第10話 葛藤②
「あー、バイトしたい」
「
「ですよねー」
千秋先輩と話してからというもの、練習をしているとき以外はずっとフルートを買うことで頭がいっぱいだった。授業中も、だ。今も帰る道すがら、乗り換え駅でいっしょになった悠に愚痴をこぼしている。
「お金その辺に落ちてないかなあ」
「なんでそんな金の亡者みたいになってるんだ」
「ひどい言い草ね。楽器買いたいんだけど、自分で買うには当然お金が足りないし、かといって親に買ってとも言いにくいの、来年弟受験だし」
「でかい楽器の俺には無縁の話だな」
「あんたも買えば」
「コントラバスが一台何円すると思ってるんだ」
「知らない」
なんとなくスマホをいじりながら電車を待つ。最近よく見ている楽器販売のページを開く。何度見ても安くはならないが、つい見てしまう。光を反射して輝く楽器の写真を見て、いいなあとつぶやく。
「折半したらどうだ」
「え」
先ほどから悠がぼんやりしていると思っていたら、どうやら私の話を真面目に考えてくれていたらしい。
「貯金崩して、一部を自分で払う。で、残りを出してもらう代わりに誕生日とかプレゼントをもらわない、とか。あとは働きだしてから出してもらった分、返すとか」
「なるほど」
鞄をしっかりと握り直し、ホームにやってきた電車に悠とともに乗り込む。電車がゆっくりと動き出し、よろけそうになるのをつり革を握ってなんとかこらえる。
「今回ダンスする原はどんな感じだ」
「舞香? かなり乗り気みたいで、パート部屋でも踊ってるけど。それがどうかしたの」
「そうか」
それだけ言うと悠は窓の外を眺める。他人に訊くだけ訊いておいて、自分から無視するとは。少し腹立たしい気持ちになる。「だから何よ」
悠は観念したようにため息をついてから口を開く。
「
いろんな意味で私は驚いて目をみはる。
長身にショートカットで凛々しい雰囲気の
おそらく彼女はできないことが嫌なのだろう。たとえそれが自分の嫌なことであったとしても。
でも、それはつらくないのだろうか。
「悪い、忘れてくれ」
「わかった」
人の気持ちを直接聞きもせず、あれこれ考えるのはよそう。思いを巡らせたところで私にできることはない。
すでに暗くなった外を眺める。口には出さなかったが、悠が他人のことをよく見ていることにも驚いていた。ふと中学の夏のコンクールを思い出す。あのときも、彼は私のことを見て「悔しくなさそう」と思ったのかもしれない。
お金のこと、
♪
「お母さん、話があるの」
悠と話した数日後。私は風呂から上がるとすぐに母に声をかけた。台所で皿洗いをしていた母は泡だらけの手をすすぎ、布巾で手を拭く。
「だいぶ長風呂だったわね、顔真っ赤よ」
「いろいろ考えてたの」
母がダイニングテーブルの椅子を引いて座ったので、私はその前に立つ。風呂の中でイメトレは完璧にした。あとは伝えるだけだ。「あの……」
いったん口を開くも、そこから先が続かない。頭が真っ白になり、口から飛び出したのは思いがけない言葉だった。
「私の貯金、使うから!」
「え?」
こんなはずではなかったのに。落ち着いて話し、どう説得するか考えていたはずなのに。そう思いながらも早口で一気にまくしたてる。
「フルートを買いたいんだけど、やっぱりお金全部出してもらうのは気が引けるというか、だから一部出すから残りは出してほしいというか、なんで買うかっていうとやっぱりもっといい音を出すためにはそれなりにいい楽器が欲しいというか」
「わかったから、一回落ち着きなさい」
母と視線がぶつかる。ひるみそうになるが視線を外さない。
「大体どれくらいの楽器を考えてるの?」
「25万くらい。お年玉とかの貯金が10万くらいあるから、あと15万出してほしい。甘えだっていうのはわかってる。大人になって働いてから返すっていうのでもいい」
だからどうかお願いします、と頭を下げる。無言の時間がしばらく続く。母がため息をつくのが聞こえ、頭を上げた。
「部屋にフルートのパンフレットが散乱してるし、いろいろ調べてるみたいだったから、薫が楽器を買いたがってるのは前から知ってた。まあうちも特別裕福ってわけじゃないし、来年は
驚きで目を見開く。正直、許してはもらえないだろうと思っていた。普段なら親に感謝の気持ちを伝えるのは気恥ずかしいが、今は全くそんなことは思わなかった。
「ありがとう!」
ただし、と母は真面目な顔になる。「部活を頑張るのはいいけど、勉強はちゃんとすること」
それはとても難しそうだ、と思いながらも神妙な顔でゆっくりと頷いた。
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