第29話 合宿①
2日間与えられた休日も課題と格闘しているうちにあっという間に過ぎ去り、合宿の日を迎えた。山の中にある施設にこもり、朝から晩まで寝ても覚めても練習漬けの3日間だ。県大会止まりだった例年だとお盆期間はずっとオフだったようだが、関西大会までの日数は少ない。より完成度を上げるためにも密度の高い練習が求められる。
「音程!」
「薄っぺらい音、出さない! しっかり厚みのある音で!」
「音が暗い!」
「もっと優雅に!」
練習している広いホールには桑島先生の鋭い指摘と部員の快活な返事が響き渡る。普段の練習とは異なり、Tシャツやジャージに身を包んだ部員が多く、その雰囲気はさながら運動部のようだ。練習すればするほど自分たちの未熟さを知るが、愕然としている暇もなかった。高みを目指すためにはただひたすら研鑽を積むしかないのだ。
だが、その集中力は楽器を手にしているときに限られる。
「あー、疲れた」
入浴を終え、紗英や舞香とともに連れ立って部屋へと向かう。いつもは髪をまとめている2人も、濡れた髪を下ろしているので雰囲気が違って見える。
「布団がここにあればこのまま寝られる」
「……髪の毛はちゃんと乾かしてから寝た方がいいよ」
眠い目をこする私に対し、紗英は髪をタオルで拭きながら言う。
「今夜は寝かせないから!」
「なんでそんなに舞香は元気なの?」
らんらんと目を輝かせる舞香に恐怖を感じつつも問わずにはいられなかった。舞香がにやりと笑みを深くする。
「だって合宿だよ? 合宿と言えば、やっぱりガールズトークでしょ」
「私は寝るからね」
「私も」
私と紗英が間髪入れずに言うので舞香は不服そうだ。わざとらしく口を尖らせながら体をくねくねとさせている。
「えー、話すネタの1つや2つあるでしょ」
「ない」
「またまた、2人ともそんなこと言って。薫は? なんかないの」
「ないから」
食い気味に否定し、逆に舞香に訊き返す。話すネタは何もないのだから当然だ。
「舞香こそ、例の彼とどうなったの?」
「あ、とっくの昔に別れたよ」
さらりと言われた言葉に驚かずにはいられなかった。同時に不用意に尋ねてしまったことを後悔する。紗英も初耳だったらしく、少し困ったように眉が下がっていた。
「なんか、ごめん」
「いいの。あんな奴、別れてせいせいしてるから」
「あれ、そうなの?」
想定していたなかった反応に少し拍子抜けする。
「こっちは部活で忙しいでしょ? だからなかなかデートできなくて、向こうは不満だったらしいのね。で、あいつ何て言ったと思う? 『レギュラーでもないのになんでそんなに頑張るの?』だって。腹立ったから平手打ちしてやった」
あーやだやだ、と舞香は顔の前で手をぱたぱたと動かしている。
「そういうことじゃないと思うんだよね。なのに全然わかってくれないわけ。だからこそみんなの恋バナを聞きたかったのに」
舞香は残念そうに目を伏せていたが、突然パッと顔を上げたときにはまた目を輝かせていた。切り替えの速さと分け隔てのない天真爛漫さは舞香の長所だと思う。
「そっか、今はなくてもこれから生まれることもあるわけね。ひとつ屋根の下、男女が同じ釜の飯を食って一つの目標に向かって頑張ってるんだよ? 育まれる絆。信頼。いつしかそれは恋心へと……」
「ないと思うけど」
紗英が控えめに否定するも、紗英の妄想は萎むことなくさらに膨らむ。
「事件があるとしたらやっぱり夜。ひっそりと2人で会い、そして、満点の星空の下で結ばれる!」
きゃあ、と一人で興奮している舞香はそのまま放置し、紗英と並んで歩く。風呂のある建物と宿泊棟は分かれているため、一度外へ出る必要があった。地下通路で二つの建物は繋がってはいるものの、階段を下りるのが面倒なのだ。
「うん、かなり曇ってるね」
「舞香の目には天の川がきっと見えてるんだと思う」
一歩外へ出て苦笑いすると紗英も小さく頷いた。そういえば、と紗英が口を開いた。
「天の川で思い出した。コンクールもたいへんだと思うけど、『たなばた』くらいは練習しといた方がいいよ」
「あー、やっぱり?」
紗英をはじめとしたコンクールに出ないメンバーは文化祭の曲を中心に練習していた。私たちにもすでに楽譜は配布されていたが、まだそこまで手が回っていないのが実情だった。コンクール直前ではどうしても課題曲と自由曲の2曲にかかりきりになってしまうが、他の曲を練習することで息抜きにもなり、また新たな発見があることも多い。
「普通にコンクールでやるような曲だし、難しい」
「……足を引っ張らないように精進いたします」
コンクールや定期演奏会の一部の曲を除き、法蓮高校吹奏楽部では演奏する曲を部員全員で決めていた。しかし、文化祭の曲だけは引退する3年生のみで決めているらしい。
今年の文化祭で演奏する曲の一つが『たなばた』だ。親しみやすいメロディーに爽やかな響きが重ねられた、吹奏楽オリジナルの曲だ。各パートに見せ場もあり、最後に演奏したいというのも頷ける。ただ、文化祭は9月の上旬のため練習期間がかなり短い。基本的に曲の決定に関して桑島先生が口を挟むことは滅多にないが、今回ばかりは学指揮の2人が報告に行った際、少し固まっていたそうだ。結局は3年生の情熱に押し切られる形で決まったという。
「もし流れ星があったら、薫は何をお願いする?」
「どうしようかな」
コンクールや文化祭の本番がうまくいきますように、という思いも一瞬頭をよぎったが、雲に隠れて見ることのできない星に願うことはやめよう。
それは願うことではなく、私たちの手で、自ら実現させることだから。
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