第24話 前へ

 朝から晩まで学校で練習し、家へ帰っても楽譜を見ながら参考音源を聞く。音源は繰り返し聞くように、といつも言われていた。聞けば聞くほど新しい発見があり、それが自分たちの進化へと繋がる。そして自分たちの演奏を録音し、客観的に聞くことも重要だ。


「今のところ、何となく違うと思います」


 いつものように自由曲を練習しているときのことだった。J部門に出場する、未来先輩、紗英、舞香らは今頃副顧問の絹田先生の指導を受けているだろう。5人でのパート練習中に口を挟んだのは陽菜先輩だ。普段は相変わらず危なっかしい言動が目立つものの、こと演奏においては頼りになる。


「そう?」不思議そうに首を傾げるのはパートリーダーの優奈先輩だ。可憐な雰囲気がピッコロとよく合っている。


「別に音程とかは合ってるんです。でも何ていうか、さっきの録音聞いてて、なんか雰囲気が違う気がしました」


 ふわっとした指摘に陽菜先輩以外の全員が首を捻っている。


「具体的にはどう違うの?」

「今はばーんって感じなんですけど、ふわーって方がしっくりきます」


 ばーん、ではなく、ふわー。全然具体的な説明ではないにしろ、しばらく楽譜を眺めていると、陽菜先輩の言わんとすることがおぼろげに理解できた。


「たぶんここのハーモニー、2ndセカンドが強すぎるんだと思います。音量っていうよりは、音のスピード、だと思います。私たち下のパートが結構主張する感じで吹いているので、上の人もそれに合わせちゃっているというか。たぶん無意識ですけど。中間部とか勢いがあるところだったらこれで問題ないんですけど、ここは結構ゆったりとしてきれいな旋律で、どこか消えてしまいそうな、そんな感じがします。なので、えっと……」


 具体的にどうすればふわー、になるのかは上手く説明できずに尻すぼみな発言になってしまう。


「なるほどねー、たぶんそれ、あたしのせいだ」


 豪快に伸びをしながら言うのは、私の隣に座る瑞穂先輩だ。


「いや、べつに先輩が悪いって言ってるわけじゃなくて」

「低い音、苦手なんだよねー。しっかり鳴らそうと思うと音が野太い感じになるっていうか」

「いえ、音は太くていいと思うんですけど……」


 やはり音楽を言葉で上手く説明するのは難しい。2人して頭を悩ませていると優奈先輩が穏やかに割って入る。


「何となくの感じはわかったから、とりあえず一回やってみない?しっかり歌いつつも儚さを感じさせるイメージで。私はここ吹いてないから聞いてるね」

「そうですね」


 千秋先輩もうなずき、全員が楽器を構える。優奈先輩の合図で4人が音を奏で始めた。


「儚さっていうより、今のじゃ迷走してるって感じかな。まだ上手くつかめてないね」


 苦笑しつつ優奈先輩は続ける。


「初めの音、一番下の薫ちゃんはもう少し吹いてもいいと思う。音低いし。でも暗くなりすぎないで」

「はい」

「上の千秋ちゃんと陽菜ちゃんは根音だけど、飛びやすい音域だから攻撃的にならないように。もう少し優しく」

「はい」


 根音、とは和音の中心となる音のことだ。基本となる根音、その3度上の第3音、5度上の第5音で基本的な和音が構成される。もちろんもっと複雑な組み合わせもあり、自分に与えられた役割を常に把握する必要がある。


「あと、ビブラートのかけ方で雰囲気がかなり変わってくると思う。全員かけてる、よね」


 優奈先輩の言葉に全員が一斉に返事をする。ビブラートとは音を意図的に揺らすテクニックであり、表現の幅を広げるために使われる。フルートに限らず様々な楽器で用いられる奏法だ。


