第23話 覚悟と決意②

 高校生の溜まり場はファストフード、ファストフードと言えば高校生と相場が決まっている。どこの誰が決めたのかはわからないが、価格といい営業時間といい入りやすさといい、話をするにはうってつけの場所だ。隣り合ったカウンター席を見つけて腰を下ろす。店内は冷房が効きすぎなほどで、肌にまとわりついた汗が一気に冷やされる。笑顔を振りまく店員から受け取ったシェイクをすする。


「全然気づかなかった」結露したシェイクを持ち、悠がぽつりとこぼす。

「何が?」

「心配かけてたのか、俺」


「それ、飲まないと溶けるよ」と釘をさして窓の外を見る。外はすっかり暗く、窓には店内の様子が映っていて外の景色はほとんど見えない。


「別にいいんじゃない。お互いさまでしょ。迷惑かけてかけられて。そんなもんでしょ」


 知らんけど、と照れ隠しに付け加える。


「俺さ、そんなに変だったか」

「野球応援もぼけっとしてたし、話しかけても反応遅いし。あ、あと、楽器運びのときにぼんやりしてるなんて、なめてるか、やる気ないか、異常事態かの三択でしょ」

「男子をこき使っておいてよく言うよ」

「頼りにされてるってこと」

「結構ポーカーフェイスには自信あったんだけどな」

「表情消すのは上手いと思うけど」


 雰囲気が穏やかになってきたところで悠が自ら話し始めるのを待つ。


「知ってると思うけどさ、俺中学で吹部入る前、野球部だったんだよ」


 思考が停止し、まばたきを数回繰り返す。「え、そうだったの?」

 悠が目を見開き、私を見る。同じ日に何度もこいつの驚いた顔を見ることは滅多にない。


「知ってると思ってた」

「いや、初耳。むしろなんで知ってると思ってたの」

「俺が入部したときいろいろ噂になってただろ。面倒だし話したくなかったから無視してたけど」


 記憶の糸をたどると、同じ中学のうわさ好きな女子の顔が思い浮かんだ。


「そういえば言ってたような」

「他人に興味ないんだな」

「さすがにそこまで薄情じゃないよ」


 ストローを加えて中身を吸うとずごっと品のない音が鳴り、あっという間にカップの底が現れた。やっぱり大きいサイズにすればよかった、と少し後悔する。


「それで? 話したくなかった話をわざわざ水谷さんにしてくれるのはどうして?」

「時効だと思ってたから」

「思ってた?」

「自分では吹っ切れたと思ってたけど、案外引きずってたんだな、俺」


 吹奏楽部は野球応援に行く。私のように野球について明るくない人がいる一方、悠はかつてのことを何かしら思い出したのだろう。


「どうして辞めたの?」


 悠は座ったまま急に体を屈め、ズボンをまくり上げた。「ちょっと、どうしたの?」

 あらわになった左膝には縫合した痕が残っている。


「……怪我したんだ」

「派手にやった」


 ズボンを下ろしながら悠が答える。淡々と告げる彼に何と言えばいいかわかるほど、私は大人ではない。


「でも、それで辞めたわけじゃない」


 意外な言葉に無意識のうちに下がっていた顔を上げる。


「今じゃ完全に治ってるし、やろうと思えば半年くらいで復帰できたと思う。でも、やらなかった」


 どこか遠くを見つめる悠の横顔を眺める。果たしてその目には今何が映っているのだろう。


「かなり引き止められた。ほんといい奴らだよ。待ってるから焦らずゆっくり帰ってこいって。でも、待たせたくないって言って辞めた」

「実際は?」

「水谷って本当に嫌なやつだよな。隠したいことも嘘も簡単に見破られる」

「褒め言葉と取っとく」


「まあ元々話すつもりだったし」と悠は観念したように首を振る。


「待たせた挙句、失望されるのが嫌だったから、かな」

「失望?」

「いくらやっても元通りになるかはわからないだろ。楽器も体も正直だ。維持するにも練習は必要。休めば休むほど、離れれば離れるほど元の状態に戻すのは難しい。だから、たぶん怖かったんだろうな。自分の居場所がなくなるのが。自分が不要になったってわかることが」

「そう」

「で、逃げ場として吹奏楽部を選んだわけだ。二度と野球のことを考えないで済むよう、練習した」

「別に吹部じゃなくてもよかったんじゃないの?」

「部活加入が義務だったから文化部だってことで適当に決めた。吹部の奴らには申し訳ないけどさ、思ったより楽しいんだなって途中でわかったんだ。本当に失礼だと思うし、思ってたから言えなかった。まあ結果として今も中途半端な状態だってことをここ最近改めて突きつけられたわけだ。もう絶対にできないってわかっていたなら踏ん切りはつきやすい。でも、俺の場合はそうじゃない。試合を見て羨ましいと思わないと言えば、嘘になる。でももう一度あそこへ戻る勇気も権利もない。だから俺はここにしがみついている」


