私たちが奏でる音は
藍﨑藍
第1章 初めての挑戦
第1話 始まりの日
昔々その昔、世の中に桜がなかったら春は心穏やかに過ごせるのに、と言った人がいたらしい。気楽なものだ、と校門脇にある散りかけの桜を見る。
春といえば桜は言わずもがな、新生活が始まる季節。新品のブレザーは身体のラインになじんでおらず、借り物を着ているようなむずがゆい気持ちになる。校門をくぐっていくのは、おそらく同じ新入生だろう。あごのラインで切りそろえた髪を手で軽く直すと、校門へと歩き出す。
私がこの春から通う県立
校舎の入口に貼ってあるクラス分けの結果を見て自分の名前を探す。群衆の後ろからつま先立ちをして視線を動かすと、「
集合時間の間近ということもあり、教室の中にはたくさんの姿があった。やはり近隣の中学出身の生徒が多いのだろう。知り合いのいない私は、すでに形成されつつある話の輪を横目に廊下に面した自分の席に座る。
1年1組から6組の教室があるプレハブ校舎、1年の7組以降と2・3年の教室がある本館、そして体育館は屋根付きの通路で繋がっている。春になったとはいえ、4月上旬はまだまだ肌寒い。出席番号順に並んだまま、半分外のようなその通路で待たされることになった。
いい加減中に入りたい、とスカートの中で鳥肌の立った足をこすり合わせると、列が少しずつ動き始め、同時に聞き覚えのある音楽が聞こえてきた。格調高く、落ち着きがありつつも、高揚感のある行進曲だ。「アルセナール……」
声に出すつもりはなかったが、つい口からついて出る。焦って辺りを見回すと、1つ前の女子がこちらを見つめていた。一気に恥ずかしさがこみ上げ、頬が熱くなる。
「あの……」
つつがなく入学式が終わり、教室で解散するとすぐ声をかけられた。顔を上げると、先ほど私を見つめていた彼女だった。肩の長さの髪は全体的にふんわりと波打っている。ややたれ目なのも相まって、優しく気弱な感じが漂っていた。
「あ、はい」
「あの、私、
「あ、水谷薫です。こちらこそ、よろしく……?」
英語の教科書のようなやりとりに面白くなりぷっと噴き出すと、向こうの雰囲気も幾分和らいだようだった。
「ひょっとして、水谷さん、吹奏楽やってたんかなって」
ああ、と入学式前のことを思い出す。ヤン・ヴァン・デル・ローストが作曲したアルセナールは吹奏楽の定番曲の1つだ。入学式などの式典だけではなく、演奏会で演奏されることも多い。私も中学2年生のときに一度演奏したことがある。
「薫でいいよ。うん、そう。中学のときは吹奏楽でフルート吹いてた。菜々子、ちゃんも?」
「フルートかあ。素敵やなあ。私も中学でやってた」
「楽器は?」
「ホルン」
「あ、それっぽい」
「ほんまに?」
スクールバッグを肩にかけ、新入生たちが昇降口へと向かう流れに身を投じる。
「さっきのアルセナール聞いて思ってんけど、法蓮の吹奏楽部って、下手ではないけど特別上手くもないって感じやったね」
「わかる。実際夏のコンクールでも毎年県でダメ金だし、年によっては銀のときもあったみたい」
「薫ちゃん、詳しいなあ」
「高校選ぶときに、ちょっと調べたからね」そういって少し菜々子に笑いかけた。
「薫ちゃん、中学どこやったん?」
「私?
「結構強豪やん。すごいなあ。吹部入るん?」
「うーん、どうかな」
昇降口で別れた菜々子の背中を見つめながら、自分が吹奏楽部に入ることはないのだろうな、と思う。入学を祝うかのような桜を見ても、頭に浮かぶのは蝉の鳴く、うだるような夏だ。
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