「ちょっと今だとビブラートがきつすぎるかも。フレーズの最初の方は、もう少し振れ幅を小さめにして、ゆっくりかけてみてくれる? じゃあもう一度」


 吹き始めた瞬間、ああ全然違う、と直感した。音量は変わっていないものの、先ほどと比べ、どこか優しい雰囲気が漂う。他の面々も腑に落ちたようだった。


「この方がいいと思います」


 最初に違和感を口にした陽菜先輩も、自身のイメージに近づいたのか何度もうなずいている。


「私もそう思う。まあまだ手探りだし、他のパートも吹いてるからフルートだけの問題じゃないかも。とりあえず桑島先生に相談してみるね。合奏のときとかに直接聞いてもらった方がいいね」


 夏休みに入ってからというもの、各パートのパートリーダーなどが指揮者である桑島先生の前に列を作ることが多くなっていた。合奏中やパート練習中に出た疑問点等に相談に訪れているのだ。


「いいと思うよ。こういうの。みんな気がついたこととかあったらどんどん言ってね」


 慈愛の笑みを浮かべる優奈先輩とは対照的に、瑞穂先輩は私の背中を強く叩く。


「あたしが3年だからって遠慮しちゃダメよん。薫の方があたしより耳いいし、隣だったら気づくことも多いでしょ」

「いや、瑞穂先輩も頑張ってくださいよ」


 瑞穂先輩は、逆側からすかさず鋭い突っ込みをいれる千秋先輩の背中も叩いている。痛いです、と千秋先輩が瑞穂先輩をにらむところまで、もはやテンプレートと化していた。


「そりゃ頑張るよー、最後だし関西行きたいと思ってるし。でも使えるものは何でも使わないと! 優秀な後輩を持ってあたし嬉しいなあ!」


 さらりと語られた、最後、という言葉に一瞬息が詰まる。ごく当然のことながら、今の3年生と一緒にコンクールに出られるのは、今年が最初で最後だ。私一人が強く思っても何も変わらないのかもしれない。でも。

 先輩たちと、関西大会に行きたい。


「お茶飲んだらすぐに練習再開するからね」

「はい!」



 法蓮高校野球部は9回に追い上げを見せたものの、あと一歩及ばず準々結晶へは駒を進めることはできなかった。


「ありがとうございました!」 


 悔し涙を流すまいと必死にこらえつつ礼をする球児たちに、私たち応援団も健闘をたたえて惜しまぬ拍手を送った。舞香は隣で号泣しているし、意外なことに千秋先輩の目も濡れていた。斜め後ろをちらりと見ると、悠も穏やかな表情で拍手を送っていた。


 楽器を積み終え、吹奏楽部の集合場所へ向かおうとしていたときだった。振り返るとユニフォームを着たクラスメイトの姿があった。

 にやにやしながら私を置いていく吹奏楽部員にはあとで誤解を解く必要があるな、と軽くにらむ。

 急いで抜けてきたか、黒田君は激しく肩を上下させている。1・2回戦では彼の出番はなかったものの、今日は途中の数回ピッチャーとして出場していた。


「本当にお疲れさま。とてもいい試合だったよ」

「俺が、1点取られなければ、9回で追いついて、延長戦に持ちこめた」


 彼のせいで法連高校が負けたわけではないにしろ、少なからず責任を感じてはいるのだろう。ふと試合中の会話が蘇る。


「来年は勝てるよ。私の友達が言ってた。黒田君はいいピッチャーだって。だから次は勝てる」

「そうか」


 日焼けした顔に白い歯が眩しく光る。


「水谷がそう言うならそんな気がしてきた。来年も応援よろしくな! 吹部もコンクール頑張れ!」


 野球部の集団へと駆けて戻る黒田君に手を振っていると、後ろから声をかけられる。


「リードしがいがあるタイプだな」


 いつの間にか少し離れたところに悠が立っていた。


「向上心があり、のせやすい。精神状態にプレーが影響しやすいものの、逆に一度のせてしまえば止まることを知らない」

「なんの話?」

「とりあえず水谷はヒットとフライの違いを覚えるところから」

「なんか馬鹿にされてる気がする」

「もう時間ギリギリだぞ」

「やっば」


 青空に白い入道雲が映える中、私たちは集合場所へと走り出す。

 野球部の夏は終わった。次は私たちの番だ。

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