが、僕に罵声を浴びせ続ける。けど、そんな中、ガンディス大臣は涼しい顔で言葉を落とす。
「ふむ。シュルーナはなんと言っておるのじゃ?」
「大臣! 耳を傾けてはなりません! 悪魔の戯れ言ですぞ!」
「話を聞くだけなら問題なかろう。ワシらのことをどう思うておるか、聞いてみたい」
一枚岩ではないゆえ、戦略や方針がちぐはぐだと聞いていたが、それが僕たちに対してもデメリットとなっているみたいだ。
「……これを」
僕は、懐から書状を抜いて、ガンディス大臣に渡す。
「我が主シュルーナは、もし投降するのならフロライン様を始めとした、すべての人間の命を助けると申しています。ただ、いたずらに時間はかけたくないとも思っております。それはリーデンヘルの民を慮ってのこと。すでに、この城の兵糧が尽きかけていることは明白。一日でも早い終戦を望んでおられるのです」
ガンディスは、さらりと書状に目を通していく。
「ふん。余程、北の情勢が悪いと見えるな。国食らいマーロックに難儀しているのであろう?」
――なぜ、それを知っている?
と、口に出すのは愚行だ。
籠城している現在、そんな情報など入ってくるはずがない。世界情勢を推察し、カマをかけているだけに違いない。大臣を務めているぐらいなのだ。そのぐらいの頭はあるのだろう。
「北に動きはありません。それは包囲している軍勢を見ればおわかりになるでしょう。我が軍のすべてが、ここに終結しております。マーロックのことなど、微塵も気にしておりません」
「む……」
ここで、マリルク先輩の判断が生きてくる。先輩が、極少数でベルシュタット城を守ってくれているから、これだけの包囲ができているのだ。だからハッタリも言える。
リーデンヘルの兵たちに動揺が広る。兵たちの多くは、マーロックかあるいは人間の軍が、シュルーナ軍を攻撃してくれるのを期待していただろう。それが微塵も感じられないのだから、不安にもなる。
「我が軍の筆頭家臣リオン・ファーレは、一刻も早くリーデンヘルを滅ぼしたいと息巻いております。これまでは手加減しておりましたが、もう容赦もしますまい。……しかし、我が主シュルーナは、人間との共存を望んでおられる慈悲深き御方。この戦も、良き終わり方をしたいと願っておられるのです」
「きょ、共存……? シュルーナは我らをどう迎えるつもりなのだ?」
少し興味が沸いてきたのかな? 絶望的な状況が飲み込めてきたのか、僕の話を聞く気になってくれたみたいだ。
「大臣! 耳を貸してはなりません」「相手は魔物です!」「投降したとて、皆殺しにされるに決まっております!」
武器防具、食料は管理させてもらうし、シュルーナ軍への援助もお願いする。六将戦争が終わるまでは、フロラインを始め、権力者の何人かは人質として管理させてもらうことにもなる。民とて苦労はするが、家族と不自由なく過ごすぐらいはできる。その扱いが、シュルーナ軍にもメリットがあることを説明する。
「む、むう……」
ガンディスも予想以上だと思ったはずだ。
「大臣、この者の言っていることが事実とは限りません!」
弱腰な大臣に、配下の兵が一喝する。
「しかし……みなさまにも家族がいるでしょう」
僕は、悲しそうにつぶやいた。けど、それがむしろ連中の怒りを買ったようだ。
「よくもぬけぬけと! 貴様ら魔物のせいで、こちらの犠牲者は数知れず! 仲間や家族の無念を晴らさず、魔物にひれ伏すことなどあってたまるか!」
「――ま、まあ、待て。喧嘩をしても始まらんだろう」
諫めてくれるガンディス。どうやら、降伏に対し食指が動いているようだった。
「一理はあるな。うむ。民のことを考えれば、こやつのいうことも……のう」
周囲を窺うように、視線を滑らせるガンディス。降伏勧告のジャブとしては、いい位置に当たったのかもしれない。
――ふと、どこからともなく透き通った美しい声が耳朶に触れた。
「……なんの騒ぎ?」
兵士たちが、割れるようにして道を空ける。現れたのは、フロラインであった。
「フロライン……様?」
僕は、ぽかんとした表情で、彼女の名前をつぶやいた。
「い、犬耳……って、デモンブレッドッ? な、なんでここに! これはいったいどういうことッ?」
「や、や! これはこれは姫様! この者はシュルーナの使者でしてな。降伏を勧めに来たようです。なんとも無礼な話ですが、さほど悪い話では――」
「降伏ですってッ? 冗談じゃないわ! なんでこいつを殺さないのよ!」
フロラインさんが、指先を空へと向けた。周囲の空気が一瞬にして冷たくなった。あまりの寒さに、僕のちんちんが縮みあがる。
「お待ちください! 魔物とはいえ、使者を殺せば信用を失います!」
「どきなさい!」
「ひっ! こここ此奴にも利用価値はあるかと! 殺すのは早計にございます!」
おお! 保身のためか、大臣が僕を庇ってくれている。
「え……? 利用価値……?」
「そうです! 今は、藁にも縋りたい状況。物事は慎重に進めねばなりませぬ!」
フロラインの動きが止まる。思案にふける表情を見せると、そっと指を降ろした。
「ふん……。わかったわ。とりあえず、牢にでもぶちこんでおきなさい」
「え? 牢? フ、フロライン様! どうか話を聞いてください! 僕たちは――」
「魔物の話なんて聞く必要ないわ。――誰か、シュルーナに使いを出して。犬耳少年を返して欲しかったら、一対一で戦いましょうって!」
「待ってください! 血を流さないで済む選択肢があるんです! 民の助かる道があるんです」
「ここまで苦しめておいて、助かる道?。冗談じゃない、私たちは戦争をしてるのよ」
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