第39話 顔合わせ
そもそも、アンサンブルとは二人以上による合奏、または合唱のことを指す。曲も楽器の組み合わせもそれこそ無限にあるが、全日本アンサンブルコンテスト、そしてその予選に当たる支部大会や県大会などでは、細かい規定が設けられている。
一編成あたり三人から八人で演奏時間は五分以内。編成に組み込めるのは木管楽器・金管楽器・打楽器・コントラバスのみで、かつコントラバスのみの編成は認められていない。
全日本吹奏楽連盟が主催している大会だけあって、その参加者は吹奏楽団に所属していることが多い。では、アンサンブルとは普段の合奏を小規模にしたものかというと、全く違う。その最も大きな違いの一つは独立した指揮者が存在しないことだろう。曲中でテンポやタイミングを指示する指揮者がいないため、奏者同士で息を合わせる必要がある。これが口で言うほど簡単ではないのだ。
「アンサンブルにはいろんな編成があるけど、なかでも木管五重奏の歴史は古くて、古典派、まあモーツァルトとかベートーヴェンとかが生きてた頃から既に確立してたの。歴史が長いってことは、それだけアンサンブルとしての魅力がある編成だってこと。低音から高音までカバーできるのも一つね。薫、ちゃんと聞いてる?」
「きいてるきいてる」
嬉々として弁舌をふるう佳穂に相槌を打つ。未来先輩の一存で、私は木管五重奏に参加することになった。各々の行き先が決まり、今日からはいつものパート部屋ではなく、それぞれのグループで割り当てられた教室に集まることになっていた。木管三重奏に参加する紗英、七重奏に入った舞香も今頃は他のメンバーと顔合わせをしていることだろう。
フルート担当の私、オーボエの桜木佳穂、クラリネットの
興奮しているのか、白い頬を紅く染めた佳穂の話はとどまることを知らない。
「木管の中に金管のホルンが入ってるのは、ホルンが木管楽器と相性がいいからって考えられてるの。あとは、トランペットとかトロンボーンは教会用のいわば神聖な楽器だったのに対して、ホルンは庶民派だったからあまり一緒に演奏されなかったから、とかもあるらしいけど。菜々子ちゃんは木管と一緒にやったことある?」
「ううん、初めて」
菜々子は心配そうに眉を下げ、ゆるゆると首を横に振る。頭の動きに合わせて量の多いふんわりとした髪もふるふると動いた。金管楽器と木管楽器は音色を含む様々な特性が異なるため、当然ながら担当する役割も全く異なる。複数のパートが集まって行う普段のセクション練習の際も、金管の菜々子と一緒になることは今までには一度もなかった。
「さっきも言ったけど、
興奮して一気にまくし立てたからか、「疲れた」と佳穂が息を吐き出す。「早いよ」と苦笑いするのは詩乃だ。頭の中央で左右に分けられ、顎のあたりで切り揃えた髪の毛の先を指先で引っ張っている。前髪がない分シャープな顔の輪郭は大人っぽく見えるが、童顔ゆえバランスが取れている。ひたむきな努力家の彼女は、個性が行き過ぎて様々な方向にとがった人物が多い吹奏楽部の中で、貴重な良心として扱われていた。
「それで、候補に挙げた曲、聞いてきてくれた? 私は『クープランの墓』が好きだけど人気なさそうかなって」
上級生がいない私たちのグループの中で、すでに実質リーダーと化した佳穂が尋ねる。私は周りの人間をまとめるのはあまり得意ではないし、菜々子・詩乃は穏やかだが優柔不断なところがある。美月はあまり接点がないためよくわからないが、同じパートの佳穂が進行役を務めることに異存はないようだった。
メンバーが決まるとすぐにそれぞれのグループで曲決めをする必要があった。曲の決定が遅れるほど練習時間は減るし、学校に楽譜がない場合は楽譜を発注してから届くまでにさらに時間がかかる。円滑に練習へと進むため、予め佳穂が候補になりそうな曲をリストアップしてくれていた。音楽的な知識も経験も豊富な彼女がいてくれることは、たいへん心強い。
「私はイベールが好きかも」
「なんとなく薫はそう言う気がしてた。二楽章とか薫はめちゃめちゃ得意そう」
「そうかも」
「でもやるとなったら、時間的にたぶん二楽章はカット」
もはや曲の好みと得手不得手まで把握されていることに苦笑いするしかなかった。
候補曲の中で私が心惹かれたのは、ジャック・イベール作曲、『木管五重奏のための三つの小品』だ。軽妙で小洒落た曲調かと思えば、第二曲はハッとするほど美しく、第三曲で華やかに終結すると見せかけつつ、ときに織り交ぜられるユーモアがスパイスのように効いている。
「おフランス、ね。ま、自分はどれでもいいけど」
足と腕を組んで椅子に座ったまま、美月が呟く。黒い靴下に覆われたふくらはぎは健康的に引き締まり、シャギーで軽くした髪先は鎖骨付近まで伸びている。ややハスキーで低い声。線のように整えられた眉とすっと通った鼻筋。細められた目からは気だるさと凄みがにじみ出ており、正直なところ、私は美月に近寄りがたさを感じていた。
同じパートのよしみで美月のこういった態度には慣れているのだろう。佳穂は美月の方々からにじみ出る威圧感に一歩も引くことなく顎をと持ち上げる。
「美月、ガン飛ばさないでくれる。菜々子ちゃんとか完全に怯えてるじゃない」
名指しされた菜々子は慌ててフォローしたが、美月に視線を向けられた途端、蛇に睨まれた蛙と化す。頼りなさげに漂い行き場を失った視線は床へと向かう。美月は少しうつむく菜々子を一瞥し、軽く鼻を鳴らすと再度佳穂に顔を向けた。
「大人しそうな顔して、思いっきりメンチ切ってるのはどっちなんだよ」
佳穂の黒い瞳は大きく開かれており、目が合えば吸いこまれてしまいそうだ。薄く小ぶりな唇はしっかりと結ばれつつも、その端はわずかに持ち上がっていた。
「美月が毎日飽きもせずガン飛ばしてくるからこんな風になっちゃったの。どうしてくれるの」
「うわ、他人のせいにするのか、いい子ちゃんよ。おまえ、ちょっと表出ろ」
「いい子ちゃんで結構。おかげで荒れてる
「さすがは愛しの佳穂ちゃんですねぇ。いい子ちゃんのふりなんて、考えただけでじんましん出るけどな」
喧嘩に発展しそうなら止める必要があると冷や冷やしながら成り行きを見守っていたが、どうやら杞憂に終わったようだ。激しい口調とは裏腹に、佳穂と美月は脊髄反射のような応酬を楽しんでいるらしい。良く言えば聡明な、悪く言えば打算的な言動が多い佳穂だが、ダブルリードパート内ではこういったこともごく普通の光景なのかもしれない。
わざわざ立ち上がってまで頭を撫でようとする美月の手から逃れ、佳穂は表情を改める。
「それで、菜々子ちゃんと詩乃ちゃんは? どれがやりたい?」
詩乃は左手を頬に当てて答える。
「ダンツィの
「古典的だけど確かに良い曲。特に響きが素敵」
まるで自分が褒められたかのように佳穂は嬉しそうに微笑む。花笑む様子を見ていると、現金なことを言いつつも、本当に木管五重奏が好きなのだとわかった。私も佳穂に誘われるがまま参加した以上、せめて自分の務めくらいは果たしたい。
遠慮がちに「私も」と菜々子が付け加え、私たちの演奏曲はフランツ・ダンツィ作曲、『木管五重奏曲 変ロ長調 作品56-1』に落ち着いた。
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