第3話 再会

 入学式の次の週からは授業が始まった。


「いいですか、あなた達はもう中学生ではなく高校生です。それも法蓮高校のです。法高の卒業生は各方面で活躍しています。あなた達もいずれは社会に飛び立つのです。その自覚をしっかりと持って勉学に励むように。ここはとても重要な概念です。ほら、そこの黒ブレザーの男子、ちゃんと聞くように」


 学年主任だという初老の数学教師は、どうやら法蓮高校の卒業生であり、そのことをとても誇らしく思っているらしい。実際法蓮高校は県内ではかなりの進学校に入るし、卒業生が活躍しているというのも事実なのだろう。しかし、入学して間もない私たち新入生にはあまり実感のない話だ。

 というか、黒ブレザーの君って男子の制服はブレザーだから全員では、と思う。薄いグレーのズボンに紺と緑のネクタイ。女子の制服は黒のブレザーに男子のネクタイと同じ柄のリボン、グレーのスカートだ。


 授業終了を知らせるチャイムが鳴り、慌てて視線を窓の外から前に戻す。


「じゃあ今日の授業はここまで。しっかり復習するように。ああ、あと問題集の答えを配るのを忘れていた。誰か、じゃあそこの黒ブレザーの女子、授業が終わったらすぐに職員室に取りに来るように」


 運悪く視線を戻した瞬間、先生と目が合ってしまった。こんなことならよそ見を続ければよかった、とため息をつく。


 早く昼食にありつきたい一心で、段ボールを2つ積み上げたのが悪かった。前が見えない。こんなことなら1つずつ運ぶか、手伝おうかと声をかけてくれた菜々子に頼るべきだった。後悔しながら歩いていると、廊下の角を曲がったところで衝撃を感じた。段ボールが落ちる。「すみません、大丈夫ですか?」


 慌ててぶつかった男子に声をかける。足元のスリッパを見ると青色。同じ1年生らしい。よく見ると、見知った顔だった。


「あ、久しぶり」

「ああ」


 彼は同じ中学、同じ吹奏楽部でコントラバスを担当していた袴田はかまだゆうだ。吹奏楽部から法蓮高校に来たのは私と悠だけだったが、中学時代から親しいというほどでもない。表情があまり動かないこともあり、何を考えているのかよくわからないやつ、という認識だった。


「何組?」

「え?」

「どこまで運ぶんだ」悠は廊下に転がった段ボールを一つ抱えている。

「あ、9組だけど」


 悠は興味なさげに私から視線を外すと、ぽかんとした私を置いて歩き始める。慌ててもう一つの段ボールを持ち上げ、悠を追いかける。


「袴田は部活もう決めた?」


 悠は男子としては身長が低い。すぐに追いつき横に並ぶと、それらしい話題を振った。


「俺は吹部に入るつもり。水谷は」

「どうだろ。見学行って弓道部とか結構いいな、って思ってる」


 会話がとぎれ気まずさを感じ、私はうつむく。段ボールの茶色が目についた。


「私には、高校で続ける資格なんてないと思う」


 突然、そんな言葉が口をついて出た。自分でもなぜ言ってしまったのかわからず、慌てふためく。「いや、別に、こっちの話」


 顔を上げると、まっすぐにこちらを見つめる悠と視線が交わった。


「資格って」

「だから別に、何でもない」

「ひょっとして、コンクールの結果に納得してたことか」


 突然言い当てられ、目を見開く。

 悔しかったというのは、真っ赤な嘘だ。でも、それを誰かに告げたことは一度もなかった。


「いや、水谷、周りの部員のフォローばっかしてたし、悔しくなかったのかと勝手に思ってた」

「まあ、当たらずとも遠からずって感じかな」


 悠は少しうつむき深く考えこんでいるようだった。しばらくして顔を上げると、立ち止まり、私の方に向き直る。


「別に気にしなくてもいいだろ、そんなこと。考えが違うのは当然だし」


 胸をぎゅっと掴まれたような、そんな気がした。のどがごくりと鳴るのがわかった。ひょっとしたら、ずっと誰かにそう言ってもらいたかったのかもしれない。


「もう吹奏楽やりたくないなら無理にとは言わない。でももし、吹奏楽が好きで、もう一度やりたいと少しでも思うなら」


 悠は私から視線を外し、再び歩き始める。


「それに、吹奏楽の世界ってコンクール至上主義がまかり通ってるけど、普通に演奏会もあるし、楽しくもできる、と思う。正直俺もそこまでだし」


 並んで歩いていると、9組の教室にあっという間にたどり着く。段ボールを教卓に置き、何も言わずに教室を去ろうとする悠に声をかける。「袴田」


「あんた、何組なの」


 違う。本当に言いたいのはそんなことじゃない。

「4組だけど」それだけ言うとまた出て行こうとするので、また声をかける。


「袴田」

「だから何だ」


 面倒くさそうに振り返る悠に、私は少し微笑んだ。「ありがと」

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