第2話 あの夏

 毎年夏に開催される県の吹奏楽コンクールでは、A部門、小編成、J部門の3部門が開催される。高等学校Aの部は55人以下、中学校Aの部は50人以下と規定されており、課題曲と自由曲を合わせて12分以内に収める必要がある。

 各団体には金・銀・銅のいずれかの賞が贈られる。A部門と小編成に関しては、金賞受賞校のうち上位数校が支部大会へ推薦を受ける。金賞ながら支部大会へ進めないことを一般的に「ダメ金」と呼ぶが、私の通っていた柴川中学校は毎年ダメ金に終わっていた。

 私たちにとっては中学最後のコンクール。今年こそは支部大会、と臨んだ舞台だった。


「プログラム38番。柴川しばかわ中学校。課題曲 Ⅳ 番に続き、自由曲、福島弘和作曲『梁塵秘抄りょうじんひしょう~熊野古道の幻想~』。指揮は中谷茂です」


 明るいスポットライトが当たり、顔がほてっている。しかし、ピンと糸のように張り詰めた緊張により指先は冷たい。今にも破裂しそうな心臓を落ち着かせるため、ゆっくりと息を吐き、膝に置いたピッコロを握りしめる。

 顧問の指揮棒が上がり、金管楽器のチームメイトがさっと楽器を構える気配があった。


 指揮棒が下ろされ、トランペットの音が会場に響き渡る。ファンファーレが終わると、がらっと曲の空気が変わる。アルトサックスとクラリネットを中心とした、やわらかい旋律。ユーフォニウムやテナーサックスが対旋律を朗々と歌い上げる。途中からはフルートのトリルも加わり、華やかさは増していく。低音楽器主体のメロディーが終わり、再び主題が流れると、曲はトリオへとさしかかる。

 木管楽器の牧歌的な旋律に、ピッコロのソロが加わる。幾度となく練習してきたソロを丁寧に、そして堂々と吹き上げる。一度曲の色が変わった後、もう一度トリオのメロディーが奏でられる。コロコロと転がるようなシロフォンに、安定感のある裏打ちを続けるスネアドラム、そしてホルンの力強いグリッサンド。曲が盛り上がり、最後の一音が鳴り響く。


 顧問の指揮棒が下りると、張り詰めた緊張感の中、最前列の一番下手の席から一つ内側へと移動する。譜面台の近くに置いたスタンドにピッコロを立て、フルートに手を伸ばし、軽く息を吹き込む。曲間も12分の規定に含まれるため、移動は迅速に、しかし落ち着いて行う必要がある。ひんやりとしたフルートを唇で感じ、少し心が落ち着く気がした。

 再び指揮棒が上がり、さっと楽器を構える。


 ティンパニの腹に響くような音が鳴り、鞭のような音が空気をすんざく。霧深い山道のような少し怪しく幻想的な始まり。一瞬の静けさを破る、クラリネットとファゴットのソロ。多くの楽器が加わると、全体がうねるように曲が進行していく。ホルンからトランペットがバトンを受け取ったのを機に、全体の雰囲気が少しずつ変化していく。テンポが上がり、チャンチキの軽快なリズムが小気味よく響く。再度怪しい雰囲気が漂い、フルートとファゴットのソロへと続く。ゆったりとした雄大な旋律。大自然のように畏れさえも感じさせるような音楽。テンポが上がると怒涛のように押し寄せる音の数々。木管楽器の細かいパッセージ。勇ましく力強い、低音楽器や金管楽器のハーモニー。それらが一体となり、盛り上がりの頂点で指揮に合わせて音がはじける。



「早よせんと、座る場所なくなるで」


 演奏、写真撮影、楽器搬出を行うと、結果発表の時間が迫っていた。同じ3年のホルンの男子に急かされ、慌ててホールの中に入る。


「どないやろな、正直去年よりは完成度高かったと思うねんけど」

「よくそんなに冷静になれるね」


 ホールの中は結果発表を待つ生徒の熱気であふれかえっている。席はほぼ埋まっていたが、端の方の通路に同じ中学の集団が腰を下ろしていた。


「水谷こそ、落ち着いてるように見えるで」

「まさか、緊張して吐きそう」


 薫せんぱーい、と大きく手を振るのはフルートの後輩だ。スカートを気にしつつ、彼女の横に体育座りをする。


「絶対関西、行きたいですね」

「そうだね」


 会場の前の方から、悲鳴のような声が聞こえた。吹奏楽連盟の係の人が舞台袖から出てくるところだった。

 早く結果を聞きたい。でも、聞くのは怖い。でも、知りたい。

 誰もがそんな思いのため、理事の話は耳を通り過ぎていく。


「それでは、これより中学校Aの部の結果発表を行います」


 ゴールド、金賞と呼ばれ歓声を上げる学校。銀賞と呼ばれ肩を落とす学校。銅賞の結果に涙を流す学校。一つ結果が読み上げられるたび、ドラマと感情が沸き起こる。

 一つ前の学校が銀賞と呼ばれるのが聞こえた。次だ。


「38番、柴川中学校」


 永遠のように感じる、でも一瞬の間のあと。「ゴールド、金賞」


 最初に感じたのは喜びではなく、安堵だった。これまでつづけて金賞を獲得してきたという実績を守ることができた。歓声をあげて抱きついてきた後輩の頭を優しくなでる。

 でも、まだ終わったわけではない。私たちの目標は、支部大会出場だった。


「続きまして、きたる8月末に行われる関西吹奏楽コンクールに出場する学校を発表いたします」


 膝の前で組んだ手に力がこもる。


「3番、こま中学校」


 わっと少しだけ声が上がったが、すぐに収まる。狛中学校は全国大会金賞常連校だ。県大会は通過して当然ということだろう。


「20番、百楽ひゃくらく中学校」


 ホールの中央付近で大きな歓声が上がる。人目をはばからずに泣く声も混ざっている。

 すぐに静まった狛中学校のときとは違い、連盟理事もすぐには続きを発表しようとはしなかった。

 中学校Aの部の代表は3枠だ。残るは1つ。祈るような格好のまま、目を閉じた。


「40番、田野上たのがみ中学校」


 張り詰めていた緊張が解け、どっと力が抜けた。横で泣き崩れる後輩の背中をさする。同学年のホルン男子は唇をかみしめ、チューバ女子は魂が抜けたような呆けた顔をしている。目についた部員を慰めながら、出口に向かうよう促した。「帰ろう」

 今年こそはと臨んだ中学最後のコンクール。やはり県大会を突破することはできなかった。関西大会出場が叶わず、悔しがる仲間を見てはなぜか胸が痛くなったことを思い出す。


 それが罪悪感だと気づいたのは、つい最近のことだ。最初から心のどこかで諦めていたのかもしれない。どうせできっこない、と。

 卒業式の日、フルートの後輩たちは「次こそは絶対関西大会行きます!」と意気込んでいた。「応援してる」と返したものの、わだかまりは残ったままだ。

 悔しさを感じなかった自分には、彼女たちを応援する資格なんて1ミリもないのだから。

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