 悠は話し疲れたのか、シェイクをようやく手に取る。一口飲むと「甘い」と苦々しい顔になりまた口を開く。


「今年の法蓮は間違いなく本気だし上を狙える。でもそんな中に中途半端な俺がいていいのか、ってことだ。笑いたけりゃ笑えばいい。逃げるために吹奏楽を始めたのに、皮肉だな、応援する側になって突きつけられるなんて」

「笑わないよ、私は」


 努力した先に何があるかはわからない。でも何かあるという根拠のない自信こそが先へ進む原動力になる。その自信が失われてしまえば、あるのは空虚な未来のみだ。それに目を向けろというのはあまりにも酷なことだ。


「でも、誰が何と言おうと、袴田は柴川中の吹部だったし、法蓮の吹部でしょ」

「いきなりなんだよ」

「袴田は吹部を選んだんだし、今は吹奏楽が好きなんでしょ」


 選ぶ、というのは主体的な行為だ。そしてそれは、逃げる目的にせよ、進んだということでもある。


「吹部に入れば何かあるって思ったんでしょ?」

「だから、それは」

「同じことよ。新しい場所でやっていく覚悟をしたんでしょ」


 悠に語りかけながら、どこか納得している自分がいた。

 馬鹿みたいだ。自分に足りていなかったものにようやく気がつくなんて。他人と優劣がつくことは表面的なことにすぎない。そこに自分の意志は全く反映されないのだから。

 私にはただ単に前に進む、進み続ける覚悟がなかったんだろう。努力し続ける。これは口で言うほど簡単ではないし、努力した先に何かある保証はないから傷付くかもしれない。

 中学の頃の諦念にも似た感情は、恐らく傷つくことへの底知れない恐怖が形を変えたものだったのだろう。上を見なければ高い頂きの全貌を知ることもない。歩みを止めてしまえば自分の限界を知ることもない。

 でも、傷つくことを恐れていては進むことはできない。


「別に慰めてほしくてこんな話をしたわけじゃない。心配かけたから、水谷には知る権利があると思っただけだ」

「必要とされてるよ、あんたは。それともなに、また私たちの信頼を裏切るの?」

「おまえ、本当に嫌なやつだな」

「自覚してる」


 顔をしかめる悠を見て、なんだか笑いたくなる。カップの底にたまったシェイクの残骸をストローを回しながら飲み干す。


「私もさっき覚悟したから」

「なんの?」

「教えない」


 駅の駐輪場に停めた自転車を取りに行き、押しながら二人して並んで歩く。

 前かごには無造作にスクールバッグが押し込められている。大切な楽器は振動が伝わらないように直接肩から斜めがけをし、紐をきつく締めていた。


「前から思ってたけどさ、水谷、俺に当たりきつくないか」

「そんなことないよ、たぶん」

「いや、絶対そうだろ」

「嫌いじゃないよ、あんたのこと」


 キュッとブレーキを握り、その場で立ち止まる。「でも、ひょっとしたら」

 口を開いた刹那、車が一台通り過ぎ、生温い風に髪が揺れる。


「なんて?」

「何言おうとしたか忘れた」


 悠は何か言いたげだったが、軽く頭を振って歩き始めた。

 私たちは少し似ている。だから、悠を見ていると自分を見ているような気持ちになるのかもしれない。「ごめん」

 暗闇の中、悠が顔をこちらに向けるのがわかった。


「ああ、水谷も参ってるって知らなかった。お互い疲れてるし、仕方ないだろ。早く寝た方がいいな」

「……間違いない」


 悠の歯切れがどことなく悪く感じられるのは気のせいだろうか。見当違いの優しさは本心からなのか、それともわかっていながら一歩踏み込むことをためらったからなのか。だって、私たちは似た者同士だから。

「じゃあな」と交差点でサドルにまたがった悠に声をかける。


「亮太も心配してたよ。だから、話してあげて」

「水谷」

「なに?」


 私もサドルに腰掛け、ペダルに右足をのせたまま悠の言葉を待つ。一瞬というには長い、でも僅かな間の後。


「おやすみ」


 いつの間にか止めていた息をそっと吐き出し、私はペダルを踏み込んだ。


「おやすみ」

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