第19話 残酷な世界
「では、これより各パートのオーディションを始めます。前にも話した通り、審査するのは桑島先生と絹田先生のお二方です。厳正かつ公平に行っていただきます」
オーディションが行われる土曜日、私たち吹奏楽部員は朝9時に緊張した面持ちで音楽室に集まっていた。オーディションは2日間にまたがって行われる。初日の今日は木管とコントラバス、ピアノの審査。明日は金管と打楽器の審査が予定されていた。
「各パート順番が回ってくるまでパート部屋で待機しておいてください。練習しても構いませんが、オーディションまでに吹きすぎて疲れることがないよう、自己管理をお願いします」
「はい!」
体調も含め、自分のコンディションを整えることも実力のうち、ということだろう。音楽室を後にし、順番が回ってくるまでどう過ごすべきか考える。フルートの順番はクラリネットに続いて2番目なので、あまり時間はない。軽い音出しは済んでいたが、もう少し吹いておきたかった。しかし今さら焦ったところで急激に上達することはないだろう。ロングトーンなどの基礎練習を丁寧に行うことにしよう。
ぽんと軽く肩をたたかれる。
「薫、頑張ってなあ」
ややのんびりと間延びした声は
「ありがと。菜々子も明日やけど頑張って」
ひらひらと手を振りパート部屋へ入っていく菜々子の背中を見つめ、私は両手で頬を軽くたたく。気合は十分だ。
パート内での演奏順はくじ引きで決めることになっていた。オーディションを受けている人以外は廊下で待機することになっていたが、それでも演奏は聞こえてしまうため、後になればなるほどプレッシャーは大きくなる。できれば最初の方、と念じてくじを引く。
「じゃあ順番を発表します」
本日の進行は藤原部長と学指揮の
「最初が新田さん、次が菊池さん、で、夏川さん、日下部さん、笠木さん、高山さん、最後が水谷さん」
私の願いも空しく、最後になってしまった。
「薫君、大丈夫。順番とか全然関係ないから! 顔死んでるよー!」
「瑞穂先輩は何番でも変わらなさそうですもんね……」
瑞穂先輩は最後から2番目だが、あまり気にしていないようだった。実際、瑞穂先輩のすごいところは、心臓に剛毛が生えたような強いメンタルにある。緊張はすれど、緊張状態でまったくパフォーマンスが下がらず、むしろ上がるのだ。本番に強い、というのはそれだけで大きな武器になる。
「では、順番に演奏してもらいます。新田さん、中へ」
「はい」
緊張を感じさせない堂々とした雰囲気で陽菜先輩が音楽室の中へ消えた。普段はいろいろ抜けている先輩だが、フルートのコンクールなどにも出ているそうで、その後ろ姿からは百戦錬磨の貫禄も感じられる。
オーディションの長さはまちまちのようだった。予め指定されていた箇所をすべて吹き終わる前に出てきた人もいれば、指定されていない場所を吹いている人もいた。
蒸し暑い廊下で待っているせいか、汗が流れだす。窓は開け放たれているが、風は全く入ってこない。自分の番が回ってきたときにはすでに汗だくだった。
名前を言って音楽室に入り、真ん中にぽつんと置かれた椅子に座る。
「暑そうね」
手汗をスカートにこすりつけていると、桑島先生に声をかけられる。
「あ、はい。暑いです」
黒いスラックスを着こなす桑島先生は相変わらずかっこいいが、暑くはないのだろうか、と場違いなことを考える。
「緊張してますか」
していない、と答えようとしたが、こちらを射抜くような桑島先生の目に口を開けなくなる。一瞬の逡巡ののち、私は答える。
「緊張してます」
「いいでしょう」
桑島先生の唇がわずかに持ち上がる。
「では、さっそく。課題曲Kから私が止めるまで」
「はい」
指定テンポに設定されたメトロノームが鳴らされる。楽器を構え、先生の方を向く。
「1、2、3」
深く息を吸い、私はフルートに息を吹き込んだ。
♪
「薫、おはよ」
「あ、おはよ」
火曜日の朝、練習を終えて教室へ行くと、すでに私の前の席に菜々子が座っていた。席替えをして一度は離れたのだが、なんの因果かまた菜々子の後ろになったのだ。
「これ、私らやる曲やねん」
菜々子は嬉しそうに真新しい楽譜を見せてくれた。上の方に
「『パイアサの飛翔』?どんな曲?」
「うーん、なんかかっこいい曲!」
「……ごめん、全然わかんない」
改めてだけど、と菜々子はこちらを向いた。
「オーディション合格、おめでとう」
「そんな、祝われるような」
ことじゃない、と言いかけてやめた。前日に行われたA部門のメンバー発表の際、菜々子の名前は呼ばれなかったのだ。
「ありがとう。周り先輩ばっかだけど頑張る」
「それでええんよ」
オーディションの結果、ピッコロは優奈先輩、フルートファーストは陽菜先輩、千秋先輩、そしてセカンドが瑞穂先輩と私、という面子になった。メンバーに入れなかった人とオーディションを受けていない人は絹田先生の指揮でJ部門に出場する。コンクールまでは1ヶ月ほどなので、J組もさっそく楽譜が配られたのだろう。
「予想してたとはいえ、1年でAの子ってやっぱ少ないねんなあ」
「私と佳穂と……、全部で8人かな」
指を折って人数を数える。A部門のメンバー53人のうち、1年生はフルートの私、オーボエの
「ま、仕方ないと思うねん。先輩らうまいし」
菜々子は私の方を見ようとしない。椅子に横向きに腰かけたまま、口元だけに笑みを浮かべている。
「ちょっとオーディション前に吹きすぎた気もしてるし、あかんかったところも自分でわかってるし」
「そっか」
「でも、やっぱり私……」
無理やり笑顔を張り付けていた菜々子の顔がくしゃりと歪む。
「ごめん、トイレ行ってくるな」
「菜々子」
私には菜々子を追いかけることができなかった。何を言っても菜々子には届かないだろうし、結果が覆ることもない。未来先輩にも紗英に対しても、罪悪感を持つのはおかしいのかもしれない。だって、そういうものだから。
この気持ちはどうすればいいのだろう。選ばれたかったはずなのに、実際選ばれたのに手放しで喜べないのはどうしてだろう。
この世界はなんて残酷なんだろう。
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