第28話 反省会

 県大会を突破した私たちにはさらなる舞台が待ち受けている。午前中にパート練習をした後、私たち部員は全員音楽室に集まっていた。スコアとパート譜を片手に空いたスペースに座り込む。必ず前に座る人、端の方に座る人、と座る場所一つとっても三者三様で面白い。冷房が効いているとはいえ、部員全員が入ると蒸し暑さは拭えない。もっとも、前日の興奮が未だ冷めやらぬ部員が多いことも原因の一つかもしれない。


「はい、とりあえずみんなお疲れ様! 念願の関西大会出場! いぇーい!」


 音楽室前方でVサインを前に突き出しているのは、学生指揮者の片割れ、鈴本すずもと先輩だ。やや茶色がかった髪を揺らす様子を呆れたような目で見つめる小椋おぐら先輩も、昨日は喜びを爆発させていた。


「とまあ、喜ぶのは昨日散々やったと思うので。こっからは真面目モードやから」


 鈴本先輩はそれまでの弾ける笑顔から一転、急に真剣な顔つきになった。それを機に音楽室の空気も一気に引き締まる。


「今日何をするかっていうと、みんなも予想してる通り、昨日の演奏の大反省会です。とりあえず、聞きましょう。さわわん、準備よろしく」


 軽く頷いた小椋先輩が音楽室に設置された機材を操作し始める。コンクール会場での一般観客による撮影・録音はもちろん禁止されているが、業者が販売する録音は数量限定でその場で購入できる。各学校の演奏を撮影したDVDが各学校に届けられるのはコンクールが終わってかなり経ってからなので、すぐに演奏の振り返りができるのはとてもありがたい。


「では、いきます」


 私たちの県大会での演奏はどうだったのだろう。先入観や感情を捨て、流れる音にただひたすら耳を傾けた。


「ぶっちゃけ、どうでした?」


 演奏を聞き終わり、音楽室に停滞する雲を払うように鈴本先輩がたずねる。誰も答えない状況に業を煮やしたのか、目の前にいた千秋先輩を指名した。


「正直言ってまだまだだと思います」


 はっきりと言い切った千秋先輩に、鈴本先輩は少し笑って頷く。


「ありがとう。ウチもそう思う。うまくなったのは事実やけど、ウチはもっともっと上手くなりたい。もっともっと上手くなれると思う。ほんで、法蓮高校が進化した姿を次の舞台で見せたい。だからこそ、一切の妥協をしたくない」


 瞳の中に燃えるような炎をたたえ、鈴本先輩は音楽室を見渡した。


「ちょっと気になるけどっとこ、このくらい、これぐらいはええやろ、はやめにしたい。関西大会では全員が納得できるような会心の演奏をしたい。やから、今の演奏を聞いて思ったこと、改善した方がいいことを率直に言ってほしい。パート、学年関係ない。みんなの意見が必要やと思う。お願いします」


 お互いの様子をうかがうような、気づまりな時間が流れた。あらかさまに視線を落とすようなことはしないものの、視線が合わないようにと心の中で祈ってしまう。日和見をしてしまう自分に嫌気がさすが、かといって全体の場で発言する勇気もなかった。


「意見、いいですか」


 音楽室の中央付近ではきはきした声とともに一本の手が上がった。ホルンの2年生で、次期部長に内定していた川崎かわさき遥香はるか先輩だ。


「どうぞ」

「課題曲、全体的に重いと思います。もう少し軽くしたいです」


 川崎先輩が先頭を切って意見したことで、話しやすくなったのだろう。パラパラと手が上がり始める。


「もちろん改善点も言ってくれたら嬉しいですが、感想だけでも十分です。こっちからあてることはしないんで、思い思いに言ってもらいましょうか。その方が話しやすいだろうし。でも他人の意見はしっかり聞くように」


 小椋先輩がそう言って手帳を開き、シャーペンをカチカチと鳴らす。


「わたしも思った。なんかドスドスしてる」

「ビートがはっきりするともう少しすっきりするかもしれません。リズム隊は気をつけた方がいいと思います」

「練習番号Cからの低音、気合い入るのはわかるけど、さすがに主張しすぎじゃない?ここまでの流れがブツっと途切れる気がする」

「今だと金管と木管が分離して聞こえます。木管だけのところにトランペットとかが入ると顕著ですよね。あ、入ったなっていうのが悪い意味で分かっちゃう。もっとこう、馴染んだ音にしたいです」

「マーチだけどもっと上品にしたいな。もちろん歌わなきゃいけないんだけど、やりすぎてちょっと違和感がある」

「全体的に単調なんですよね。例えばHとKは同じメロディーですけど、Kではスラーがついてなくて、より快活な感じ。今だとその吹き分けはできてるんですけど、Kはもっと色を明るくした方がいいです」

