第32話 絢爛! 空前の豪華列車!

「だが、C63をいつ、どうやってここに、どこから輸送したのか」

「当然、普通にやればバレますよね」

「そこで気付いた。ギースル氏と舘先生の88年の暮れ、二人が何度も隠しながら語る『クリスマスの出来事』のことである」

「88年?」

「さふなり。その年、海を越えてオリエントエクスプレスが日本に運ばれ、日本全国を走ったのである」

「これも荒唐無稽なフィクションだと読者さん、誤認しちゃいそうですね。でもこのオリエントエクスプレスは事実ですよー。注意しておかないと」

「うむ。オリエントエクスプレスの日本での運転には、この小説のようなドグサレた与太話ではなく、本当の国鉄マンたちが新たな鉄道を夢見て、JRの未来のために尽力した、まさしく真実の物語があったのだ。でもそれは他の著者が活写するであろうから、ここではすこし端折らせていただく。

 規格の違う日本で貴重なオリエントエクスプレス客車を運転するためには多くの努力が必要であった。台車の履き替え、連結器の違いを埋めるアダプター車の手配、線路側の支障物の調査と工事、古い貴重なオリエント客車を日本で運転するための運輸省の許可を受けるための1年以上の話し合い。骨董品のようなその車両には図面などない。そのためにJRはスイスに調査団を派遣した。そしてこのツアー、ヨーロッパから日本まで走るという空前絶後、途中で標準軌のヨーロッパから広軌のロシア・シベリア鉄道、そこから標準軌の中国を経由し海を渡り狭軌の日本を走るのだ。

 オリエント客車は1両あたり日本のものより10トン重く、寸法は幅が狭いかわりに長さはなんと23.5メートルもあり長い。そのまま走ると日本の線路施設と支障する。ゆえ、事前にオイラン車オヤ31形という測定車両を実際に調査のために運転して800箇所の支障箇所を見つけ、そのうち300箇所では線路を実際に移設して解決した。防火基準についてはオリエント客車のまったく当時の日本では許されなかった木材内装と石炭レンジに石炭ボイラー暖房のために放送装置と火災報知器に防火専任スタッフを乗務させることで特認を得た。ほかにも電源の発電機、相違するブレーキの読み替え、荷物車の冷凍冷蔵庫と水タンクの拡大。

 そのためのJR東日本と日立製作所の努力はまさに空前絶後であった」

「そうですわねえ」

「そのオリエントエクスプレス、クリスマスには列車は上野からこのために復活させた蒸気機関車D51 498とお召指定機ロイヤルエンジンの電気機関車EF58 61の牽引で北上、大宮までその両機が先頭を走った。大宮でD51は切り離されEF58が水上まで運転。翌日同機が水上から上野まで運転し、このスペクタクルな運転はフィナーレとなった。上野到着は12月25日10時45分である」

「有名なエピソードですわ」

「だが、このようなとんでもなく大きなニュースであったのに、それを撮った写真がイマイチ少ない」

「そうですよね。ステキなことですから、もっと祝賀ムードに沸いても良さそうですよね」

「それは……88年12月といえば、次の89年1月は、もう平成元年だったから?」

「さふなり。昭和63年。1988年9月19日、昭和天皇陛下が病に倒れ、そこからニュースでその悪化する病状が日々報道され、日本全国がそれに配慮しての自粛ムードのただなかにあったのだ。

 当時放送の『笑っていいとも』のオープニングソングも自粛で省略、各地の秋祭りは中止、六大学野球早慶戦の大太鼓応援禁止、団体の祝賀会個人の結婚披露宴も中止延期。プロ野球日本シリーズの優勝セールも中止。年賀状から賀正・寿の文字が消滅。ギャグアニメも放送中止。日産セフィーロのCMの井上陽水さんの『お元気ですか』のセリフも削除。新商品CMの『誕生』は『新発売』に、『おめでとう』は『よろしく』に言い換え。そしてイベントは中止しても開催しても苦情殺到。まさしく世の中がどっしりと暗くなった。

 ゆえ、現在の上皇陛下は平成から令和にかわるときにまたそうならぬよう、目いっぱいの配慮を訴えた」

「それでこのまえの令和のスタートはああなったんですね」

「うむ。その88年のクリスマス、舘先生とC63に何かの事件があったのだ」

「なんでしょう?」

「おそらく、C63の輸送作戦だったのだろうと思う。大宮からその成田地下施設への」

「じゃあ、C63は大宮工場にそれまでずっと保管されてた、というか、C63を密かに作ったのも大宮工場!? さらにもっといえば、オリエントエクスプレス運転はそのC63の輸送作戦を隠すための陽動作戦でもあった?」

「おそらく」

「そんな!」

「国鉄首脳の梯子外しのC63計画中止に憤った蒸気機関車のスペシャリストたちが、当時、大宮に集まったのだ。なにしろ、蒸気機関車は国鉄の一部幹部によって、二度も殺されたようなものだったからの」

「それで大宮がC63というジョーカーを抱えてこらえていくわけですね」

「そう。そしてそれを解決する安住の地として、成田の幻の鉄道博物館が計画された。しかしそれも幻に消える。関係者の失意はさらに深まった」

「で、その後88年、そのC63を成田に輸送? バレますよ」

「だが、そこで舘先生であるのだ。おそらく、舘先生はそれを隠蔽するためのなんらかの撹乱作戦を大宮で実施したのだ。どういう方法かわからぬ。だが、それにより、C63は無事に大宮を脱出できた。ゆえ、その後1991年の『おおみや鉄道まつり』で大宮工場が一般公開されても、C63など影も形もなかったのだ。その時、D51 498、EF58 93、キハ391系ガスタービン試作車、EF200、EF15 192、ED16 10、DD13 1、EF65 1059、スハフ42 2174に新型寝台車モックアップが工場で、さらに大宮駅では山形新幹線400系も展示された」

「オールスターもいいとこのラインナップですね」

「だが、C63はなかった」

「秘密は守られたんですね」

「だが、舘先生はそれで深い失意に落ちた。命を捨てようと思うほどの。それで阿字ヶ浦駅で、ギースル氏に見つけられた」

「でもC63のスケッチはどこでしたんでしょう。大宮から成田まで常磐線・貨物線・総武・成田線を経由したとして、そこで蒸気機関車として走れば、その経路はどこも人口密集地です。いくら自粛ムードの中でも、目撃されるのは必至ですよ」

「スケッチは昼間にやるしかないですわねえ。千葉でも総武線沿線では隠せませんわ」

「うむう。そこはまだワタクシも解明してはおらぬのだ。先生の失意の原因もわからぬ」

「でも、結構わかったほうだと思いますよ」

 カオルが総裁をねぎらう。

「でも、C63のジョーカー化は解決できてないですね」

「あと、お座敷電車『うのはな』のその成田への搬入。これは時期が違うからさらに別の経緯があるんでしょうね」

「おそらく」

 総裁は唸った。


「まだ、この件は解決はしておらぬ。まだ現在進行形なのだ」

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