第38話 戦略と誘惑

 多くの学校がアンサンブルコンテストに参加するものの、そのやり方は千差万別だ。どの楽器が何人、という編成も生徒自らが考えてメンバーを集める方式をとっている学校もある。かたや私の通っていた柴川しばかわ中学校のように、誰がどのグループに所属し何の曲を演奏するというところまで顧問が決める学校もある。

 法蓮高校ではちょうどその中間といったところだろうか。編成は顧問の桑島くわしま頼子よりこ先生と学指揮が相談して決め、誰がどの編成に参加するかは生徒間で相談の上決定する。グループのメンバーが決まり次第、すぐに曲を決めて練習開始、という流れだ。グループを組めずバランスの悪い編成になってしまうことはないものの、曲先行では進められない。すなわち、どうしてもやりたい曲がある場合には編成の都合で演奏できないこともあるのだ。実際、金管五重奏で憧れの曲に挑むつもりだった圭太はがっくりと肩を落としていた。


「で、どうしよっか?」


 ミーティングの次の日、フルートの面々はパート部屋に集まっていた。六人で輪をつくるようにそれぞれが適当な位置に自由に腰かけている。

 先程からパート部屋には湿気を含んだような停滞した空気が漂っていた。重い沈黙を破ったのは、フルートパートのパートリーダーである、夏川なつかわ未来みらい先輩だ。几帳面にも椅子ごと輪の内側を向いている。

 前髪がくるりとねじり上げられ、手入れされた形の良い眉があらわになっている。部長などの幹部職だけでなく、各パートのパートリーダーも二年生同士の話し合いによって決められた。フルートのパーリー決めはかなり難航していたようだったが、最終的には未来先輩がその役を引き受け、今のところ大きな問題もなくうまく進んでいた。


「やっぱり……フルートパートとしてアンコンの代表を狙うなら、上手い三人でフルート三重奏をした方がいいんだろうね。みんなはどうしたい?」


 今回フルートに与えられた枠はフルート三重奏に三人、木管三重奏に一人、木管五重奏に一人、そして木管七重奏に一人だった。

 言いづらいことをパートリーダーたる未来先輩に言わせてしまっている罪悪感から、私は何も言えなかった。視線を落とすと青いスリッパの先から黒い靴下が見える。


「私は誰と組んでも構わないよー。誰と一緒でも練習して頑張るだけだし」


 椅子に対して横向きに座し、おかっぱ頭と体全体を左右に揺らしているのは新田にった陽菜ひな先輩だ。普段の様子を見ていると心配になることも多い先輩だが、フルートパートのなかで彼女の技術が頭一つ抜けていることは間違いない。陽菜先輩の芯の通った深みのある響きをこっそり目標にしていたが、到底近づけそうにもなかった。


「そうは言っても一カ月くらいしかないから、組んだメンバーで八割ぐらい決まっちゃうでしょ」


 千秋先輩は机の上で腕を組んだまま勢いよく言葉を返し、一瞬の空白の後、視線を泳がせた。

 気まずそうな表情を浮かべているが、千秋先輩の言い分ももっともだ。もちろん練習を重ねれば技術も音楽性も向上する。しかしアンサンブルに割ける練習時間は十分とは言えないため、元々の演奏技術の差は埋まらないことも多い。シビアな話だが、だからこそ未来先輩はフルート三重奏に演奏技術の高いメンバーを集めるべきだと言っているのだ。しかし、未来先輩自身がどうしたいかを推し量るには、私はまだ彼女との付き合いが足りなかった。


「陽菜はどっちでもいい、千秋は三重奏に選りすぐりのメンバー集めて挑みたいわけね」

「別にそうは言ってない」

「でも、そういうことでしょ。一年生はどうしたい?」


 千秋先輩の抗議を一蹴し、未来先輩が私たち一年生の方に順に顔を向けた。改めて問われ、私の脳裏には昨日の佳穂との会話が蘇った。





木管五重奏もくごしない?」


 挑戦的な笑みを浮かべた佳穂は音楽室から離れながら続けた。佳穂の横に並び、私も歩き始める。


「今年木五もくごで代表を狙うのはなかなか難しいと思ってる」

「意外。佳穂ならてっきり絶対代表目指す、とか言うのかと」

「どこのパートも同じ楽器での編成に上手い人を固めてくるだろうしね。その方がまとまりやすいのは事実だから戦法としては間違ってないよ」


 苦笑いする佳穂は「無駄に熱血で脳筋的な考えより、合理的なやり方を目指してるの」と、なかなかに辛辣なことを口にした。ひやりとして周囲を見回したが、それぞれがアンサンブルの話題で盛り上がっているようで胸をなでおろす。


