第25話 明るい光

「というわけで、明日はいつも通り朝9時に音楽室集合です。何か質問ある人!」


 8月5日。音楽室前方の黒板には『コンクールまであと1日!』とはみ出しそうな勢いで書いてある。数日前から県の吹奏楽コンクールは始まっており、残すところ明日の高校A部門だけとなっていた。各部門の結果は吹奏楽連盟のホームページに掲載されており、私たちの母校、柴川中学校も関西大会初出場を果たしたことを知った。なぜか後輩たちに負けていられないという対抗心が湧いてくる。


 私たちA部門のメンバーは合奏隊形のまま座り、先日J部門に出場したメンバーは音楽室の壁沿いにずらりと並んで立っていた。合奏後に配られたプリントには、明日の動きが事細かく書かれている。愛らしい手書きのイラストつきのプリントを左手に持ち、藤原部長は指揮台の上から音楽室を見回す。


「では、私から」


 それまで終始無言を貫いていた桑島先生が口を開く。


「明日はあまり時間がないので今日のうちに言っておきます。皆さんは確実に進歩している。それは顧問であり指揮者であり、皆さんをずっと見てきた私が保証します。確かにまだ皆さんは発展途上にある。でも」


 桑島先生はゆっくりと音楽室を見渡した。合奏時の凍てつくような視線ではない。部員一人一人に語りかけるような、優しい眼差しが私たちの心を撫でる。


「胸を張りなさい。誇りを持ちなさい。これまでの自分と、これからの自分に、自信を持ちなさい。自分の限界を決めるのは自分です。明日は最高の演奏を届けましょう」

「はい!」


 淡々としているものの、芯のある桑島先生の言葉に胸が熱くなるのを感じた。


「絹田先生もぜひお願いします!」


 藤原部長の期待のこもった目に抗えなかったのか、困ったような顔で絹田先生がグランドピアノの陰から顔を出した。ピアノ椅子に腰掛けた詩乃もうなずいている。


「何を話そうかしら……」絹田先生は80人ほどの部員の視線を受けつつ宙を眺めている。


「そうね、まずは今日まで頑張ってきた皆さんを褒めたいと思います。これはAメンバーだけじゃなくて、Jメンバーもね。Aには入れなかったけれど、それでも金賞受賞という結果は素晴らしいと思います。全員、拍手!」


 突然手を叩き始めた絹田先生に、部員一同唖然としていると、藤原部長も手を叩き始めた。


「ほら、みんなも拍手、拍手!」


 少しずつ音の輪と笑顔が広がり、音楽室は割れんばかりの音で埋め尽くされた。


「はい、そこまでね」ふんわりとした温かみのある笑顔を浮かべ、絹田先生はやんわりと制した。


「本当に皆さん頑張ってきました。私は明日一緒にステージに立つことはできないけど、誰よりも法蓮高校吹奏楽部を応援しています。気持ちが焦るかもしれませんが、今日は早く寝ましょう。くれぐれも、寄り道はしないように」


 冗談めかした言い方に部員からも笑いが漏れる。


「絶対ですよ? 特に富田圭太君」


 どこかに寄り道をするつもりだったのか、ひな壇に座る圭太は顔を引きつらせている。隣の席の2年生が笑いを噛み殺しているのが横目に見えた。


「明日は皆さんの最高の笑顔を見られることを願っています」


 厳しいことを言いつつも、飴と鞭を使い分けて部員のやる気を引き出す桑島先生。他人の長所を見つけるのが上手く、褒めることで生徒を成長させる絹田先生。タイプは違えど、2人とも本当にいい先生だと思う。


「それでは今日のミーティングを終わります」


 いつものように立ち上がろうとしたそのとき、恥ずかしそうな、控えめな声が上がった。


「あのー、少し時間もらってもいいですかー?」


 双子の兄、富田亮太は80人ほどの視線を浴びて緊張しているのか、いつもより声が上ずっていた。


「準備お願いしまーす」

「はい!」


 何人かの部員がぱたぱたと足音を立てて音楽室から出て行く。指揮台に立つ藤原部長を見上げるも、これから何が起こるのか全く把握していないようだった。首を傾げて左隣の佳穂を見るも、ゆるゆると首を振る。


「えーと、なんていうか、その、まああれです。僕たちJメンバーは明日の舞台に乗らないけど応援してます、全員で頑張りましょう的なサプライズです」


 何とも締まりのない亮太に、「もっとちゃんとしろー」と他の男子部員から茶々が入れられる。不満そうに口を尖らせながら亮太は文句を言った。


「だから言ったんですよー、俺こういうの向いてないって」


 状況が呑み込めず唖然としていたAメンバーからも、少しずつ笑いと拍手が起こり始めた。なんとも脱力感があるが、コンクール前日の緊張をほぐす意味ではいい人選だな、と思う。