「『エイプリルリーフ』のテーマって『お洒落』と『色気』なんでしょ。今だとただひたすら元気!って感じでそういう感じが全く出てない」

「エイプリルっていうよりオーガストだよね。そもそもマーチだけど」

「あんたはちょっと黙ってて」


 矢継ぎ早に繰り出される意見を手帳にメモする小椋先輩のペンは止まらない。出された意見に対し鈴本先輩が口を挟むこともあれば他の部員がそれに反応することもあった。桑島先生はというと、音楽室の一番後ろに置いた椅子に座り、何も言わずになりゆきを眺めていた。


 意見がある程度出尽くしたところで小椋先輩が話を進める。


「欲を言うと1年生ももっと発言してほしいです。では自由曲について意見のある人はお願いします。これは場面がはっきり分かれてるので曲の第1部からいきましょうか」

「音程ずれてるな。前より合ってきてる分、ずれると余計目立つ」

「アーティキュレーションとかフレーズ感も甘いと思います」

「表現的なところだと、もう少し繊細さがほしいかな。以前フルートのパーリーも言ってたけど」

「このシーンは後悔、ですよね。あと悲劇的な結末も感じさせる旋律というか」

「原曲を聞くとイメージがつかみやすいと思います。弦楽器の響きを完全に再現する必要はないと思いますけど、参考にはなります」

「D以降は速さでごまかしてる部分があります。ゆっくり縦の線をそろえ直す必要があると思いました」

「荒いよね。音程も、音の処理も、音色も、何もかも」

「のわりに切羽詰まってる感は足りない。マノンがもうすぐ逮捕されちゃう、やばいやばいすぐに逃げなきゃ、からの逮捕。で、デ・グリューの『ああ、マノン!』でしょ」

「Lのところトランペットはもっと悲痛な感じで思いっきり叫んだ方がいいです。今だとバンドに負けてます。かといってバンドの音量を下げるのは違うと思うので」


 私もいくつか意見を述べ、自由曲についての議論が落ち着いた頃には、ミーティングを始めてからかなりの時間が経っていた。一つの音楽について議論を重ねる、ただそれだけのことに時間を忘れるほどの高揚を感じた。



「電車を待ちながらアイスとはなんと贅沢なことで」


 菜々子と別れた後、駅のホームに設置された自販機で購入したアイスクリームに顔を綻ばせながら座っていると、頭上から声が降ってくる。顔を上げずとも誰かわかった。


袴田はかまだには一口もやらないからね」


 幸せを見せつけるようにしながら食べていると、誘惑に負けたのか、彼も自販機へと向かった。


「あ、プレミアムなやつだ……」

「水谷にはやらない」


 プレミアムと言っても2,30円程度の差だが、少し高級感があり普通の値段のものより美味しいような気がする。なんとなく面白くないので自分のアイスに大口でかぶりつく。口の中に甘酸っぱい苺の味が広がった。


「なんか部の雰囲気良くなったよな」

「私もそう思う」


 県大会が近づくにつれ、幹部をはじめとした先輩方がピリピリとしていたのは感じていた。あまりの緊張感に部がまとまりを失って空中分解するのでは、と内心ひやひやしていたが、比較的温和な藤原部長や優奈先輩などがぎりぎりのところでバランスを取っていたのだろう。パートリーダーによる会議のたび、疲弊しきって帰ってくる優奈先輩を見るとその苦労は容易に想像できる。


「でもだからこそ違和感はある」


 口の中で咀嚼していたアイスを急いで飲み込み、想定外のことを言い出した悠の顔を見つめる。


「今までのやり方で結果が出たんだから、今さら融和を求めるような話し合いなんてしなくていいだろ」

「別にそういう内容じゃなかったでしょ」

「全員で音楽室に集められている以上、そういう面は少なからずある。演奏の反省をするにしても、効率を考えるならパーリーが各パートの意見をまとめてパーリー会議で出せばいい。その方がよっぽど速くて楽だ」


 どう返事をすればいいか悩んだ挙句、アイスクリームを一口かじる。ひんやりとした感覚が心地よい。


「……合理的ね」

「今はまだ下っ端で気楽だからな」

「下っ端じゃなくなったら変わるの?」

「どうだろう」


 ようやくホームに電車が滑り込んできた。アイスクリームの包み紙をつぶしながら大きく伸びをして立ち上がる。


「ま、雰囲気はいいに越したことはないんじゃない? 同じ演奏ができるなら私はその方がいいな」

「そうだな」


 口元を緩めて優しく笑った悠を見てふと思った。


「袴田も変わったね」

「そうか?」

「うん、力抜いて笑うようになった」


 本人には全く自覚がないのか、首を捻る様子を見ていると笑わずにはいられなかった。

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