「まあアンコンは中学のときも出られずじまいだったから、出られるなら出てみたいけど。私たちには来年もあるから今年は適当に……って言うとでも思った?」

「まさか。そんなこと欠片も思ってないくせに」


 バレたか、と少し肩をすくめる様子は芝居がかってはいるものの、不思議と嫌な印象は受けない。むしろ、どこか魅力的に感じている自分がいることにも気がついていた。


「今年のアンサンブルは来年も見越したスキルアップに使いたいと思って。部長もそういう風に言ってたでしょ?」


 普段はどちらかというと物静かな佳穂は、まっすぐに下ろした黒髪も相まって、見る者に清楚なお嬢様然とした印象を与える。しかし、いたずらっぽく笑うその表情からは、圧倒的な実力に裏付けられた自信と未来への飽くなき野心が透けて見える。


「同属楽器の方が絶対に合わせやすいし、そういう面では木管五重奏は簡単ではないと思う。だからこそ、各々の技術だけじゃなくて、他のパートと合わせる良い練習にもなると思うの。アンコンだけじゃない。春には定演もあるし、夏にはコンクールもある。それが終わったら次に中心になるのは私たち」


 楽器庫に用があるから、と階段を降りきったところで佳穂が立ち止まった。すっかり日が落ち、影の中で色白の顔がぼんやりと見える。


「もちろん私もパートの先輩と相談しなくちゃいけないし、薫もかなりの確率でフルート三重奏とかに駆り出されるだろうね。別に薫がフルートアンサンブルに参加しても私は恨むことはしないよ。でも、絶対とは言わないから、頭の片隅にでも置いておいて。そういう選択肢もあるし、少なくとも私は大歓迎だってこと」





「薫?」


 未来先輩に顔を覗き込まれ、一瞬にしてパート部屋へと意識が引き戻される。


「すみません」

「で、どうしたい? 舞香はフルートアンサンブルがアンコンに行くのを応援したい、紗英は私たち二年に委ねたいって言ってくれてるけど」


 椅子の上でなぜか正座しながら背筋を伸ばす原舞香。ブラウスのボタンを一番上までぴっちりと留め、赤く縁どられた眼鏡をかけた菊池紗英。同学年の二人は性格の違いはあれど、基本的に決断するのは案外速い。最後までうじうじと考えがちなのはいつも私だ。


「フルートが、っていうより、私がどうしたいかでもいいですか」

「いいよ」


 未来先輩のはっきりとした肯定に迷いが打ち消され、罪悪感を抱きつつも口を開いた。


「中学のとき、フルート三重奏をやったのでそれ以外がやりたいです。たとえば、その、木五もくごとか」


 フルートパートより他パートを優先したと思われたくなくて、佳穂に誘われたと正直に伝えるのはためらわれた。胸の奥で疼きを感じ、震えそうになる唇を強くかんだ。


「そっか」


 薄く微笑んだままの未来先輩の呟きは、軽々しいようにも重々しいようにも響いた。


「全員の意向が反映されることはないわけね。そりゃそうか」

「もう全部未来が適当に決めたらー?」


 未来先輩は、のんびりと左右に揺れ続ける陽菜先輩をぎょっとした目で見つめる。


「……本当にそれでいいの? 舞香も、紗英も、薫も。あと……千秋も」


 私を含めた一年生三人はすぐに頷き、険しい顔をしていた千秋先輩も最終的には「いいよ」と呟いた。

 未来先輩は机についた右手で頭を支え、虚空を眺めながらその指先でとんとんと額を叩く。


「じゃあ、この布陣でいこう」


 椅子から立ち上がった彼女の顔に迷いは見られなかった。

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