「じゃあ各パート、例のを渡して下さーい」


 亮太の指示でJメンバーがごそごそと何かを取り出す。フルートパートには惜しくもメンバーに入れなかった未来先輩、紗英、舞香の3人が近づいてきた。


「じゃじゃーん!」自ら効果音を口で言いながら舞香が隠していた両手を前に出した。


「フルートパート特製のお守りです! ご利益があります、たぶん」

「どうぞ」


 紗英と未来先輩も少しはにかみながら手のひらを差し出す。


「え、すごい嬉しい」

「作ったの? 針、指に刺さらなかった?」

「ありがとうございます!」


 素のテンションでつぶやく瑞穂先輩、謎の心配をする陽菜先輩、興奮を抑えられずその場で足踏みをしてしまう私。案外涙もろい千秋先輩に至ってはすでに感極まっているようだった。


 三人の手には可愛らしい手作りのお守りがのせられていた。表側には白い布地の上に、HWCBと一文字ずつ異なる色のフェルトで縫い付けられている。おそらくHouren Wind Concert Band の頭文字だろう。手芸用のハンコで押された天使が手の上にあごを載せてにっこりと笑っている。


「表はJメンバーも含め、部員全員でお揃いなんです。裏はパートごとに自由で、結構頑張ったのでぜひ見ていただきたいです」


 未来先輩は前髪をポンパドールにして今日もおでこをさらしていた。未来先輩の手にのせられたお守りを1つ手に取って裏返す。


「クオリティ高すぎて、もはや引くレベルなんだけど」


 真顔でコメントする瑞穂先輩の言葉に、私もがくがくと頷く。裏面の真ん中には赤やピンク、白、黄色の花が立体的に刺繍されている。一番下には Fl. K.M と筆記体で丁寧に縫ってある。


「本当にありがとう。裏面は未来ちゃんが担当したの?」


 早くも嗚咽を上げている千秋先輩の背中を撫でつつ、優奈先輩がきく。


「はい。表面が紗英、ひもをつけて縫い合わせたのが舞香です」

「未来ちゃんたちもコンクールあったし、大変だったでしょ? 本番、聞きたかったな」


 J部門が行われた日、楽器運搬のために必要なパーカッション部員を除き、大多数のAメンバーは学校で練習に励んでいた。合奏の最中、桑島先生のもとに絹田先生から結果報告の電話がかかってきたとき、金賞という結果に私たちが喜んだのは言うまでもない。

 未来先輩は苦笑いしつつ、紗英と舞香を見る。


「部活でDVD買ったんで、いろいろ落ち着いたらそれで見てください。何かしたいね、って話はJメンバーの間で前々から出てたんですけど、ちゃんと決まったのはコンクール終わったその日なんですよね。だから、実質3日で作りました」

「あ、あと、未来先輩が刺繍したお花、ガーベラっていう種類なんですよ。ぜひその花言葉を調べてみてください!」

「それは恥ずかしいから言わない約束だったでしょ!」

「もう言っちゃいましたよ」


 全く悪びれる様子のない舞香に未来先輩がため息をついている。共に過ごす時間が長かったからか、以前より距離が近づいたようだった。一抹の寂しさを感じつつ、スマホを取り出し検索している陽菜先輩の手元を無遠慮に覗き込む。


「『希望』。あと『常に前進』、らしいよ」


 陽菜先輩が読み上げて顔を上げる。目を数回瞬かせた後、瑞穂先輩がぽつりと呟いた。


「……嫁にしたい」

「瑞穂先輩のお嫁さんにはなりませんけど、本番うまくいきますように、って思いをこめました。喜んで頂けて嬉しいです」


 瑞穂先輩の冗談とも本気ともつかない欲望をあっさりと受け流しつつ、未来先輩はぱっと花が咲いたような笑顔を浮かべる。


「徹夜した甲斐がありました!」

「……裏側作ったのは未来先輩でしょ」

「紗英はわかってないなあ、こういうのは気持ちが大事なの、気持ちが」


「こんなのもらっちゃったら絶対に頑張らなきゃね」


 陽菜先輩は顔を綻ばせながら、なぜかお守りを蛍光灯に透かしている。楽しそう、と真似を始めた瑞穂先輩が声を上げる。


「お、見えた」

「何か中に入ってるんですか?」


 私もお守りを高く掲げ、目を細めて見つめる。


「見えるよ、明るい光がね」


 ニヤリとする瑞穂先輩に脱力しながらも、手の平にのったお守りを見ると、頬の緩みは抑えられそうになかった。

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